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世界は70年前を目指し進む

【大予言④】世界史は70年前を目指して進み始めた。超大国日本を望むアメリカ

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【サブタイトル】アメリカの蹉跌②ベトナム戦争

大東亜戦争の停戦時、東南アジアでは、先帝の「戦闘停止命令」を無視した日本軍兵士がたくさんいました。彼らの言い分は、「祖国に帰っても、祖国は米軍に占領されている。それくらいなら、現地の民族

独立軍に協力して骨を現地に埋めよう。」でした。崇高な武士道精神を感じます。その意気込みで、ベトナムでは旧日本軍が千名が帰国を拒否して残留し、ホーチミン国家主席の軍事顧問団になりました。当

時のベトナムは、大日本帝国が解体され、【力の真空】が起きていました。それを狙った、旧宗主国フランスが、再植民地化するために、軍隊を南部から北進させていました。そこで、日本兵軍事顧問団は、

ボーグェンザップ将軍以下将校に【ゲリラ戦術】を徹底的に叩き込みました。ゲリラ戦術を体得したベトナム軍は、平地での、フランス軍との決戦を避け、ベトナム北部の山岳地帯に、フランス軍を誘い込

み、ゲリラ戦で壊滅させました。戦闘力がアップしたベトナム軍は、続く、ディエンビエンフーの戦いでもフランス軍を降伏させ、フランス軍の抗戦能力を奪いました。この時、フランスのドゴール大統領

は、「原爆を使うぞ」と脅しをかけましたがホーチミンは「使うんなら使え」と脅しに屈しませんでした。結局原爆の使用は、アメリカ政府がフランス政府を止めたために実行されませんでした。ジュネーブ

協定が結ばれて、フランスは70年に及ぶ植民地化を断念しました。日本兵軍事顧問団は、指導するだけでなく、自ら第一線にたって、フランス軍とたたかったために戦死者が多く、ジュネーブ協定締結時に

は、生存者が300人までに減っていました。対仏独立戦争は【第一次インドシナ戦争】とも呼ばれます。

ベトナムに進出する意図を持っていたアメリカは、南部に親米的なベトナム共和国ができると、積極的に援助を始めました。ベトナム共和国政府が、ジュネーブ協定で約束された【統一選挙】を拒否し、反対

派に厳しい弾圧を加えると、その独裁政治に反抗して、【南ベトナム人民解放戦線=ベトコン】を結成し、米軍と激しい戦闘を開始しました。解放戦線は、ベトナム労働党北ベトナム政府)の支援を受け北

ベトナム軍と一体となって戦いました。

アメリカの著名ジャーナリストのディビット・ハルバースタムの名著「ベストアンドブライテスト(最善で賢明な人々)」に面白い話があります。リンドン・ジョンソン大統領は、南ベトナムの防衛と北ベト

ナムの制圧のために、最も優秀なスタッフを集めました。一人は、フォード自動車の社長だったロバート・マクナマラ、もう一人は、国家安全保障大統領補佐官のマクジョージ・バンディでした。マクナマラ

第2次大戦時、軍の統計管理局の将校として、ドイツに対する【戦略爆撃の効率性、費用対効果比】を研究した【戦略爆撃スペシャリスト】でした。

戦略爆撃とは】戦争特に国家総力戦において勝利する目的で、敵国の都市、政府指導部や官庁、工場、電力・通信・交通網などの民間施設、重要な軍事施設といった戦略目標に対して航空作戦を用いた爆撃を行うものです。

フォードモーターズではフォード一族以外から初めての社長となり、大胆なリストラと事業の効率化を行い、同社の経営を立て直しました。ハーバートビジネススクールでも教鞭をとりました。対ベトナム

略の失敗を問われることもなく、後に世界銀行の総裁となりました。ベトナム戦争時の国防長官です。バンディは34歳という最年少でハーバート大学の学部長になり、42歳からケネディ政権の国家安全

保障大統領補佐官となり、「キューバ危機(ソ連がアメリカの敵国のキューバに核ミサイルを持ち込んだ事件)」などの対応に当たりました。バンディについては面白い話があります。彼が若いとき、徴兵検

査を受けましたが、視力が良くないので落とされました。しかし、バンディはくじけずに、視力検査表を全部暗記してしまい、次回の徴兵検査では無事合格しました。一種の天才だったのでしょう。アメリカ

はこのように当時最高の天才たちでチームを作り、【必勝を疑わずにベトナム戦争に望んだのでした。】北ベトナム軍とベトコンは、日本兵に仕込まれたゲリラ戦でフランスを打ち負かし、自信を持っていま

した。対仏戦で300人まで減った旧日本兵は、今度は前線に出ず、ハノイで軍事指導に当たりました。案の定、米軍はベトコンのゲリラ戦術に苦しめられます。市街地以外はジャングルと大草原に覆われた

ベトナム、草むらからいきなり飛び出してきて攻撃を加えるベトコンにアメリカ兵は消耗しました。統計のプロであるマクナマラは、【毎日何人ベトコンを殺したか】をコンピューターで解析し、【戦果】を

公表しようとしましたが、世間に発表できるほどの戦果はありませんでした。焦ったアメリカ政府は、北ベトナムへの【戦略爆撃=北爆】を開始します。北爆開始の決定の前に、スタッフの一人が反対意見を

述べました。「第2次大戦で、ドイツと日本に対して戦略爆撃を行ったが、相手の憎悪を買うだけで、戦意喪失まで追い込めなかった。相手の抗戦意欲を高めただけで効果は薄いと思う。」ドイツは、米英軍

による「ドレスデン空襲」で、日本は「東京大空襲」でしょう。確かに、東京大空襲は、東京を焼け野原にし10万人の犠牲者を出しましたが、日本軍民の戦闘意欲は低下することはありませんでした。

しかし、ジョンソン大統領は議会の承認を受けて、北爆に踏み切ります。そもそも戦略爆撃は、日本やドイツのような近代国家で都市機能が集中した国には、ある程度の効果をあげますが、ベトナムのように

近代化されていない農業国には、最初から、効果は期待できませんでした。そして、当時ハノイには、ソ連の軍事顧問団が常駐しており、米軍は、【米ソ対決を恐れ】軍事基地などの重要な標的には爆撃でき

ませんでした。北ベトナム空爆の聖域を与えたことになります。味を占めた北ベトナムは、トンキン湾などの軍港にソ連艦船を停泊させ、米軍の港湾爆撃を阻止しました。この北ベトナムの対策により【米

軍の北爆は無力化されました。】

開始から9年も続き、何ら、画期的な戦果を挙げない、北爆とベトナム戦争に、アメリカ国民は疑念を抱くようになりました。

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