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四柱推命占い鑑定|麻生の乱|何故起こったか?そもそも宏池会とはどんな派閥なのか?無限拡散

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2017年07月04日 ポスト安倍と麻生の乱

今年の春、国会が森友がどうしたと騒いでいる時に、麻生氏のチ○ポが勃った。これは、その気になるということで、永田町用語で「政権に色気」を見せだしたことを言う。現に麻生自身が、経済紙等に「大宏池会構想」をぶち上げていたからだ。

 

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≪大宏池会構想とは何か≫

先ず、戦後政治の派閥の流れを追ってみよう。GHQマッカーサーのけつを舐めて、7年に及ぶ長期政権を築いた吉田茂には、二人の可愛い子分がいた。広島県出身、元大蔵官僚の池田勇人と山口県出身、元鉄道省官僚の佐藤栄作(安倍総理の大叔父)だ。

吉田の引退後、吉田派は二つに分裂することになる。一つは池田派、もう一つは佐藤派である。

池田派の方は特に「宏池会(こうちかい)」と呼びならわされる。当時有名な陽明学者の安岡広篤が命名した。

池田没後、前尾派→大平派→鈴木派→宮澤派→加藤派と続くが、加藤紘一の時、有名な「加藤の乱」を起こして森政権を倒そうとした。

その時、小渕派の野中広務に、派を切り崩されて、野中の意を受けた古賀派と、敗れた加藤の子分の谷垣グループに分かれた。

 

★これに、何故、麻生が関係するかと言うと、宮澤派の時、新自由クラブから自民党に出戻った河野洋平一派を受け入れた。

その、河野グループに紛れ込んだのが麻生である。麻生は東大出のエリート官僚出身の加藤紘一とそりが合わずに、河野グループに引きこもっていた。

しかし、そのうち、為公会(いこうかい)なる意味不明な派閥を立ち上げた。当時は誰も麻生が、総裁選に出たり、総理になるとはつゆほどにも思わなかった。

何故ならば、学習院出で頭が悪く、「吉田茂の孫」以外は何もセールスポイントが無いただの会社経営者だったからだ。

「加藤の乱」鎮圧後、手柄を認められて、古賀誠は、野中から自民党幹事長の椅子を譲り受ける。

同じ部落同士の気安さもあったのだろう。そして古賀派を結成する。

部落と言えば、部落民の吉田茂は、同族の池田勇人の方を可愛がった。池田は広島県竹原市の部落出身で、作家の鬼塚英明氏が、現地踏査して確認している。

池田勇人が政権を取ると、二人の大蔵官僚が秘書官となった宮沢喜一と大平正芳である。二人とも後に総理になったが、二人とも部落民である。

宮澤は解放同盟に暴露され、大平は鬼塚氏が現地調査している。

何しろ、東大出のエリート官僚で部落出身者が多いのが特徴だ。古賀誠の時、谷垣禎一と仲直りして、古賀派と谷垣グループが合同したのが「中宏池会構想」と言う。

しかし、加藤の乱での古賀誠の切り崩しを根に持った谷垣は、古賀と口をきこうとしなかった。

その後、民主党政権時代に谷垣が自民党総裁を務め、2012年、政権交代時に自民党総裁選に出ようとした谷垣を古賀は応援しなかった。

それで、二人はまた分裂し、次回の総選挙に出馬しないことを決めた古賀は、自分の派閥40人をそっくりそのまま、岸田文雄に譲った。

 

★奇妙なことに、岸田は三代続く広島の世襲議員だが、宮澤と親戚で、祖父の本籍地は部落地区と一致する。

岸田は親分の古賀と同じくリベラルで、タカ派の安倍総理とは正反対である。しかし、引退した古賀からコントロールされるのを恐れて安倍総理は最初から外相として閣内に取り込んで、能力に関わらず「塩漬け状態」で使い続けている。

岸田を安倍総理に取り込まれた古賀は、時々、野田聖子の口で安倍批判をしている。

 

*写真は初代宏池会会長で、部落民の故池田勇人元総理

 

 

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