四柱推命占い鑑定|麻生の乱|自民党・宏池会の歴史、鈴木善幸と「一六戦争」無限拡散

2017年07月05日 自民党・宏池会の歴史

宏池会第四代会長・鈴木善幸の誕生

1980年6月の総選挙中に総理の大平正芳が心筋梗塞で急死するも、国民の同情を買い自民党は圧勝。野党の提出した「内閣不信任案」に同調した反主流派の福田派、三木派は総裁候補を出せなかった。

中曽根康弘は、不信任案には反対したが、田中角栄の信用を得られず、宏池会の有力候補、宮澤喜一は角栄に嫌われて、そもそも対象外だった。

田中派自身も、ローッキード裁判が継続中であり、総裁候補を出せない。

そこで、田中六助が行動力を発揮して、岸信介元総理に根回しして、「党内抗争の終結」を目指して、鈴木善幸を首相に擁立する。

宏池会としては、初めての部落民以外の会長であり、総理となった。

*写真は宏池会第四代会長の鈴木善幸・・・息子は宮澤とは親戚筋に当たる

★ちなみに、田中六助は、新聞記者時代に岸総理にも可愛がられ、娘の洋子さん(安倍総理の実母)と結婚したがったが、安倍晋太郎氏に破れた過去が有る。

宮沢喜一と田中六輔の確執「一六戦争」

1951年(昭和26年)のサンフランシスコ講和会議に全権随員として参加するなど、秀才官僚として早くから将来を嘱目されていた宮澤喜一に対し、田中六助が頭角を現したのは1970年(昭和45年)の「大平クーデター」によってである。このとき宏池会会長を前尾繁三郎から大平正芳に交代させた中心人物が田中であった。

こうして大平側近となった田中は、1978年(昭和53年)の第一次大平内閣で内閣官房長官として入閣、スポークスマンとして「おしゃべり六助」の異名を取った。

 

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1980年(昭和55年)、大平が現職の総理・総裁のまま急死するが、田中は後継総裁として、宏池会代表に就任した鈴木善幸を担ぎ出す。岸信介に根回しをし、鈴木内閣成立の立役者となった。

鈴木内閣実現の功労により、田中は通商産業大臣に就任するが、内閣官房長官に起用されたのは宮澤であった。こうして宏池会の後継者をめぐり田中と宮澤のあいだで競争が勃発する。

その後、鈴木善幸と宮沢が縁戚関係を結ぶ一方で、田中は中曽根康弘に接近していった。

 

「一六戦争」の終わり

1982年(昭和57年)中曽根総裁のもとで、田中は政調会長をつとめる。宮沢との競争も加熱し、宮沢が派閥横断的な議員グループ「平河会」を主催すれば、田中も「新世代研究会」を結成するなど張り合った。ロッキード判決を受けた1983年12月の総選挙で自民党が後退したあとには、幹事長の二階堂進が交代を余儀なくされたが、その後任には宮澤と田中の名が取りざたされ、最終的に田中が就任している。

しかし田中は幹事長就任後、病にたおれ1984年(昭和59年)東京女子医大病院に入院、1985年(昭和60年)1月に糖尿病の悪化に伴う心筋梗塞で死去。

1986年(昭和61年)に宮澤が宏池会会長に就任したことで、「一六戦争」は終わりを告げたのである。

 

鈴木善幸 調整型の政治家

鈴木善幸は元々は社会党の代議士であり、「調整型の政治家」であり、党務はできるが、外交、特に日米同盟には無知であった。
岩手県の漁師の息子で、水産学校しか出ていないと言えば、それまでだが、逆に出身校を見ると、彼が「血の穢れ」の無い純粋な日本人の証明となる。
★じゃあ、何故、宏池会には東大出の大蔵官僚出身者が多いのか?
ずばり、部落民の出自を隠すためである。

宏池会・宮澤モデル

部落民の貧しい青年が、同じ部落民のネットワークで資金援助を受けながら、苦学して東大に入学する。
そして、霞が関の高級官僚になり(できれば大蔵省)、同じ部落出身者の東大出の有力者の娘と結婚して役所を辞めて、選挙に出て、政治家になる。そして、引退後は、息子に世襲する。この繰り返しである。

宮澤喜一の実父、裕(ゆたか)は、明治17年、広島県の電気もガスも無い部落(宮澤喜一が日経「私の履歴書」で書いてある)から脱出するために、京都に行き、市電の運転手をしながら、学費を貯めていた。その時、有る篤志家がポンと大金を出してくれて、東大に入学できた。
篤志家は誰とは、書いていないが、同じ階層の金持ちだったのだろう。
裕は、卒業後、内務省の役人となるが、山下汽船に転職し、社長の山下亀三郎に可愛がられ、山下の親友の小川平吉(部落民)を紹介され小川の娘と結婚する。出来た子供が喜一と、弘である。

弟の弘も、東大を出て、内務省に入り、後、広島県知事、参議院となり、村山内閣で
法務大臣を務める。
息子の洋一は東大卒業後、大蔵省の役人となる。後、片山さつきの上司となり、ヒステリーを起こした片山から、物を投げつけられる被害者となっている。
引退した叔父喜一の地盤を継いで、衆議院議員となった。
★経済産業大臣当時、政治資金収支報告書の記載で、広島市内のSMバーへの支払いが問題となり、追及される。
★広島県福山市内のパチンコ店ゴールド(50%韓国資本)から、40万円の寄付を受けており問題となる。

鬼塚英明氏の著書によると、池田勇人の実家は貧しかったが、母親は「出世しろ」としか言わなかったらしい、そこに、学費援助してくれる足長おじさんが現れた同じ部落民の宮澤裕(喜一の実父)である。

宮澤家の息子達は何故、必死に勉強して東大に入り役人になろうとするのか?

私は、大学時代に読んだ岩波新書「ナポレオン」の一節を思い出した。嘆いたナポレオンはこう言う
「王は戦争に負けても王だが、私は戦争に負けたら王ではなくなる」
言いかえると
「平民は東大に落ちても平民だが、新平民は東大に落ちたら只の穢多・非人に戻る」
宮澤一族に当てはまる言葉だと思う。
宏池会とはそういう派閥なのである。

 

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