人気ブログランキングに参加中


・政局、政治 麻生の乱

四柱推命占い鑑定|麻生の乱|自民党・宏池会の歴史、宮澤喜一の無能と誤算

更新日:

スポンサードリンク

2017年07月06日 自民党・宏池会の歴史

宏池会5代目会長・宮沢喜一

剛腕の田中六助が、「糖尿病」に命を奪われると、戦争は終結し、棚ボタで宮沢喜一が5代目宏池会会長に就いた。1985年1月の事であった。
当時は中曽根内閣、中曽根自身は「風見鶏」「藪からし」と呼ばれ、党内でも嫌われていたが、宮澤はその中曽根からも嫌われるという稀有な存在であった。
スポンサードリンク



 

宮澤が嫌われた理由、

中曽根「私たちは旧制高校で体育会で先輩に苛められる経験もしてきたが、宮澤はそれすら経験していない」

田中角栄「彼は秘書官だ。政治家ではない。」

★よくも嫌われたものである。中曽根に嫌われ、後継者は「中曽根裁定」で竹下登にいき。
その後は、竹下がキングメーカーになる。


宮澤がやっと総理になれたのが、6年後の1991年だった。
私が独身時代に愛読していたPRESIDENT(プレジデント)と言う雑誌で、1984年ごろの記事で
「ニューライト(新保守)の旗手、宮澤喜一」と言う特集があった。

執筆者は残念ながら、記憶にない。
但し、記者は、「次世代の総理総裁候補」として、強く宮澤を押していた。
★その一番の理由が「大正8年生まれ(1919年)なのに、「マルクス主義」に感染していないところが凄い」並みのエリートではない」と言うことだった。
と言うのは、宮澤の世代の旧帝国大学の学生は、当時「マルクス主義」に感染し、共産党に入党するエリート大学生が多かったからだ。
例えば、中曽根康弘の盟友で、読売新聞のドンのナベツネこと渡邉恒雄は、東大の学生の時に、共産党に入党している(後転向)
その記事を読んだ時は「ふ~ん」なるほどな~と判ったようなわからない気分だったが、数年前、宮澤が部落民だと知った時に一気に謎が解けた。

★当時、マルクス主義に傾倒した学生たちの多くが、地主の息子であったり、裕福な家庭の子弟が多かった。
だから、小作人に同情したり、朝鮮や台湾の官吏となって親についていった子弟は、現地の人間に同情したりして、「マルクス・レーニン主義」に
はまっていったのだ。しかし、ほとんどがはしかのように、いつの間にか快癒して転向してしまう。

★逆に部落民の子弟は、「自分の階級から脱出するのに必死」例えれば、アイスバーンのように凍結した坂道をつるつる滑るゴム靴で走って駆け上るようなもの。
「マルクスレーニン主義」に関心を持つ余裕すらないだろう。

1991年、竹下派経世会のけつを舐めて、宮澤はやっと総理になれた。総理として何もビジョンの無い宮澤だが「権力欲」だけは有ったのだろう。
屈辱的な「小沢面接(小沢一郎、当時は自民党)」も耐えて、竹下派の支持を取り付け総理になれた。
当時の自民党の「ドン」で「宮澤嫌い」で有名だった金丸信が、記者会見で苦虫を噛み潰すように「我が、経世会は宮澤喜一君を支持することに決めました」と言う不機嫌極まりない表情を今でも覚えている。余程生理的に嫌いだったのだろう。


★しかし、宮澤内閣は散々だった。
★国益、「日本国の誇り」を散々踏みにじった総理と言う点では、小泉ちょん一郎に次ぐ第二位だろう。
①謝罪する必要のない「慰安婦騒動」で、将来に禍根を残した「河野談話」を発表させた。
のみならず、自らソウルに飛び、盧泰愚大統領に一日8回も謝罪した。
元公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏が、著書でこう述べている。
「韓国、朝鮮人には絶対に謝罪してはならない。何故なら韓国人は謝罪されると、そこに身分の上下関係が生じだと確信するからだ」
★要するに、謝罪する日本人を見ると韓国人は、腹の中でこいつは白丁(ペクチョン:韓国の穢多・非人)だと見下げるわけだ。

②アメリカの「反日」クリントン大統領から、「対日年次要望書」を唯々諾々として、受理したこと。
この要望書は、日本の市場や産業構造を、「アメリカに都合の良い様に作り変えることを要求する」、属国日本のここに極まれりの制度だった。年次だから、毎年新しいのが来て、「厳しいノルマ」を突き付けるのである。ちなみに、「対日年次要望書」は民主党政権ができてすぐ、鳩山由紀夫首相が、ヒラリー国務長官に受け取りを拒否して終了した。

③天皇の政治利用;中国共産党に懇願されて、今上と美智子を訪中させた。これについてはその結果、裏切った中共が「反日教育」
をされたこと。国内の人権弾圧と、ウィグルら、国内少数民族の虐殺に繋がり、現在に至っていることは過去記事で述べた。

≪自民党内の政争に漂流し無様な最期を迎えた宮沢政権≫

宮澤を支える自民党最大派閥の竹下派内では、小沢一郎と梶山静六の権力抗争「第二一六戦争」が勃発していた。


破れた小沢は、「政治改革=小選挙区制」を錦の御旗に、羽田孜ら、ほぼ半数を連れて、竹下派を離脱した。
そして、野党の出した「内閣不信任案」に、「羽田派」が賛成票を投じることによって、不信任案が可決され、解散総選挙となった。
選挙の結果、自民党は単独過半数を失い。宮澤内閣は総辞職に追い込まれた。

続きます。

 

スポンサードリンク

スポンサードリンク

人気ブログランキングに参加しています


※メールアドレスの欄は未記入でもコメントの投稿が可能です。

こんな記事も読まれています

1

【在日特権を斬る】何故、在日を強制送還できないのか?根拠となる、1991年日韓覚書と売国政治屋 写真は売国政治屋の中山太郎 読者の方から、「犯罪を起こした在日韓国人は韓国に強制送還できないのですか?」 ...

2

ネット界の仁義なき戦い、余命三年時事日記との抗争 ※2016年03月より半年以上にわたって繰り広げられた、伏見顕正と余命三年時事日記との抗争の実録です。   2012年 08月 『余命三年時 ...

3

2015年4月1日   皆さんお元気ですか? 今日は、雅子の男性遍歴②です。 その相手は2003年にイラク戦争のさなか、非業の死を遂げた外務省奥克彦参事官です。 英紙はすかさず、「犯人は不明 ...

-・政局、政治, 麻生の乱

Copyright© 伏見顕正の政経塾と四柱推命 , 2018 All Rights Reserved Powered by AFFINGER4.