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【冬季五輪】(前)ヤグディン、プルシェンコ、ミーシンをめぐる「ロシア愛憎の三角関係」

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もう、16年前になりますが、ロシアに2002年、ソルトレイクシティー五輪で金メダルを取ったヤグディンという男子フィギュア選手がいました。

かつては、ミーシンコーチの下で、プルシェンコと同門でしたが、ミーシンのもとを去って、タラソワコーチのところに行き、悲願の金を取りました。

かつての弟弟子のプルシェンコは、「宿敵」となっており、2歳年上のヤグディンを強烈に追い上げていました。

そして、悲願の金を取った時の、取り乱したような号泣ぶりに、彼の背負っていたものの重さを感じずには入れませんでした。

ソルトレイクシティーのフリーです。

 

ショートもどうぞ。

 

ソルトレイクのプルシェンコ、ショートでこけてしまいましたね。

ヤグディンという人は「正統派のロシアのイケメン」ですね。

 

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≪ヤグディンの人となりーWikiより≫

2002年ソルトレイクシティオリンピック男子シングル金メダリスト。世界選手権3連覇を含む優勝4回。

旧ソビエト連邦のレニングラード(現サンクトペテルブルク)で生まれる。一人っ子。

ロシア科学アカデミーのサンクトペテルブルク支部でロボット工学の専門技術者を勤める母と、母の両親とともに、サンクトペテルブルクの「街の中でもいちばん汚い所にあった」アパートで少年時代を過ごした。

父はヤグディンが4歳のころに家を出ていき、それ以来対面していない。

ヤグディンは、1992年からマイオーロフの師であるアレクセイ・ミーシンに引き取られ、競技にかかる一切の費用をミーシンが負担する代わりに、将来活躍するようになったら収入の3分の1を支払うという契約を結んだ。

当時ミーシンはアレクセイ・ウルマノフにかかりきりで、ヤグディンが1994年世界ジュニア選手権で4位に入ってからも個別指導を受けることはできなかった。

世界選手権の後、チャンピオンズ・オン・アイスのツアーに参加し、ニューヨークに滞在しているとき、ミーシンがやってきて会談を持ち、別離が決まった。

新しいコーチを探していたところ、クーリックのプロ転向によりタチアナ・タラソワのもとに男子の有力選手がいなくなったため、彼女に指導を申し込んで1998年夏の終わりにアメリカへ練習拠点を移した。

それからソルトレイクシティオリンピックまで、ヤグディンはプルシェンコとハイレベルな接戦を繰り返し、世界選手権を3連覇(1998年~2000年)などの輝かしい実績を残す。

 

≪ミーシンとの確執とプルシェンコとの関係―Wikiより≫

元コーチのアレクセイ・ミーシンについて、ヤグディンは自叙伝で次のように振り返っている。

ミーシンは国際大会で活躍するようになってからもなかなか自分に目を向けてくれなかった。

1997年にウルマノフが休場すると自分の指導に集中してくれたが、エフゲニー・プルシェンコが登場するとそちらに目を向け始めた。

また、自分のやり方を押し通そうとコーチに反論するヤグディンよりも、コーチに従順なプルシェンコの方が気に入ったのだろうと分析している。

さらにヤグディンは、「ミーシンと僕はしばしば衝突したものの、彼を人間として嫌ったことはなかった。リンク上では独裁者のような彼も、それ以外はとても興味深く頭のいい人だった」と語っている。

しかし、ヤグディンのライバルであるプルシェンコのコーチとして、ミーシンはヤグディンの評判を下げる悪口を言い続けたため、ソルトレイクシティオリンピック後の記者会見で、ヤグディンは関係者への謝辞を述べた後、ミーシンに触れて「別離の後、僕の悪口をたくさん言ってくれたことに感謝した。

彼のそんな言動は、僕が厳しい練習に耐え、こうしてオリンピックチャンピオンになれた理由の一つだと説明した」。

ミーシンのもとを離れるにあたって、ミーシンと親密なロシア連盟の会長から、タラソワのもとに移るならば今後はサポートをしないと宣告された、ともしている。

プルシェンコとの関係について、ヤグディンは自叙伝で、性格面で合わずあまり親しい間柄ではなかったとしている。

1998年欧州選手権では同室になりながらほとんど話をせず、ヤグディンがミーシンのもとを去ってからは一層距離ができたと振り返っている。

 

 

それでは、ヤグディンの命式を見てみましょう。

四柱推命鑑定 命式 ヤグディン

1980年3月18日生まれ(37歳)

上 中 下  宿命星 十二運 吉凶星

年柱 庚 申 庚 比肩 比肩 建禄 天徳貴人 血刃&駅馬

月柱 己 卯 乙 印綬 正財 胎  飛刃 咸池

日柱 庚 寅 甲    偏財 絶  月徳貴人 血刃&駅馬

時柱 甲 申 庚 偏財 比肩 建禄 天徳貴人 月徳貴人 血刃&駅馬

【午未空亡】

 

【総合鑑定】

日柱の干支と十二運が、庚寅―絶で、プルシェンコと同じ「天才肌」。

しかし、プルシェンコと比べると、比肩が多い(3個)ので「我=自己主張」が強いです。

★加えて、プルシェンコにない飛刃が有るので切れやすいです。

師ミーシンへの反論や意見具申が、「礼」をともなったものであったかどうか疑問です。

貴人星には恵まれていますが、「血刃&駅馬」の魔のペアが3組も有ります。

幼少時、アレルギーに苦しんだそうです。

・2000年欧州選手権を前に指輪をはめたまま練習していたところ、4回転ジャンプ着地でボードに手をぶつけ、小指を骨折、脱臼。

・2000-2001シーズンのGPファイナルは、友人とテニスをしているときにボールを踏んで足首をひねり、痛み止めと包帯を巻いて競技に臨んだ。

・2001年世界選手権の際は予選で3回転ジャンプが予定していた8回中3回しか決まらず、足の痛みに耐えかねて医師の診察を受けたところ、右足の軟組織を傷めているほか、足の上側の腱が炎症を起こしていることがわかり、棄権を勧められた。

コーチを始めヤグディンチームの全員が医師の意見に同意したが、ヤグディンはソルトレイクシティオリンピックのロシア男子出場枠3を確保するべく競技を続行した。

足の感覚を麻痺させる注射をSP前日に2本、SP当日に3本打ちました。フリーでも合計6本の注射を打って2位となり、エキシビションは滑らなかった。

 

まさに「怪我の総合デパート」です。「血刃&駅馬」の魔のペアは、一生ついて回るので、今後も注意してもらいたいです。

 

≪二十八宿に見る、プルシェンコとの性格の相違≫

ヤグディンは婁宿(ろうしゅく)です。この星の性格は大衆受けする天来のタレント星です。

庶民の心をとらえる「天性の演技者」です。

ナルシストで、自己愛が強く、人のやったことは気に食わず、何か一言言わないと気が済まない「一言居士」です。

原典に「他人との交わり深からず」とあり、本当に腹を割って話せる友人は少ないです。

 

プルシェンコの参宿は、「エネルギー過多症」で、マメで休むことを知らず、いつも太陽に向かってエネルギーを発揮しながら東奔西走しています。

才気は有り、新しがり屋で冒険を好み、「革新の星」です。大将星ですが、波乱多き生涯を送ります。

★ヤグディンは「性格が合わなかった」と言っていますが、同じ「庚寅―絶」でありながら、密教宿曜経で見ると、随分違うものです。

★要するに、二十八宿では、「両雄並び立たず」だったのでしょう。

しかし、大会で同じホテルの部屋に泊まりながら、一言も口を利かなかったとか、かつての、荒川静香さんと村主章枝さんの確執を思い出して面白いです。

ただ、星同士の関係は、【危・成の関係】で「すれ違い縁」なので、破壊縁のようにお互いを潰しあうまでには至りませんでした。

 

次はロシアフィギュア界のドン、ミーシンの命式です。

続きます。

 

 

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