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政局・森友|「安倍おろしの黒幕」竹下亘(前)竹下登元総理の異母兄弟「不正選挙」のDNA

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「不正選挙」のDNA

先日、「安倍おろし」の黒幕として、竹下派会長、竹下亘を画像付きで紹介しましたが、ほとんど知らない読者が多かったのではないでしょうか?

写真を見ると、安倍総理の「天敵」のTBS、日曜朝のサンデーモーニングのMC、関口宏に雰囲気が似ています。

関口が眼鏡を取れば、きっと随分と似ているでしょう(笑)

一般的に知名度のない、竹下亘の正体に迫ってみましょう。

 

≪竹下亘の人となり・・・Wikiより≫

竹下 亘(たけした わたる、1946年11月3日(71歳) )は、日本の政治家。自由民主党所属の衆議院議員(7期)。

現在は自民党総務会長(第55代)、自民党島根県支部連合会会長、平成研究会会長。

環境大臣政務官、財務副大臣、復興大臣(第3・4代)、衆議院予算委員長、自由民主党国会対策委員長(第56代)、

自民党組織運動本部長、自民党たばこ議員連盟幹事などを歴任。

慶應大卒業後は日本放送協会に入局し、『NHKモーニングワイド』や『NHK経済マガジン』等の番組で、経済リポートや解説を務めた。

日本放送協会を退職後、異母兄である竹下登の秘書に転じる。

政治家として

2000年、引退を表明した竹下登の後継者として、第42回衆議院議員総選挙に島根県第2区から自由民主党公認で出馬し、

民主党公認の錦織淳を破って初当選を果たした。

 

 

≪不可思議な点≫

異母兄の登は、1924年生まれです。腹違いとはいえ、22歳も年が離れています。

竹下亘は、兄弟の父、竹下勇造が、登の実母が病死したのちの後妻の子です。

登と、亘の間に、何人も子供がいれば、年齢差に不自然さは感じませんが、間に子供はいません。

実父の竹下勇造は1900年生まれですから、亘は46歳の時の登に次ぐ2番目の息子です。

★少子高齢化や、夫婦間の「セックスレス」が社会問題になる現在、19世紀生まれ(20世紀は1901年から)とはいえ、精力絶倫です(笑)

異母兄の、登が、22歳の時に生まれていますから、竹下登の実子と言ってもおかしくないくらいです。

 

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≪異母兄、竹下登、政局を大逆転させた「不正選挙」の忌まわしい原点≫

wiki 「1978年自由民主党総裁選挙」

1978年に行われた自由民主党総裁を選任する選挙である。

 

概要

1976年のロッキード事件に端を発する三木おろしがおこった。

三木の後任を巡っては大平正芳と福田赳夫との間に大福密約が成立して、まず福田が首相になり、1期2年限りで大平に跡を譲る取り決めがなされた。幹事長には大平が就任した。

 

しかし福田は1977年の第11回参議院議員通常選挙に勝利したころから、続投への色気を見せ始める。

同年末の内閣改造で中曽根康弘を総務会長に据え、田中派の大臣ポストを減らすなど、中曽根派の引き込みと「大平外し」を始める。

1978年

大平は秋の総裁選への出馬を鮮明にする。一方福田は衆議院解散・総選挙を行ってそこそこの成果を残し、文句なしの続投を勝ち取ろうとする。

大平サイドは当然反発。

6月6日

金丸信防衛庁長官(田中派)は内閣委員会における答弁の中で「大義なき解散には反対である。解散の閣議があった場合、自分は署名しない」と発言した。

16日

国会閉会日の宏池会では派閥の会長の大平が「解散はないので、各自平常心で行動してもらいたい」と打ち消した。

この回の総裁選からは、国会議員による選挙の前に一般党員・党友による予備選が行われることになっていた。

福田は、国会議員のみの投票や派閥の談合では田中派の支援を受ける大平が優位だが、今回は一般投票が込みなのでは自分が圧倒的に優位である、と確信していた。

ところが大平は予備選を意識して地方の集会に積極的に出かけていた。

更に、田中派では竹下登や後藤田正晴を先頭にローラー作戦を展開し、一般票を着々と固めていた。

総裁選は事実上の福田・大平一騎打ちとなった。

福田は「1回目(予備選)の投票で100点差がついたら、2位の候補(大平を想定)は本選を辞退すべきだ」と念を押していた。

マスコミも本選での三木派の動向を注視していた。

ところが開票をしたところ、大平が福田に110点差をつけて1位通過した。

自民党史上、現職が総裁選に敗れたのは、福田赳夫ただ一人である

以上

 

 

★長い引用となりましたが、政治情勢は1970年以降、昭和の終わりまで、自民党内で延々と繰り返された田中角栄と福田赳夫の権力抗争「角福戦争」のワンシーンです。

 

現職の総理が、総裁選(自民党総裁=内閣総理大臣)で敗れたという、常識ではあり得ない、戦後政治史の大事件となる「政局」

何故なら、現職の総理は、反抗する大臣は、首を斬ればいいわけです。大臣になりたい「大臣病」の政治家はいくらでもいるわけですから。

また、伝家の宝刀の「解散権」を行使するぞ(怒)と解散をチラつかせれば、衆議院解散は、議員にとって「失職」を意味しますから、議員たちはビビります。

★しかし、福田は金丸信の恫喝に屈して、解散権を行使しませんでした。

また、決定的な敗因は、一般党員の支持は自分にあると、過信して、油断したことです。

 

≪何と門外不出の「自民党党員名簿」を党本部の金庫から、盗み出した竹下登≫

予備選、一般投票で、大差で負けたら、本選(議員選挙)には、出ないと、うかつに口を滑らせた福田は自分で自分の首を絞めた結果となりました。

白昼堂々と、党本部の「金庫」を開けて、「門外不出」の「自民党党員名簿」を盗み出した竹下登は、田中派の全議員の「秘書団」に党員名簿を渡し、全国の田中派議員は、自分の選挙区の、自民党員に秘書を戸別訪問させる「大ローラー作戦」を展開します。

★ちなみに、「公職選挙法」では、「戸別訪問」は禁止されていますが、自民党総裁選挙は、「政党内の選挙」ですから、違反とはなりません。

★竹下登が、普通の人間では思いつかない「不正選挙」を行い、現職の総理を、引きずりおろしたとは、鈴木宗男(新党大地、元自民党田中派)の著作「政治の修羅場」で知りました。

 

もう30年以上前の話で、私も、高校生で、大平正芳の大逆転勝利に驚いた記憶が有ります。

ただ、福田敗北後、中曽根康弘が、大平さんの事を「御金蔵破りだ」と非難していた意味が当時はさっぱりわかりませんでした。

 

≪兄登の秘書を15年も務め、「不正選挙」のノウハウを引き継ぐ竹下亘≫

竹下亘は、NHKの職員(これもキモですね~)を1985年に止め、兄登の秘書となりました。

そして、竹下登が死亡した2000年に、地盤を引き継いで、衆議院選挙に当選しています。

実に、15年も秘書を務め、兄の「悪しき政治手法」を隣で、見続けていたのです。

 

「竹下派は秋の総裁選で、安倍以外を担ぐ」と公言する竹下亘

 

★当初は、石破を担ぐとみられていた、竹下も、最近は石破のグダグダぶりに呆れて、「悩めるハムレット」キッシーこと岸田文雄を担ごうと秋波を送っているようです。

岸田さん自身が「鼎の軽重(かなえのけいちょう=世間の信用)」を問われる時期でしょう。

 

それでは、竹下亘の命式を見てみましょう。

後段に続きます。

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