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米国暗殺史③(中)マッキンリー大統領暗殺事件

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マッキンリー大統領暗殺事件

マッキンリー大統領暗殺、ニューヨーク州バッファローのテンプル・オブ・ミュージックで、1901年9月6日に発生した事件。

ウィリアム・マッキンリー大統領はバッファローで開催されていたパン・アメリカン博覧会に出席しており、無政府主義者のレオン・チョルゴッシュに2度銃撃された。マッキンリーは当初傷から回復しているように見えたが、狙撃から6日後に容態が急変し、9月14日に死亡した。

副大統領のセオドア・ルーズベルトが大統領職を継いだ。

 

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1901年09月のマッキンリー大統領

05日

マッキンリーとその妻アイダ・マッキンリーは、その栄誉を称えるために「大統領の日」とされた博覧会場に到着した。

06日

マッキンリーはナイアガラの滝を訪れ、午後に予定されていた公開の歓迎会に出席するために博覧会場に戻った。

秘書官のジョージ・コーテルユーはそのような公開の歓迎会は大統領の安全を脅かすものと思い嫌っており、キャンセルするよう提案したが、マッキンリーは。「なぜそうすべきなんだ?誰も私に危害を加えようとは望まないよ」と答えた。

午後3時半

博覧会場に到着し、歓迎会が行われるテンプル・オブ・ミュージックに入った。

マッキンリーはコーテルユーとミルバーンに挟まれて立ち、長い列を作っていた人々と握手をしていた。

その列の中にレオン・チョルゴッシュがいた。

マッキンリーがおよそ10分間握手を続けているときに、コーテルユーがドアを閉めるためにその横を離れた。

博覧会の公式パイプオルガニスト、ウィリアム・J・ゴンプは、テンプル・オブ・ミュージックの特別呼び物であった大きなオルガンでロベルト・シューマンのトロイメライを和らかく演奏していた。

午後4時7分

チョルゴッシュは大統領の前に進み出た。マッキンリーはチョルゴッシュの「包帯のある」手を取ろうとしたが、握手する前にチョルゴッシュは2度引き金を引いた。

午後4時18分

狙撃から11分経って救急車が到着。マッキンリーは博覧会場内にある病院に搬送された。浴びた銃弾は2発だった。

1発はマッキンリーの肋骨をかすめ、浅い傷を作っただけだった。しかし、2発目はマッキンリーの腹部に入り胃を貫通し、腎臓に当たって膵臓を損傷し、背中の筋肉のどこかで止まっていた。医師団は銃弾を見つけられず、体内に残したまま傷を縫合した。

銃弾を探すために役に立ったかもしれないX線検査機が博覧会の手近な所にあったが、理由は不明なままだが使われなかった。

(その後数日の間にトーマス・エジソンが、ニュージャージー州にある彼の店からはるばるX線検査機を運ぶ手配をしたが、これも使われることは無かった)。

マッキンリーは鎮痛のために施されたエーテルによって意識不明のままであり、治療のためにジョン・ミルバーンの自宅に移された。

チョルゴッシュはその夜全てを告白した。

「私は私の義務を果たすためにマッキンリー大統領を殺した。私は一人の男があのように多くの任務をこなし、他の者はなにもしないでいるべきではないと思った。」と述べた。

彼は翌日さらに詳細を語り、単独でやったと主張したが、それでも数日後の共犯者ゴールドマンの逮捕を止められなかった。

07日

マッキンリーの容態は良く、寛いで会話もできた。彼の妻が面会を許され、マッキンリーはコーテルユーに「私のスピーチは気に入られたかい?」と尋ねた。

ルーズベルトや閣僚たちがバッファローにとうちゃくした。

08日

速報「大統領は夜を快適に過ごし、今朝のその容態は全く期待が持てる。彼の心は爽快でよく憩んでいる。8時半に傷の手当てをし、大変満足のいく状態であることが分かった」

大統領は回復を続けた。ルーズベルトやマーク・ハンナや閣僚たちも危機は去ったと思われたので、バッファローを去った。

09日

速報「大統領の容態は日に日に満足の行く状態に向かっている。不測の事態は起こりそうになくなった」

10日

速報「今朝の大統領の容態は医師団に拠れば著しく満足の行くものである。厄介な問題が起こらなければ、急速な回復が期待できる」

マッキンリーは口から水を飲み、滋養浣腸を続けた。

11日

大統領は牛肉の肉汁を口から摂ったが、これは狙撃以来初めて胃に入れた食糧だった。

速報「回復を続けており、容態はよい方向のままである」

12日

マッキンリーは初めて固形食を摂り、内容はトースト・アンド・エッグおよびコーヒーだったが、「味わうことはできず、ほとんど食べなかった」

12日遅く、大統領の容態が悪化し始めた。頭痛と吐き気を訴え、脈拍数は増加し速く弱かった。マッキンリーは汗をかき、落ち着きがなくなったが、意識ははっきりしていた。

13日

速報「大統領の容態は重篤であり、深刻な事態も考えられる」

マッキンリーは急速に衰弱を始めた。ハンナや閣僚達はミルバーンの家に戻った。マッキンリーは、その弱い脈を改善するためにアドレナリンと酸素を与えられた。その容態は悪化を辿った。

マッキンリーは医師団に「もう無用だ、諸君。教誨師を呼んだ方が良いと思う」と言った。

後に意識が遠のく中で、賛美歌の「主よ御許に近づかん」(Nearer, My God, to Thee)の中のフレーズを呟いた。

午後6時15分

速報「大統領の医師団は、大統領の容態が極めて重態であると言っている。…これが回復しなければ、時間の問題に過ぎない」

14日

午前2時15分

マッキンリー大統領は、感染症と壊疽に侵され、息を引き取った。

それでは、命式を見ていきましょう。

中段へ続きます。

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