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四柱推命占い鑑定|帝国の衰亡|米国暗殺史|ジョン・レノン(前)暗殺事件

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ジョン・ウィンストン・オノ・レノン暗殺事件

音楽活動については、私が、今更書く必要もありませんが、世界が認める「20世紀最も影響力のあったミュージシャン」で、既に歴史に名を刻んだ著名人です。

私が触れておきたいのは、彼の楽曲以外の活動です。良い悪いの問題ではなく、彼の最後に少なからず影響を与えた「政治的発言」や「政治活動」です。

 

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1966年3月4日 キリスト教発言

ロンドン・イヴニング・スタンダード紙のモーリーン・クリーヴとのインタヴューでジョンは次のような発言を行なった。(キリスト発言)

「キリスト教は消えてなくなるよ。そんなことを議論する必要はない。僕は正しいし、その正しさは証明される。僕らは今やイエスよりも人気がある。ロックン・ロールとキリスト教。

そのどちらが先になくなるかは分からない。イエスは正しかったさ。だけど弟子達がバカな凡人だった。僕に言わせれば、奴らがキリスト教を捻じ曲げて滅ぼしたんだよ」

この発言はイギリスではほとんど問題に成らなかったが、同年7月にアメリカのファンマガジン『デートブック』に再収録されると、バイブル・ベルト(キリスト教根本主義が信奉される南部や中西部)の保守的宗教団体によるアンチ・ビートルズ活動に結びついた。ラジオ局はビートルズの曲の放送を禁止しビートルズのレコードやグッズが燃やされた。

スペインおよびヴァチカンはジョンの言葉を非難し、南アフリカ共和国はビートルズの音楽のラジオ放送を禁止した。

最終的に、1966年8月11日にジョンはシカゴで釈明会見を行いヴァチカンも彼の謝罪を受容した。

 

政治活動

オノ・ヨーコと結婚後、多くのマスコミから奇妙なカップルとして格好の餌食にされる一方、反戦運動における重要人物としても見なされるようになった。

このほかにも1969年以降は、ジョンはヨーコと共にプラスチック・オノ・バンドとしての活動やヴェトナム戦争に対する反対と平和を求める活動に参加した。

 

反戦活動とパフォーマンス・アート

イギリスのヴェトナム戦争支持を受け大英帝国勲章を返上。

妻のヨーコとともに行ったパフォーマンス・アート

「バギズム」

 

「ドングリ・イヴェント」

 

「ベッド・イン」

 

1971年 ’War Is Over (If You Want it)’

イギリスのヴェトナム戦争支持を受け大英帝国勲章を返上。

 

ジョン・レノン殺害事件

1980年12月8日22時50分、

スタジオ作業を終えたレノンとヨーコの乗ったリムジンがダコタハウスの前に到着した。

2人が車から降りた時、その場に待ち構えていたマーク・チャップマンが暗闇から「レノン?」と呼び止めると同時に拳銃を両手で構え5発を発射

4発がレノンの胸、背中、腕に命中し、彼は「撃たれた! (I’m shot!)」と2度叫びアパートの入り口に数歩進んで倒れた。

警備員は直ちに911番に電話し、セントラル・パークの警察署から警官が数分で到着した。

警官の到着時にレノンはまだ意識があったが、既に大量出血し、一刻を争う危険な状態であった。そのため、2人の警官が彼をパトカーの後部に乗せ、近くのルーズヴェルト病院に搬送した。

1人の警官が瀕死に陥っていたレノンの意識を保たせるため質問すると、声にならない声で「俺はジョン・レノンだ。背中が痛い」と述べたが声は次第に弱まっていった。

12月8日23時過ぎ

病院到着後、医師は心臓マッサージと輸血を行ったが、レノンは全身の8割の血液を失い、失血性ショックによりルーズヴェルト病院で23時過ぎに死亡した

それでは、命式を見てみましょう。

 

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