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四柱推命占い鑑定|帝国の衰亡|ロシア皇后アレクサンドラ・フョードロブナ鑑定

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ロシア皇后|アレクサンドラ・フョードロブナ

1872年

ヘッセン大公ルートヴィヒ4世とイギリスのヴィクトリア女王の次女アリスの間の四女ヴィクトリア・アリックスとして生まれる。

母が35歳で死去。

6歳から12歳

祖母ヴィクトリア女王に育てられたため、ドイツ人というより「イギリス人」であった。

1884年

サンクトペテルブルクで行われた姉エリーザベトとアレクサンドル3世の弟セルゲイ大公の結婚式で、皇太子だったニコライと出会う。

そのご、付き合い、愛し合うようになった。しかし、二人の関係にロシア正教会が待ったをかけた。

当時、皇后は正教徒に限定するという規定があった。アリックスは亡き母と同じくルーテル教会を信仰していた。悩むアリックスにヴィクトリア女王は

「二人の結婚は英国王室、ロシア王室の双方の安全保障にもなる。正教とプロテスタントの教義の違いは、実際にはたいした問題ではない。何より二人は似合いのカップルなのだから」

と諭し、結婚するよう勧めた。

1894年

ニコライ2世と結婚、同時に皇后となることから、あれだけ悩んでいた教派の違いも、立場が変わったことから改宗した。

1901年までに皇女を4人生む。

1904年

待望の皇太子アレクセイが生まれる。

皇太子が、血友病に冒され、その祈祷からグリゴリー・ラスプーチンを招いた。

当時の王族にしては珍しく、自ら子ども達に母乳を与え世話もし、深い愛情を注いだ。

アレクセイの血友病は、ヴィクトリア女王の家系に保有されていた遺伝子であり、彼女がもたらしたものと言われる。

このことからくる自責の念があったのか、皇位継承者であるにもかかわらず体の不自由な一人息子への不憫さからか、皇后はラスプーチンを神格化するようになったと言われ、皇后を通じてラスプーチンは帝政末期のロシア皇室に相当の影響を与えた。

1914年

第一次世界大戦が勃発

ニコライ2世が戦線に赴くと、彼女が内政を任されるが、何人もの大臣(主に反ラスプーチン派)の首を挿げ替え、混乱を招いた。

1916年12月

ラスプーチンが皇族ドミトリー大公らに殺害され、それからわずか3ヵ月後(1917年3月)、ニコライ2世は退位。

後にトボリスクに送られる。

1918年7月18日未明、

夫と子供と共にレーニンからロマノフ一族全員の殺害命令を受けた革命軍により銃殺された。

遺体はソ連崩壊後に発掘され、DNA検査の結果、姉の孫エディンバラ公フィリップの提供したものと一致した。

 

 

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アレクサンドラ・フョードロブナ

1872年6月6生まれ~1918年7月17日(46歳没)

・・・上 中 下 宿命星 十二運 吉凶星

年柱 壬 申 庚 偏印 偏官 絶

月柱 丙 午 丁 食神 傷官 死 紅艶 月徳貴人 囚獄2個、白虎殺2個

日柱 甲 申 庚    偏官 絶

時柱 丙 寅 甲 食神 比肩 建禄 月徳貴人 血刃2個、駅馬2個

【午未空亡】月柱が空亡している。

 

【総合鑑定】月柱が空亡しているので家庭運はない。

月令は得ていないし、十二運を見ても身旺ではない。

ヴィクトリア女王の価値観と影響を受け継いでいたせいか、家庭的な性格ですが、月柱が空亡しているということは、結婚後もトラブルが多いということです。皇太子が生まれつき重度の血友病で、この問題は終生彼女を苦しめました。

皇后になったわりには、玉の輿運をあらわす金輿禄がありませんし、夫の星である正官もありません。

愛人をあらわす偏官が2つあります。

夫より、愛人だったかは不明ですが、心底崇拝していたラスプーチンに影響されたのは、そのせいかもしれません。

 

時柱の寅と年柱と日柱の申が、二重に冲「ちゅう」を形成します。

色情の争いの暗示です。ラスプーチンを神格化するあまり、二人の関係を疑われました。

時柱に血刃が2個と駅馬が2個有ります。よって血刃&駅馬の魔のペアが4組もできます。悲劇的な最期を暗示しています。

また、時柱の駅馬が、時柱の寅と年柱の申の冲「ちゅう」を介して、偏印と結びつきます。これも不吉なサインです。

亡くなった46歳の大運は、40歳~50歳の大運で、辛丑―正官―冠帯です。

亡くなった日の行運は

1918年07月17日

・18年 戊午丁―空亡 偏財 傷官・・・羊刃2個、白虎殺

・07月 己未己―空亡 正財 正財・・・羊刃

・17日 乙丑己    劫財 正財

1918年は午年で空亡の年運でした。またけじめの傷官の年運でもあります。

7月は未の月で空亡月でした。羊刃も巡ってきていました。

「アレクサンドラと結婚するのが夢」だったお人よしの皇帝と、血友病の遺伝子を持った家庭運のない皇后のくみあわせの結婚でした。

淳良だけれも優柔不断でお人よしの王と、家庭的で平凡な王妃、国勢の空気が全く読めず、非社交的で家庭に閉じこもる王一家。

こうした、性質は、最後のブルボンの王ルイ16世と似ている夫婦でした。

貴賤婚を繰り返したり、王が王たることを放棄して一般人として生きる生活をえらぶと、王朝も国は亡びるのでしょう。

次号へ続きます。

 

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