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四柱推命占い鑑定|帝国の衰亡|ロシア皇女アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ

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アナスタシア・ニコラエヴナ・ロマノヴァ

末娘のアナスタシアは皇帝の子女の中で最も注目度が低く、姉達は美しく成長するようにつれ、マスメディアや貴族の間で騒がれるようになっていったが、アナスタシアはたまにそのやんちゃぶりが笑いを誘うか、ひんしゅくを買う他はほとんど注目されなかった。

両親や姉弟ほどは詳細に公式記録を取られず、ロシア革命を生き延びた人々の証言も、宮中での彼女の成長過程を極めて断片的にしか捉えていない。

ただ、多くの証人達がアナスタシアは「お転婆娘だった」と語っている。家族からは「反抗児」とか「道化者」と呼ばれていた。

 

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外見の特徴について

アナスタシアの遊び友達でエカテリンブルクでニコライ2世一家と一緒に殺害された皇室主治医エフゲニー・ボトキンの息子、グレブ・ボトキン

「少し赤みがかった金髪で、背は低く、顔の造作は不揃いで、鼻がやや長過ぎ、口幅がかなり大きかったが、顎の形は整っており、父親譲りの実に美しい明るい青い瞳をしていた」

「最初は姉達のように背筋を伸ばして生真面目でしとやかな令嬢のように相手に思わせるが、頭の中ではいたずらの方法を一生懸命考えており、数分後に決まってそれを実行に移す」

「独裁的で、他人が自分のことをどう思っているかについては無関心だった」という印象を述べ、「他人を魅了する独特の資質を持っていた」

証言|グレブ・ボトキンの姉、タチアナ・ボトキナ

「きらきら光る青い瞳」を持った「活発だがちょっと粗暴で、いたずら好きな少女」

「眼の片隅から相手の顔を横目で盗み見るようにして笑っていた」

証言|フランス語の家庭教師を務めたピエール・ジリヤール

「とにかくやんちゃでひょうきんだった。強烈なユーモアの持ち主で、彼女のウィットはしばしば相手の痛いところをぐさりと突いた。

いわゆる手に負えない子供だったが、この欠点は年齢とともに直っていった。他には、極めて怠惰なところがあった―もっともそれは才能に恵まれた子供に特有の怠惰さだったが。フランス語の発音は抜群だった。喜劇の場面を演じさせても才能が光っていた。大変快活な子で、彼女の陽気さが他の人間に伝染したものだ」

証言|女官のリリー・デーン

「物真似が非常に上手く、喜劇女優としての才能があった」

遠縁のいとこに当たるニーナ・ゲオルギエヴナ

「邪悪だと言って良いぐらいに意地悪だった」

「遊び友達を蹴ったり引っ掻いたりする」

「ニーナの方が遅く生まれたのにアナスタシアより背が高いことに怒っていた」

アナスタシアはよく木登りをしたが、降りるように言われても、父親から叱られるまで降りようとはしなかった。

証言|アナスタシアを可愛がった叔母のオリガ・アレクサンドロヴナ

「アナスタシアは手に余るお転婆だった。・・・ほんの幼い頃から悪さばかりしていて、他の人間をいたずらの対象にしか思っていなかった。・・・とにかく元気が有り余っていた」

証言|ハリー・アーミニー・リーブズ(アメリカ合衆国のベストセラー作家・外交官の妻)

「(当時10歳だったアナスタシアの様子)白い手袋をはめたまま銀色の箱に入ったチョコレートを食べていたので、手袋が気の毒なぐらい汚れてしまった」

証言|4人娘の養育を担当したマーガレッタ・イーガー

「ニコライ2世の大のお気に入りだった」

「彼が末娘の自然な愛情表現に感銘を受けていた」

「年少のアナスタシアは今までに見てきた子供達の中で最も愛敬があった」

 

病弱なお転婆娘

頬が真っ赤に染まるほど強く叩かれても泣かない子供であったが、ポーランドにある皇室私有地で家族で雪合戦をして遊んでいる時に、雪玉の中に石を入れて投げてそれが姉タチアナの顔面に命中し、彼女を押し倒した時には驚きのあまり声をあげて泣き出してしまい、何日もそのショックを引きずった。

エネルギーに満ちた性格に反し、アナスタシアは病弱だった。痛みを伴う外反母趾に悩まされていた。また、背中の筋肉も弱く、週2回のマッサージ治療が施されたが、それを嫌がってよくベッドの下や戸棚の中に隠れていた。

 

それでは、命式を見ていきましょう。

アナスタシア・ニコラエブナ(ニコライ2世第4皇女)

1901年6月18日生まれ~1918年7月17日(17歳没)

・・・・・・上 中 下  宿命星  蔵干   十二運 吉凶星

年柱    辛 丑 己 正財 食神       墓 飛刃 寡宿

月柱    甲 午 丁 印綬 比肩 食神   建禄 隔角 咸池

日柱    丁 卯 乙    偏印 印綬    病 囚獄 白虎殺

時柱    丙 午 丁 劫財 比肩 食神   建禄 月徳貴人 隔角 咸池

【戌亥空亡】

【総合鑑定】命式は強かったが、宿命には抗えなかった。

月柱の十二運に建禄が有ります。身旺の禄格(ろっかく)です。従って身旺です。

6月生まれの丁(蝋燭の灯)です。初夏の暑さの中で火が消えることは無いでしょう。

旬の季節なので、月令を得ています。月柱と時柱の午が年柱の丑と二重に害「がい」を形成します。丑―午の害「がい」で負けず嫌いです。やんちゃなはずです。

吉星は月徳貴人だけです。王家の皇女にしては寂しい気がします。

《印星殺の成立》

印綬が2個で、偏印が1個なので、印星殺が成立します。

《食傷過多の成立》

食神が3個あります。食傷過多の成立です。

亡くなった年の17歳の大運は、7歳~17歳で、乙未―偏印―冠帯で、印星の大運でした。

しかも、乙未の未と年柱の丑が冲「ちゅう」を形成します。

不吉な十年でした。

最後の日の行運を見てみましょう。

1918年07月17日

・18年 戊午丁 傷官 比肩・・・羊刃

・07月 己未己 食神 食神・・・羊刃4個、血刃

・17日 乙丑己 偏印 食神

1918年はけじめをつけられる傷官の年運でした。殺気の星羊刃もやってきます。

7月は血刃と、羊刃が4個もやってきます。

17日は、お約束の偏印の日です。印星の大運で、印星の日に亡くなったことになります。

 

200人以上いたロマノフ家の詐称者たち

※左からアナスタシア、オリガ、ニコライ2世、アレクセイ、タチアナ、マリア。後ろにコサックが並んでいる。

一家殺害後に出現したロマノフ家の詐称者(英語版)は全員合わせて200人以上もいたと言われている。

共通しているのがエカテリンブルクの殺害実行者の中に、皇帝一家に同情する人物が一人もしくは複数混じっていて密かに家族の何人かを逃したという出だしから物語が始まっているという点である。

 

アナスタシアの偽物

アナスタシアの場合、生前のアナスタシアより、ロシア皇帝一家虐殺後の、偽物騒動のほうが有名になりました。

映画化もされました。イングリット・バークマンはこの作品でアカデミー賞を受賞しました。

 

一番有名な偽物 アンナ・アンダーソン

1920年2月18日にドイツ国のベルリン、ベントラー橋から運河へ飛び込み自殺しようとしていたところを救助され、エリーザベト病院に収容された。所持品の中には身分証明書や貴重品に関する物は皆無で、娘は自分の身元についても、自殺未遂の動機についても口を閉ざして語ろうとしなかった。娘は、自殺未遂から2年後の1922年6月30日に、突然倒れてモルヒネを投与され、その時に、保護してくれたクライスト男爵夫妻に自分がアナスタシアであると話した。

アンナ・アンダーソンのアナスタシアの物語

・エカテリンブルクの惨劇時に銃弾を受けて意識を失っていたところを、まだ生きていることに気付いた一家に同情的なアレクサンドル・チャイコフスキーという名の警護兵によって助けられた。

・チャイコフスキーの一家とともにロシアからルーマニア王国へ向けて脱出する途中に彼の子供を身篭った。

・チャイコフスキーはブカレストの市街戦で戦死し、アンダーソンが産んだ男の子は孤児院に預けられた。

矛盾する証言

・ルーマニア王妃マリアが後援して実施された調査ではブカレストで当時市街戦があったという記録は無く、彼女の息子アレクシスへの洗礼についてもすべての神父を探したが、その記録に該当する人物は見付からなかった。

・アナスタシアのフランス語の家庭教師を務めたピエール・ジリヤール夫妻が、アンダーソンが入院する病院を訪れた。そばの人に皇帝の子供達の元乳母でもある夫人のアレクサンドラ・テグレヴァが誰なのか聞かれてアンダーソンは「父の一番下の妹です」と答え、同じ時期に訪問することが伝えられていたアナスタシアの叔母のオリガ・アレクサンドロヴナと勘違いしていた。

・ジリヤールはアンダーソンが皇帝一家の生活の細部について知っていることはすべてが発表されている回顧録の類いを読んだり、写真で見て知ったことに過ぎないとして彼女を「俗悪な女山師」「一級品の女優」と評した。

ルートヴィヒによる探偵を使った調査

1927年3月、アンダーソンなる女性は実はポーランド生まれの農民出身の工場労働者フランツィスカ・シャンツコフスカ(アンダーソンが登場する直前に失踪)であることを突き止めた。

対面したシャンツコフスカの2人の兄と2人の姉が、片方の兄と姉は最初は彼女が妹であることを認めていたが、最終的に彼女を自分達の妹として認めることを拒否した

法廷闘争

アナスタシアとして認知してもらい、一家の遺産を相続するためにアンダーソンの支持者が長年続けた法廷闘争は1970年2月17日に終焉を迎えた。西ドイツの最高裁判所はアナスタシアであることを証明するのに十分な証拠を提供していないということで訴えを退けた。この裁判に明確な決着を付けず、独自の判断も示さなかった。アンナ・アンダーソンの事件は20世紀を通してドイツの法廷における最長の記録を持つ訴訟事件となった。

DNA鑑定の結果

・アンダーソンは1984年2月12日に肺炎で亡くなり、火葬にされた。

・死後10年が経過した1994年に彼女が生前に手術した際に摘出した腸の一部組織の標本を使用してDNA鑑定が実施された。

・専門家がミトコンドリアDNAを比較した結果、アレクサンドラの一番上の姉ヴィクトリアの孫、エディンバラ公フィリップ王配のものとは遺伝的な繋がりが認められなかった。

・一方で、フランツィスカ・シャンツコフスカの甥とはミトコンドリアDNAが一致したことが明らかにされた。

・一部のアンダーソン支持者は彼女が大公女では無かったと証明するこの鑑定の結果を素直に受け入れた。

 

偽物2 ユージニア・スミス

1963年10月18日にアメリカの最も有名な写真週刊誌ライフ誌に自身がアナスタシアだと主張するユージニア・スミス(英語版)の新刊自叙伝の抜粋記事が掲載されて注目を浴びた。

ポリグラフの専門家や元CIAのエージェントが彼女を嘘発見器で30時間にわたり尋問した結果、アナスタシア本人であると結論付けられた。

ところが、筆跡鑑定家と2人の人類学者からは同一の女性では有り得ないと結論付けられ、タチアナ・ボトキナからは自分が皇帝一家について書いた本の内容と彼女の本との間に著しい類似点があることが指摘された。

 

偽物3 ナデジュダ・ヴァシリイェヴァ

1920年に身分証明書を偽造して中華民国に入国しようと企み、ボリシェヴィキ当局によって逮捕された。

自身がアナスタシアであることを主張して「ジョージ叔父様」と呼び掛けてイギリス国王ジョージ5世に助けを求める手紙をドイツ語とフランス語で書き、大使館経由で送ろうとしたが、失敗した。

その後は監獄と精神病院を転々として1971年に亡くなった。

カザンの病院長は「彼女は自分がアナスタシアだという主張を除けば、完全に正気だった」と述べている。

 

偽物4 エレオノーラ・クルーガー

ザミアトキンによるとアナスタシアはエレオノーラ・クルーガー(英語版)という名で生活し、1954年に亡くなった。

 

偽物5 修道院で二層になった二皇女

アナスタシアとその姉マリアであると主張する2人の若い女性が1919年にウラル山脈の奥地にある山村で司祭によって匿われ、1964年に亡くなるまでこの地で修道女に姿を変え、怯えながら2人一緒に暮らしたという話が伝えられている。それぞれアナスタシア・ニコラエヴナとマリア・ニコラエヴナの名で埋葬された。

 

偽物5 身元不明の少女

1918年8月初め、ペルミに投獄されていたエレナ・ペトロヴナ(アナスタシアの遠いいとこにあたるイオアン・コンスタンチノヴィチの妻)のもとに警護兵がアナスタシアと名乗る少女を連れて来て、本当に皇帝の娘なのかどうか尋ねた。ペトロヴナがその少女を知らないと答えると、警護兵は少女をどこかへ連れ去ったという。

 

皇帝一家の遺体

2008年4月30日にスヴェルドロフスク州の知事、エドゥアルト・ロッセリはアメリカの遺伝子研究所で実施された検査で2体の遺骨がアレクセイとマリアのものであったと確認されたと明かし、「我々は今、家族全員を発見した」と述べた。

 

本物のアナスタシアは、人を笑わせ驚かせる喜劇的な性格の、面白い女性あったようですが、死後の偽物たちの騒動は、まさに喜劇でした。

 

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2 件のコメント

  • ホームアローンのケビン坊やの女の子版みたいな皇女様だったのですね。体の具合の悪いところはラスプーチンにみてもらえばよかったのに。それはそうと新潮45が休刊になってしまいましたね。杉田議員を妙にかばいだてしたばっかりに。杉田議員(未だに雲隠れしてる)の疫病神っぷりはすごいですね。

    • きなこさんへ

      まさに「K国の法則」発動ですね。35年間続いた名門雑誌を廃刊に追い込んでしまいました。
      レベルの低い擁護をした小川榮太郎、正体不明のYou tuberのKAZUYAも信用を失ったでしょう。
      しかし、この期に及んでも、本人が記者会見一つしないというのが、「女サイコパス」っぽいですね。

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