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四柱推命占い鑑定|帝国の衰亡|皇帝一家・殺害犯ユロフスキー

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殺害犯ユロフスキー

ロマノフ朝最後の皇帝ニコライ2世一家の殺害を実行した銃殺隊を指揮した人物として知られている。

ロシア帝国のシベリア地域、トムスク県にてガラス工の父と裁縫師の母の間の10人の子供の8番目に生まれた。

ユロフスキーとその家族はユダヤ人であったが、歴史家のグレッグ・キングはロシア正教に改宗したと記述している。

12歳から22歳の時期まで

町の最高の時計職人の下に弟子入りして週60時間労働で勤務した。

1905年

ロシア第一革命の後にボリシェヴィキに参加した。

1917年秋

ウラル地方のソビエトの創立メンバーの一人となり、地域のチェーカーに参加した。

1918年7月4日

元皇帝ニコライ2世の一家が幽閉されているエカテリンブルクのイパチェフ館の新たな警護隊長に任命された。

規律をたちどころに回復させ、それまで横行していた警護兵による一家からの盗みも無くなった。自ら選抜した10人の警護兵を新たに配置したが、ユロフスキー含めて全員がチェーカーから派遣されていたという点で共通していた。

前から居る警護兵は見張りを館の外側のみに制限され、ニコライ2世一家に近付く事を許されず、夜は通りの向かい側の家に寝泊りさせられた。外部から元皇帝一家への差し入れについてはアレクセイ用のミルクを除き、一切禁止した。

ニコライ2世が日記に「我々が最も忌み嫌っている男」と書き記している一方で、殺害が実行される2日前の15日に館を訪問した掃除婦の女性は

ユロフスキーがアレクセイと仲良く身体の話をするのを小耳に挟んでいる。

1921年

地方のチェーカー議長を務めたユロフスキーはロシア内戦後。ソビエト連邦国庫の金部門の最高責任者となった。

1930年

モスクワ科学技術博物館の取締役に就任した。

1938年8月2日

消化性潰瘍により死亡。60歳没。

 

ニコライ2世一家の殺害後に要職を歴任したが、グレッグ・キングはユロフスキーが冷酷な革命家からも自分が避けられ、軽蔑されている事に気付き、復讐を恐れていたと記述している。

1920年にユロフスキーに一度会ったイギリスの役人は「皇室を殺害した事で反省と恐怖に満ちていた」と記録した。

 

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チェーカー

ウラジーミル・レーニンによって十月革命直後に人民委員会議直属の機関として設立された秘密警察組織の通称である。

ソ連では、チェーカー勤務者や一般に国家保安機関に勤務する者のことをチェキスト(非常委員)と呼んだ。西側諸国ではチェキストという名称は「反革命の血で汚れた人物」のことを指す侮蔑語として用いられた。また、チェーカーに限らず、チェーカーの系譜に繋がるGPUやKGBの構成員もこう呼ばれた。

レーニンは1918年6月に一時期廃止された死刑を復活させた。

十月革命後に反ボリシェヴィキの西側諸国の干渉によるロシア内戦勃発後、チェーカーはレーニンにより、裁判所の決定なしに、即座に容疑者の逮捕、投獄、処刑などを行う権限を与えられた。これが粛清の引き金となる。

チェーカーは赤色テロの先鋒となった。ロシア皇帝ニコライ2世一家の殺害にはヤコフ・ユロフスキーら3人のチェキストが関与していたとされ、

亡命できた者を除いてミハイル大公ら皇帝の親族や従者に至るまで全員が惨殺された。

チェーカーにより帝政時代の富裕層は「人民の敵」「反革命分子」となり、貴族・地主・聖職者・軍人・コサック兵は証拠も無く無制限に逮捕され処刑されていった。

民間人も対象となり、中には「外国人に道を教えた」という理由だけでスパイ活動を行ったとされ処刑される者もいた。

チェーカーの任務は、前述した以外にも、反革命勢力の地盤としてのロシア民族主義を根絶することにも向けられていたため、構成員は可能な限り、ロシア人以外の民族(特にポーランド人とユダヤ人)から補充するようにしていた。

 

チェーカー⇒GPU⇒NKVD⇒KGB

チェーカーの主要メンバー

内戦が終結した1922年2月8日、チェーカーはGPUと改名し、1934年にNKVDの一部局となる。

スターリンの死後は1954年、再び独立してKGBとして存続する。

KGBおよび共産圏の秘密警察はチェーカーを手本としており、残虐な尋問・拷問・処刑などの手法が受け継がれた。

赤色テロの先鋒

当初チェーカーは組織的体系も整っておらず人数も100人足らずの少数であったが、次第に組織も整備され人員も増やされてゆく。

1918年4月11日から12日の深夜にかけて、チェーカーはモスクワのアナーキストが立てこもる20軒の住居を襲撃し520人を拘束、25人を処刑した。これがチェーカーによる最初の計画的な行動とされている。

皇帝一家⇒貴族、富裕層⇒一般人へ被害が拡大

ロシア皇帝ニコライ2世一家の殺害にはヤコフ・ユロフスキーら3人のチェキストが関与していたとされ、亡命できた者を除いてミハイル大公ら皇帝の親族や従者に至るまで全員が惨殺された。

チェーカーにより帝政時代の富裕層は「人民の敵」「反革命分子」となり、貴族・地主・聖職者・軍人・コサック兵は証拠も無く無制限に逮捕され処刑されていった。

民間人も対象となり、中には「外国人に道を教えた」という理由だけでスパイ活動を行ったとされ処刑される者もいた。

お約束の内ゲバへ

さらに粛清はエスカレートし、チェーカーのメンバーの処刑まで行われるようになり、内部告発にまで至ることもあった。

1921年3月、トルキスタン戦線のチェキストグループは中央委員会宛てでメンバーの処刑を非難するとともに、処刑の恐怖があるためにメンバーは人間ではなくなってロボットになってしまう、と報告している。

 

命式を見てみましょう

ヤコフ・ヨロフスキー

1878年6月19日生まれ~1938年8月2日(60歳)

・・・上 中 下  宿命星  蔵干 十二運 吉凶星

年柱 戊 寅 甲 比肩 偏官 偏印 長生  駅馬

月柱 戊 午 丁 比肩 印綬 偏印 帝旺  羊刃 血刃 囚獄 白虎殺 隔角2個

日柱 戊 辰 戊    比肩    冠帯  紅艶

時柱 丙 辰 戊 偏印 比肩    冠帯  紅艶 月徳貴人

【戌亥空亡】

【総合鑑定】殺人鬼は印星が巡ってくると「笑う」

十二運を見ると、月柱の十二運に帝旺が来ているので、身旺です。私の基準ではこの時点で身旺と判断します。

しかし、他の十二運を見ても、凄いこと。冠帯2個と、長生1個です。

強い十二運とは、帝旺、建禄、冠帯、長生の4つを言います。建禄以外はすべて揃ってます。完璧な身旺ですね。

6月生まれの戊(山の土)です。6月は午の月、戊午で、60干支の最強の干支になりますし、土にとって、暑すぎもなく、水気もある初夏は旬ですから、

月令を得ています。「強力すぎるほどの命式」です。

前に触れた、リンカーンを狙撃したブースも、強すぎるほど強い命式でした。マッキンリー大統領狙撃犯もそうでした。

世界の大国、最後のロシア皇帝を銃殺し、ロマノフ朝を断絶させる為に、ふさわしい男として、この男が現れたのでしょうか?

 

★日本史、特に幕末など、大物の暗殺者は、ターゲットを倒すのにふさわしい強い命式を持った男が多いです。

不謹慎かもしれませんし、ロシア正教に失礼かもしれませんが、「神の配剤」もとい「歴史の意思」のようなものを感じるのは私だけでしょうか?銃殺は、ユロフスキーが命令し、9人の部下が行いました。

 

《印星殺の成立》

印綬1個、偏印2個で、この男も印星殺が成立します。

殺害実行日のこの男の行運を見てみましょう。

1918年07月17日

・18年 戊午丁 比肩 印綬・・・血刃2個、羊刃4個

・07月 己未己 劫財 劫財・・・羊刃

・17日 乙丑己 正官 劫財

実行日は別として、年運には印星が巡ってきています。実行日の2週間前の7月4日に部下9人を引き連れてイパチェフ館担当となって赴任してきたので目的は明解です。

9人の部下は、帝政ロシアで、抑圧され皇帝に恨みを持つ、ハンガリー系ロシア人、ラトビア人で構成されていました。

最近のロシアの研究では、レーニンは、皇帝一家殺害を指示していないとの、報告もありますが、相手が相手だけに、ユロフスキーの独断とは、私は思えません。

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3 件のコメント

  • ユフロフスキーはかなりの長時間労働だったのですね。現代でもそうですが長時間労働をしていると近視眼的になってきます。自分の境遇は支配層(王族)のせいだと思ってしまったのかもしれません。殺す側と殺される側の廻り合わせは不思議なものです。チェーカーの粛清ぶりは恐ろしいです(@_@)

    • きなこさんへ

      鋭い視点ですね。日本も先の国会で「過労死法案」といわれた「高度プロフェッショナル法」が可決されました。
      日本にもユロフスキーのような男が増えるかもしれませんね。

  • 非公開希望さんへ

    トドコは今年の1月11日で更新がストップしました。丁度チョンカマ爺のイザーマンの大ゴケしたドラマの出来が悪くて、プロデューサーから台本の書き直しを命じられて忙しくなったからです(爆)
    ここ、笑うところです。その後も人気ランキングは毎日チェックしていましたが、8カ月間、記事も更新しないのに65位で下げ止まっていました(爆)
    普通なら、200位圏外に消えるところですよ。そうしたら9月1日から、記事も更新しないのに、59位に上がってきて、するするとい一ページ目(1位~50位)に上がってきました。
    そして20位台になって、初めて記事を更新したのです(爆)
    イザーがランキングを金で買っている非常に分かりやすい例です。BBの出版を応援するのに、自分の過疎ブログでやるとばれるので
    トドコを復活させたんですよ(笑)
    資金が足りないから、BBの5位以内を諦めて、余った資金をトドコに回したんです。
    ブログランキングの社長の名前を見たら、実に香ばしいお名前でした(爆)

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