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NECの死闘㊱-2|イザーマン・BB覚醒・ふぶきの部屋・創価朝鮮チームとの戦い(総括編)

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36-1の続きです

NECを離れた後、「オウム真理教事件」が世の中を騒がすようになり、教団の幹部でスマートで弁の立つディベート巧者の人物がよくテレビに出るようになりました。

上祐史博

概要

福岡県三潴郡城島町(現・久留米市)で銀行員の父と元教師の母の間に生まれる[2]

その後、父親が東京の貿易会社に転職し、一家で上京するが、父親の女性問題によって両親が別居し、母子2人暮らしとなる(両親が正式に離婚したのは上祐が出家した頃[3])。

早稲田大学高等学院、早稲田大学理工学部を経て、1987年早稲田大学大学院理工学研究科修士課程を修了し、同年4月に特殊法人宇宙開発事業団(現:独立行政法人宇宙航空研究開発機構)に入る。

宇宙開発事業団に入った理由は、当時の宇宙開発事業団会長がNHK教育テレビジョンで「これからの地球を救うのは宇宙である」と話しているのを聞き、感銘を受けたためである[3]

 

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私がNECにいたころ、未だNASDAにいたんですね。一か月で退職したようです。やったことは悪い。関与した教団ももちろん許せませんが。

その問題は、また別の機会にしましょう。残念なのはそのころすでに教団に入信していたんですね。

この人が麻原と「縁」の生じない人生を見てみたかったと思います。

恐らく理事長ぐらいにはなったと思います。まあ、自分で選んだ人生ですけど。

あれから、20年以上たってダヤン氏と「縁」が生じるとは思いませんでした。良い意味で「奇縁」だと思います。

 

もう一人います。

広瀬健一・・・Wikiより

オウム真理教元幹部。元死刑囚。東京都出身。ホーリーネームはサンジャヤ。

オウム真理教の階級は菩師長だったが、地下鉄サリン事件直前に正悟師に昇格した。

オウム武装化要員のテストケースとして、入念な洗脳を受けた。

教団が省庁制を採用した後は、科学技術省次官の一人となる。早稲田大学理工学部応用物理学科卒業、早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程修了。大学院時代、国際学会に出した論文『高温超伝導の二次元』が、当時の世界のトップサイエンスであると評価された。教団のPR番組「真理探究」に出演していた。2018年7月26日、死刑が執行された

人物

長男として東京都新宿区に出生[3]。両親は共働きで、夕食時は必ず家族で食卓を囲むなど、絆の強い家庭に育つ。性格は明るく穏健。小さい頃はエンジニア志望だった[4]

小学校時代

多摩市立北諏訪小学校卒業[3]。新宿の進学塾に通いトップクラスの成績だった。父親に勧められて始めた剣道にも生真面目に取り組み、中学1年生の時に初段の免状をもらう[3]。この頃、中学教師から「級友の面倒見がよく、素晴らしい生徒に出会えて幸せだった」と絶賛されている[5]

高校時代

高校は早稲田大学高等学院に進学。私立の御三家武蔵高校にも合格したが、有意義なことに時間を使いたいとエスカレーター式の高校を選んだという[3]。家計を助けるため自ら率先して高校から大学院にかけて奨学金を受け、学費のほとんどを自身で工面、母親と一緒にメッキ工場でアルバイトする親思いの青年であった[3]

高校3年生の時、家電店で値引商品を見て「技術開発をしても直ぐに新しいものに取って代わられ、商品価値が失われたり、軍用兵器に転用されたりする」と、無常観(物ごとの価値が変化することに対するむなしさ)を感じた[注 1]。以降、物事の価値が気にかかり「むなしさの感情」を通して世界を見るようになる[6]

1983年3月、早稲田大学高等学院卒業。

大学・大学院時代[編集]

1983年4月、早稲田大学理工学部応用物理学科へ進学。応用物理の道へ進んだ。半導体素子のような研究であれば直ぐに価値がなくなることはなく、世の中の役にも立つとの考えであった。学業や学費のためのアルバイトに忙殺され、高校時代に抱いた「生きる意味」の問題を考えることはなかった[6]

1987年3月、早稲田大学理工学部応用物理学科を首席で卒業し、総代として挨拶もしている。

1987年4月、早稲田大学大学院理工学研究科物理及び応用物理学専攻修士課程に進学。

6月、指導教授と『高温超伝導の二次元』の論文を共同執筆し、国際会議に提出するが、この研究は進歩して初めて結論が出るものだったため、国際会議では正当に評価されず却下された。翌年のスイス会議では「世界のトップサイエンス」と高評価を受けた。

学部4年・修士2年の3年間を指導した教授は

「これまで指導した学生の中でトップクラスの秀才」

「博士課程に進んでいたらノーベル賞級の学者になった。世界の物理学に根本的な違いがあった」

と悔やんだ。NECの中央研究所に就職が内定していたが、オウム出家のために辞退した[3]

 

極刑は免れなかったと思います。日本は「法治国家」ですから。この問題はまた別の機会で述べたいと思います。死刑を執行された幹部たち全員の命式は鑑定していますから。

私が気になるのは

NECの中央研究所に就職が内定していたが、オウム出家のために辞退した[3]

の箇所です。

NECは普通、内定時に「配属先」まで教えません。私も役員面接、奇しくも後で知ったのは、経理担当の副社長でしたが、配属先は告知されませんでした。

充分に手ごたえを感じましたけど。喋らされた内容は、卒論の「レーガノミックスとケインズ経済学との比較」でした。

レーガノミクス

またはレーガノミックス(英: Reaganomics)は、1980年代にアメリカ合衆国大統領のロナルド・レーガンがとった、一連の自由主義および財政支出増大経済政策である。

経済活動に関する規制の撤廃と緩和による自由競争の促進、社会保障支出の増大と軍事支出の増大、減税、その結果としての消費意欲と需要の増大による経済増大政策を遂行した[1]。グループ・ブリュッセル・ランバートがコールバーグ・クラビス・ロバーツやフィデリティ・インベストメンツと連携しM&Aを流行させ、経済規模は増大した。レーガン政権は結果として貿易赤字・財政赤字(双子の赤字)を増大させた。

 

当時としては、いわゆる「トレンディ」な経済学でした。

平成以降、特に売国朝鮮人総理の小泉純一郎と和歌山の部落民の息子の竹中平蔵によって、21世紀になり、18年間、「デフレスパイラル」と「長期停滞」が続いています。

レーガノミックスの悪い面「新自由主義経済学」を理解不能な低能総理大臣と、他人の論文を盗作して博士号をとった(誰かに似てるな(爆))、インチキ経済学者の竹中平蔵が、誤った外科手術と劇薬を日本経済に処方したために、現在の「超格差社会」と「貧困の増大」が起きたのです。

小泉チョン一郎の5年の政権が終わった後、日本人の平均年収は約300万円になりました。

国会の不毛な「モリカケ論戦」でろくな審議もしないまま、いつの間にか通過した「過労死容認法案」の「高プロ制度」で、いずれは、日本人の平均年収は100万円まで下がるといわれています。

 

嘘のような話ですが、小泉が総理になる2001年の3年前の小渕恵三総理の時は、日本人の平均年収は約600万円で、「一億総中流社会」と言われていたのです。

私が卒論のテーマに選んだ「レーガノミックス」の時代は、アメリカは、持続的なインフレに苦しんでいました。

インフレは国民経済を蝕む「癌」で、いずれは国家を死に至らしめると信じられていました。

同時期に英国初の女性首相となったサッチャー登場前のイギリスは「高福祉」に甘えた国民が働こうとしなくなり「英国病」と言われていました。

サッチャーは、ロンドン市内で遊び惚ける若い女性を見つけては「働きなさい」と言い続けました。

日本は、赤字を垂れ流し続け、ストライキと怠業をやめない旧国鉄の処分に苦しんでいました。

これが「行政改革ブーム」「民営化ブーム」につながりました。

★当時の私は、それなりに、「時代の要請した経済学」として、プラスに評価していました。

しかし、今から振り返ると、間違ってました。世界史と世界経済史の長いトレンドで見ると「インフレだった時代」は圧倒的に短いのです。

★アベノミクスの「中間評価」は別の機会に譲りたいと思います。

 

話は戻りますが、NECが「就職したいランキング理系、文系ともトップ」だった時代、1年に900人近い新卒を取っていました。

ほとんどは理系=技術屋ですが、東大、京大、東工大、早慶の理工学部、旧帝国大学、から下は東海大学、他は高専卒の人まで幅広く。

東海大学は創立者の松前重義と「NEC中興の祖」と言われた小林幸治会長の個人的な人脈で「採用枠」を設けていたようです。

松前重義・・・・Wikiより

日本の官僚・政治家・科学者・教育者・工学博士で、東海大学創立者である。内村鑑三に師事したクリスチャン[1]である。日本社会党衆議院議員で、ソビエト社会主義共和国連邦との交流促進に尽力した。戦後すぐに、逓信院総裁(戦前の逓信大臣、のちの郵政大臣)を歴任。

 

知っている人は少ないと思いますが所謂「技官」=「技術官僚」で最も出世した人で「技官のドン」でした。

800人近い理系の新卒を取るわけですが、当然初めから、「扱い」と「出世コース」が違います。

広瀬健一が内定時に「中央研究所」(NECでは「中研」と呼んでいた)配属を告知していたとしたら、社長以下絶対に取りたい人材でした。

恐らく、広瀬の「内定辞退」で人事担当者の一人の首は飛んだはずです。

NECの技術屋の先輩が後輩をリクルートするときの殺し文句が「NECに来れば君の研究したいテーマに湯水のように好きなだけ金を使えるよ」でした。

しかし、これは嘘で、800人の理系新卒のうち上位10%にのみ許される特権でした。

事業部に配属された技術屋は、「工場駐在の経理マン」から、「コストを削減しろ」とか「何にこんなに金を使ったんだ」と追及されます。

常に「コストベネフィット(収益と研究開発費のバランス)」を追及されるのです。

それが、唯一、全く無干渉なのが、中央研究所でした。

80人前後の「超エリートの技術屋」が、上司の許可を受けて、「商品化」が何十年後になるかわからない研究をマイペースで続けるのです。

川崎市の宮前区の丘の上にある「森閑とした研究所」でした。

ここの駐在となった経理マンは悲惨です。浮世離れした天才的な技術者が好き勝手に大量の実験用具を購入する。しかも発注伝票も書いてない。

 

経理マン「伝票は書いたんですか?」

技術屋「君が書いといてくれる」

経理マン「馬鹿やろー」

 

の世界の日常だったそうです。

話は長くなりましたが、これがNECと受刑したオウム幹部との奇縁でした。

話はUターンして、NHKのドンだった会長の島桂次に戻ります。

次号へ続きます。

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2 件のコメント

  • レーガノミクスという経済政策があったのですね。当時はまだ中学生だったので、全く知りませんでした。自由主義の部分と財政支出増大のバランスを捕るのが難しそうですね。上祐さんは、○の輪でやっていくしかなく、もう普通の仕事には戻れないですね。宇宙開発事業団に夢を見すぎていたのかな。広瀬死刑囚も素晴らしい才能があったのに棒に振ってしまいもったいなかったですね。オウムは宇宙戦艦ヤマトに影響を受けていたから、上祐さんも広瀬死刑囚も、入った会社が想像以上につまらなく、もっと人類全体に貢献したいと思っていたのかもしれません。

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