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女子高生コンクリート殺人事件総括➂|戦後起きた在日朝鮮人の残虐殺人事件(2)

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②からの続きです。

昭和天皇暗殺未遂・桜田門事件、犯人の李は、朝鮮独立を目指す「金九が組織した」抗日武装組織・韓人愛国団(大韓僑民団)から派遣された刺客であった。

「桜田門事件」

桜田門事件(さくらだもんじけん)は、1932年(昭和7年)1月8日に起きた昭和天皇の暗殺を狙った襲撃事件で、四事件ある大逆事件の一つ(最後)である。犯人は朝鮮出身者の李奉昌で、天皇に危害を加えようとしたかどで大逆罪に問われ、死刑となった。

1932年1月8日、陸軍始観兵式のため、行幸が行われていた。午前11時44分頃、行幸の帰りに、皇居・桜田門の外、麹町区桜田町警視庁庁舎前に通りに差し掛かった鹵簿の馬車に対して、突然、奉拝者の線から沿道に飛び出した男が手榴弾を投げつけた。

狙われた馬車は第二両目の御料馬車で、宮内大臣一木喜徳郎が乗車するものであった。手榴弾は左後輪付近に落ちて炸裂し、馬車の底部に親指大の2、3の穴を開けたが、手榴弾は威力が小さく、馬車と隊列はそのまま進んで午前11時51分頃、皇居内に到着した。

後に破片で、騎乗随伴していた近衛騎兵1人とその乗馬と馬車馬の馬2頭が負傷していたことがわかった。

襲撃者は一名で、警視石森勳夫、巡査本田恒義、山下宗平、憲兵河合上等兵、内田軍曹の五名によって即座に逮捕された。

犯人は朝鮮京城生まれの李奉昌という人物で、朝鮮独立を目指す金九が組織した抗日武装組織・韓人愛国団(大韓僑民団)から派遣された刺客であった。

以上

 

 

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爆弾テロ事件・上海天長節爆弾事件、

上海天長節爆弾事件

第一次上海事変末期の1932年(昭和7年)4月29日に上海の虹口公園(現在の魯迅公園)で発生した爆弾テロ事件。

朝鮮半島からの日本による支配を駆逐する事を目的とする大韓民国臨時政府の内務総長・金九は、第一次上海事変での格納庫や軍需倉庫の爆破による後方攪乱、本庄繁と内田康哉の暗殺計画などを策していたが、いずれも失敗に終わっていた。

そんな中、この攻撃実行の恰好の機会に、自ら志願した尹奉吉を攻撃の実行犯として差し向ける事にした。

尹の目的は「植田謙吉、白川義則の両司令官の殺害」であったので、それ以外の人間を巻き込まないよう威力の大きい弁当型は使われなかった。

この爆発で、上海居留民団行政委員会会長河端貞次が即死、第9師団長植田謙吉中将・第3艦隊司令長官野村吉三郎海軍中将・在上海公使重光葵・在上海総領事村井倉松・上海日本人居留民団書記長友野盛が重傷を負っている。

重光公使は右脚を失い、野村中将は隻眼となった。白川大将は5月26日に死亡した。

犯人の尹は、その場で自殺を図ろうとした所を上海海軍特別陸戦隊により取り押さえられ、上海派遣軍憲兵隊により検挙、軍法会議を経て12月19日午前7時に金沢刑務所で銃殺刑となった。

以上

 

テロリスト金九の最初の仕事は、集団で暴行、殺害し金品を強奪

鴟河浦事件

1896年3月9日、李氏朝鮮の黄海道安岳郡鴟河浦で、金九らが、日本人・土田譲亮を集団で暴行、殺害し金品を奪った事件。この事件で金九は金品を奪って逃走、捕縛され、強盗殺人犯として死刑判決を受けた。

後に特赦により減刑され、さらに後、脱獄する。 以後、金九は独立運動家としての道を歩むことになる。

 

取調べ調書

金九(金昌洙)は24日竜崗から安岳に行く途中で鄭一明、定平、金長孫、金致亨と同じ船に乗って鴟河浦に到着し、同一の宿に宿泊した。

早朝に朝飯を終えて旅に出ようと思ったが、店幕(宿屋のこと)の法道(礼儀作法)は旅人に食膳を与える時は老少を判別し、その規則を守らなくてはならないが、短髮で刀のようなものをさした人が食膳を先に要求すると女店員がその人に先に食膳を与えるので心で甚だしく憤慨した。

その人の本貫を調べると日本人なので(不倶戴天の仇)と思い胸の血が騒いだ。

日本人がわき目をしているうちに足で蹴り倒し、手で撲殺し凍った川に捨てた。

腹にあった財布からのお金で宿賃を支払い、3人の資金として使うことにした。

奪ったものは 環刀、ロバ1頭 小判75両程度。

ロバ1頭 残金をもち 単騎で載寧に向かった。

同年 3月に家に帰って来てから海州巡使に逮捕された

一部には土田は日本商人の武装行商団の一員であったという主張もあるが、これは明らかな誤りである。

 

韓国での評価「閔妃殺害事件と全く無関係な日本人に対しておこなった(集団)強盗・殺人事件」

 

韓国人の一部では鴟河浦(シガホ)事件は1896年の閔妃殺害事件(1895年10月8日)に憤った鴟河浦義挙と呼称するが、これは一般的な意見ではない。閔妃殺害事件と全く無関係な日本人に対しておこなった(集団)強盗・殺人事件は金九のおこなった犯罪行為とみなされており、金九はテロリスト、殺人者とされている。

むしろ金九を英雄に祭り上げている人たちに反発する人たちの方が多数派である。

「正しく解釈し書き下ろした白凡逸志」の著者である韓国の歴史問題研究所のぺ・ギョンシクは次のように明らかにした。

確認可能の資料にも陸軍中尉という記録はなく、日本公使館の報告書や朝鮮の官吏の報告書、独立新聞の事件報道は、一様に土田を商人と記している。金九も土田が陸軍中尉ではないことを知っていた。意図的に記述された可能性が高い。

自分が殺した日本人が明成皇后の殺害と関係のない民間人だとすれば、復讐という名分が成立し得ない。

また、金九が自身の著作で一人で行った殺人行為としている点についても複数犯であること金九自身の供述書に書かれている。

以上

★要するに、仲間と集団で殴る蹴るの集団リンチをやって、一人の罪もない日本人商人を惨殺し、金品を奪った強盗殺人だったのです。

逮捕され、前科者になった金九は出所後、まともな職もなく、拍付けするために「日本の軍人を殺した」と朝鮮人の国民芸の「嘘」をついたのです。

それでは、金九の命式を見てみましょう。

次号へ続きます

 

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