女子高生コンクリート殺人事件総括㉕|人食いオカマ・ハールマンの命式

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㉔からの続きです

≪辛巳―死タイプのサイコパス、ドイツの連続殺人鬼、フリッツ・ハールマン≫

フリッツ・ハールマン・・・Wikiより

1879年10月25日 – 1925年4月15日

ドイツ・ハノーファー出身の著名な連続殺人犯。

同名の父親フリッツは権威主義的な教育スタイルをとり、母親は彼を甘やかした。

兄からは幼年時代に彼の性的自制心を希薄にするに至った、長期間にわたる性的虐待を受けたと考えられている。

1895年

ハールマンは機械工の見習い修業を終えたあと、軍の士官学校に通った。その頃に落下若しくは日射病に罹ったような幻覚を生じ、同じ症状が再度起こったので、彼は退学を願い出た。その後、職が無く、父親に入れられた葉巻工場の仕事にも熱心で無かった.

近所の子供たちへの性的虐待に熱中した。この行状は刑事訴訟に至り、「矯正できない意志薄弱」と認定されてヒルデスハイムの精神病院に収容された。収容はそれ自体が心的外傷となる経験であった。

1899年

彼は何度も逃げるようにスイスで過ごし、に戻ってきた。

1900年

軍隊に招集され、コルマールに配置された。そこで彼は失神の発作を起こし、4ヶ月間感染症病院に入院し、恩給が送られた。ハノーファーに戻ると養育費に関して父親を告訴して、2人はつかみ合いの喧嘩をした。彼は父親から資金を借り、すぐに破綻する事になる精肉店を開いた。

1905年

ハールマンは性感染症に罹り、これをきっかけに主に駅をうろつく若い浮浪者や家出少年たちを相手とする同性愛に向かった。この時から小悪党としてのハールマンの犯罪歴が始まり、17件の有罪判決に至った横領、窃盗、不法侵入、盗品売買を犯した。

彼は同時に警察の情報提供者でもあった。第一次世界大戦中は刑務所で過ごした。最終的には旧市街地の歓楽街の一角、ローテ・ライエ通りの屋根裏部屋に落ち着いた。

1919年

ハールマンは同性愛の関係を通してハンス・グランスと知り合った。グランスは20歳にも満たない小悪党であった。彼らの関係は数年間続いた。

連続殺人
死体の一部を燃やしたハールマンのアパートのガスオーブン (1924年12月)1919年から1924年にかけて、ハールマンは少なくとも24人を殺害している。ハールマンの犠牲者はハノーファー中央駅をうろついている若い男性浮浪者や男娼だった。ハールマンは彼らを自分のアパートに誘い、男色行為中に犠牲者の喉を噛み破って殺害した。

TruTV Crime Libraryは27人、牧逸馬の著書によると裁判記録にある犠牲者数は28人、ハールマンは少なくとも48人は殺害したと主張。

彼の共犯者で同棲相手でもあったハンス・グランス

慈善団体に犠牲者の服を寄付したり安く売りさばいたりした。(ハールマンは古着商人)グランスの着ていた服は犠牲者のものであった。しかしハールマンはグランスがハンサムな少年を殺すように唆しはしたが、それ以外は殺人には関与していないと証言した。

逮捕・裁判


ハールマンがライネ川に廃棄した多数の白骨化遺体が下流に流れ着いた事で事件が発覚、逮捕された。

ドイツ社会を更に揺るがした不面目な事実は、警察の事件に対する関与であった。ハールマンは他の犯罪者をしばしば捜査官に引き渡していた警察の情報提供者だった。ハールマンが逮捕されるまで、警察は探していた連続殺人犯が彼らのよく知る人物で、目と鼻の先にいる事に全く気付かなかった。

1924年12月19日

有罪判決を受けた。

1925年4月15日早朝

ハノーファー地方裁判所の刑務所でギロチンによる斬首刑に処された。

グランスのその後

グランスは24件の殺人の1つを教唆したとして有罪となり、同様に死刑を宣告されたが、グランスの無実を明言するハールマンの手紙の開示により、2審では12年の禁固刑となった。グランスは刑期を勤め上げた後、1975年に亡くなるまでハノーファーのリックリンゲンに住み続けていた。

 

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人食いオカマ・フリッツ・ハールマン

※真ん中のおっさんがフリッツ

 

総合鑑定|人食いにして、サイキックバンパイア、

・十二運を上から見ていくと、絶、冠帯、死、絶で身弱です。10月生まれの辛(小刀)です。

・涼しくて金属の分子が引き締まるので、旬の季節です。従って月令は得ています。しかし、総合しても、命式の構造は強くは有りません。

・吉凶星は、羊刃以外は、天徳貴人と月徳貴人のみです。一見よさそうですが、LGBT発言の杉田水脈のところで述べたように、ほぼ、吉星ばかりの人は、周囲の「運気」を食べてしまいます。若い男色家や、男娼を殺して食ったように、まさに「人を食って」パワーを増してきたサイコパスでしょう。

 

≪印星殺の成立≫

偏印が1個、印綬が2個有ります。印星殺の成立です。

 

ギロチンで斬首刑にされた日の行運(大運、年運、月運、日運)を見てみましょう。

処刑は45歳ですから、大運は、36歳~46歳;庚午―劫財―病・・・羊刃2個

・25年 乙丑己 偏財 偏印

・04月 庚辰戊 劫財 印綬・・・羊刃、血刃

・15日 己巳丙 偏印 正官・・・血刃、駅馬2個

殺気の星、羊刃が2個巡ってくる10年間でした。

印星殺を持つ人物にお約束の、印星が巡ってくる年、月、日でした。

4月は、殺気の星の羊刃と、血刃が巡ってきます。15日も血刃が来ます。また駅馬が2個来るので【血刃&駅馬の魔のペア】が2組成立します。まるで、判を押したような処刑の日でした。

湊もギロチンで公開処刑でもよいと思います。

次は、4人目の渡邉恭史です。

女子高生コンクリート殺人事件総括㉖|4人目の主犯・渡邉恭史

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