無限拡散|デニス・テン(11)|閔妃の血族だった

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(10)からの続きです。拡散希望です。

近代化|李氏朝鮮に「開国」を促した明治政府

日本政府は、幕末のペリー来航以来、科学技術と軍事力の発展した西欧列強の前では「鎖国」を続けることは、無意味であることを悟り、開国し、列強と通商条約を結び、近代教育と科学技術をどん欲に導入していました。

その日本を横に、地政学的に「クリティカル(重要)な」位置にある、李氏朝鮮が「惰眠」で「鎖国」を続けていることほど安全保障上の脅威は有りませんでした。

朝鮮半島が、清国、ロシア、いずれの支配下に落ちても、日本本土が危機に陥るのは見えています。

清国は、イギリスとの阿片戦争、英米とのアロー号戦争に負けても未だ「眠れる獅子」と呼ばれていました。

実力者の李鴻章の元「洋務運動」を続け、海軍力をアップさせて「北洋艦隊」を編成し、日本に軍事的圧力をかけていました。

日本からの「開国勧告書」を受け取った李氏朝鮮の実力者の興宣大院君は、日本の国書に、御名がある明治天皇の「皇」の字が、清国皇帝様に無礼じゃといって、激怒して、相手になりませんでした。

 

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興宣大院君(こうせんたいいいんくん)とは・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190705160540/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%88%88%E5%AE%A3%E5%A4%A7%E9%99%A2%E5%90%9B

李氏朝鮮末期の王族。母は郡夫人驪興閔氏。高宗の実父。

1864年1月から1873年11月まで、高宗の実父として朝鮮の国政を司り、外戚の専横排除に関連した古い体制打破を目的とした、具体的には有能な人材の登用、官制改革の実施、小作人制度の撤廃による農地の平等分与などを目指した。

また外戚の専横排除を目的に閔妃を高宗の王妃にするが、かえって国政から追放された。乙未事変により閔妃が暗殺された後も政治の舞台に復帰することなく1898年、79歳で死去した。

★一言でいうと、20世紀を迎えようとする朝鮮半島で「時計の針」が14世紀で止まったままの頑迷な老人でした。

興味があるのは「宮廷内の権力闘争」のみ。

為政者としては、外交や安全保障はおろか、国民の存在すら意識にない人でした。

息子の嫁の閔妃と権力争いに明け暮れ、互いの側近を殺しあう血みどろの権力闘争でした。

舅の大院君と嫁の閔妃の争いは、例えれば、燃え盛る家の中で、お互いに火鉢を投げつけあうような「愚劣」なものでした。

大院君も閔妃も、自分の立場を守るためには、すがる相手を、日本、清国、帝政ロシアと猫のように目まぐるしく変えて、隣国の3国を翻弄し、迷惑をかけました。

閔妃とは・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190705162047/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%96%94%E5%A6%83

李氏朝鮮の第26代王・高宗の妃。明成皇后[2](めいせいこうごう、ミョンソンファンフ)、朝鮮王后(閔氏)とも呼ばれる。本貫は驪興閔氏(れいこうみんし)。

・国王の正妃として強い権力を持ったが、真霊君の預言に依存し、世道政治と官吏の汚職、そして義父興宣大院君との権力闘争により政局を混乱させた

・朝鮮訓錬隊、朝鮮警務使などに開化派や大院君派など閔妃の国政壟断に不満を持つ朝鮮人に加えて、日本軍守備隊、領事館警察官、大陸浪人らが乙未事変で王宮内に侵入し、閔妃は景福宮・乾清宮内で禹範善に暗殺された。

・死後、高宗の父で対立していた興宣大院君によって平民に降格されたが[10]、のちに復位している。

 

朝鮮史上、最も有名な女性は、デニス・テンの高祖父の血縁者

最初に出てきたデニステンの高祖父の、閔肯鎬(ミンゴンホ)も同じ姓「閔氏」で本貫(ほんがん)が驪興閔氏(れいこうみんし)なので祖先を同じくする氏族です。

驪興閔氏(れいこうみんし)とは・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190623070324/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AA%E8%88%88%E9%96%94%E6%B0%8F

朝鮮の氏族の一つ。本貫は京畿道驪州市である。2000年調査では、142572人。

王朝では決して有力な家門ではなかった。

・19世紀中ごろ、驪興閔氏出身の女性の一人が、本流から外れた王族の李昰応の夫人となった。

・彼女が生んだ次男の命福が26代高宗となり、李昰応が興宣大院君となった。

・高宗の妃も驪興閔氏の閔致禄の娘が選ばれた。閔妃(明成皇后)である。

・閔妃は一族を積極的に登用し、大院君が失脚すると驪興閔氏が政権の重職を占めた(閔氏政権)。

難しい漢字が続きますが、辛抱してついてきてください。

驪州市(れいしゅうし)とは・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190516084215/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A9%AA%E5%B7%9E%E5%B8%82

は大韓民国京畿道の南東部にある市である。

 

京畿道(けいきどう)とは・・・・Wikiより

大韓民国北西部すなわち朝鮮半島中西部に位置する行政区で、朝鮮八道における「京畿道」からソウル特別市と仁川広域市、及び朝鮮民主主義人民共和国の統治範囲を除いた地域。道庁所在地は水原市。西は黄海に面している。

人口はソウル特別市より多く、韓国で最も人口の多い広域自治体である。

人口は韓国で最も人口の多い広域自治体で、ソウルを除きますから。

日本でいえば、東京都から23区を除いた地区というイメージでしょう。

本貫(ほんがん)とは・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20190408085210/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%AC%E8%B2%AB

古代東アジアにおいて戸籍の編成(貫籍)が行われた土地をいう。転じて、氏族集団の発祥の地を指すようになった。

日本には律令制下の戸籍制度とともに概念が導入された。中世以降、武家の名字(苗字)の由来となった土地(名字の地, 一所懸命の土地)を「本貫」、「本貫地」(ほんがんち)と呼ぶようになった。

本貫は、個人の戸籍の所在地の意味を離れ、氏族集団(宗族)の始祖の発祥地として使用された。とくに大韓民国では現在も家族制度上大きな意味を持つ。

★非常にわかりにくい概念ですが、かつて日本にもあり、今は存在感は有りませんが、韓国では、家系の証明や、婚姻では重視されるようです。

日本の例でいうと、先祖を辿ると、源平藤橘(げんぺいとうきつ)に行きつき。

例えば、源氏を例にとると、甲斐の国の源氏は、武田氏、常陸の国の源氏は佐竹氏、将軍にもなった足利氏は、下野の国の源氏というイメージでしょう。

デニステンは韓国に招かれたときに、聯合通信(れんごうつうしん)から、あなたは閔妃と同じ本貫ですよ。といわれたそうですから先祖を辿れば、血縁なのでしょう

次号へ続きます。

無限拡散|デニス・テン(12)「血族」閔妃の実像

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2 件のコメント

  • 王侯貴族に言うのもなんですが、相手を問わず、余計な喧嘩をふっかけているような物凄い御面相ですね!

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