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四柱推命学の歴史と発展

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四柱推命学の歴史と発展

※続きです。

四柱推命とは・・・・・Wikiより

http://archive.is/AU7gt

中国で陰陽五行説を元にして生まれた人の命運を推察する方法である。

四柱推命という呼称は、中国の原書に見ることができない。日本独自のものであるが英語圏で”Four Pillars of Destiny” もしくは”Four Pillars Astrology”と呼ばれているように、既に世界的に使用されている。中国では、「子平」「三命」「命学」「命理」「八字(パーツー)」などといわれている。

沿革

1100年代、南宋の徐居易(徐子平)の書が文献考証的に四柱推命の最古となるため、徐子平が命学の祖といわれている。続いて1200年代に徐大升により『淵海子平』(えんかいしへい)という書が著され、1368年頃、明の軍師・政治家であった劉基(劉伯温)が『滴天髄』(てきてんずい)という書を著したとされている。

 

南宋とは・・・・・Wikiより

http://archive.is/MPBf5

1127年 – 1279年)は、中国の王朝の一つ。趙匡胤が建国した北宋が、女真族の金に華北を奪われた後、南遷して淮河以南の地に再興した政権。首都は臨安(現杭州)であった。

解説の通り、宋王朝が、満州族の金に、華北(黄河以北)を奪われて、勇猛な狩猟民族と戦っても勝てないので、騎馬軍団の攻撃を、彼らが渡河しにくい、淮河や長江(揚子江)などの大河を自然の障壁として「専守防衛」で作った北宋の後継王朝です。

★首都の臨安(現杭州)は上海のすぐ近くで、日本とよく似た、稲作に適した「温帯モンスーン気候」です。

従って、「四季の有る世界」を前提として、占術理論が組み立てられています。

 

モンゴルのヨーロッパ侵攻と「世界史」の始まり

バトゥの征西とは・・・・・Wikiより

https://web.archive.org/web/20191122125000/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%B3%E3%82%B4%E3%83%AB%E3%81%AE%E3%83%AB%E3%83%BC%E3%82%B7%E4%BE%B5%E6%94%BB

モンゴルのルーシ侵攻

1223年のカルカ河畔の戦いに始まり、1236年のバトゥの西征で本格化する、ルーシ諸国に対するモンゴル帝国の征服戦争である。

1223年のカルカ河畔の戦いでは、スブタイとジェベのモンゴル軍偵察隊にルーシ諸侯やキプチャク(クマン人)連合軍が挑み、ルーシ・キプチャク連合軍が大敗したが、モンゴル軍はルーシの征服は行わず東へ去っていった。その十数年後、バトゥは征西のために大軍を率いてルーシおよびヨーロッパへの大規模侵攻を開始する。これに対し、キエフ大公国の分裂後のルーシを割拠するノヴゴロド公国、ウラジーミル・スーズダリ大公国、ハールィチ・ヴォルィーニ大公国などが戦ったが、結果はルーシ諸国の大敗に終わり、ルーシの人口に甚大な被害が出た。人口の半分を失う結果になった[1]という見方もあれば、犠牲者は50万人ほどという見方もある[2]

★モンゴルの「ルーシ諸国(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ等)」への侵攻により、今まで東西に広いユーラシア大陸の東西で互いに接触が少なかった、東の「中華文明」と西の「キリスト教欧州文明」がつながり「世界史」が誕生したとみるのが現在の歴史学会の定説となっています。

従って、モンゴルのルーシ侵攻は、1223年からですので、南宋の徐子平が、四柱推命の原型となる占術理論を作ったときは「世界史」は未だ誕生していなかったことになります。

そして1492年のコロンブスによる、新大陸(北アメリカ)の発見。

マゼランの世界一周による南アメリカの発見。

1606年、オランダ人探検家によるオーストラリア発見。

オランダ人のアベル・タスマンで、1642年12月にニュージーランド発見。

★1100年代に南宋の徐子平が、四柱推命の原型となる占術理論を作った後に「世界史」が誕生し、およそ500年後に地球上のすべての陸地が発見されました。

再びWikiの四柱推命より

近年では、清代末の辛亥革命前後の時代に活躍した徐楽吾の著作がその数において突出しているため、日本にも大きな影響を及ぼしている。ただし、徐楽吾の論が正しいかどうかについては意見が分かれている。

日本には江戸時代中期に移入された。文政年間、仙台の儒学者桜田虎門が『推命書』という名称で『淵海子平』の訳本を出したのが、考証的に最古の書である。しかし桜田虎門は四柱推命に対する専門知識がなかったとも言われており、翻訳の質の点では疑問も残るとする評価もある。現代では阿部泰山流、高木乗流などがあるようである。粟田泰玄は阿部泰山流である。なお四柱推命に流派などない、という立場で武田考玄という研究者も活躍した。

江戸中期以降、日本にも移入され、独自の研究と発展が有りましたが、1642年の最後の陸地のニュージーランドが発見されるまで、

「南半球出身者」の鑑定をどう行うかと言う四柱推命の占術理論上の問題は起きなかったわけです。

しかし、オーストラリアやニュージーランドの人口が増え、南米大陸の植民地がスペイン・ポルトガルから続々と独立し、「世界史」の舞台に登場してくると、赤道以南の著名人の鑑定をどう行うのが正しいのかと言う議論と、技術論が当然として出てきます。

中国大陸では、南宋以降、いくつもの王朝が後退しましたが、四柱推命の研究は、国際都市、香港や、台湾などの漢字文化圏で続けられています。

 

「命式の構造的な強弱」を見る「月令」の判定に必要なために、「南半球方式」ができた

と私は推論しています。

★「月令を得ている」とよく言いますが、その意味は、命式の日柱の天干の五行が「旬の季節」に生まれているのかどうかを見ることです。

その判定基準に「四季」という気候の考えがあります。

五行のうち

  • 草木(甲、乙)は「春」生まれが「旬の季節」
  • 火土(丙、丁、戊、己)は「夏生まれ」が旬の季節です。
  • 金属(庚、辛)は「秋生まれ」が旬の季節。
  • 水(壬、癸)は「冬生まれ」が旬の季節

となります。

★「旬の季節」の月に生まれていれば「月令を得て」、命式の構造は強くなり、また得ていなけれな、「中間」であったり「弱い」ことになります。

従って、よく知られている、日本や中国中部以南などの「四季の別れた地域」と四季が逆になる南半球出身者は、季節をひっくり返す為に、四柱の「地支」を冲「ちゅう」の理論で変換する必要があります。

 

どこからが厳密な意味での「四季が逆転」している南半球出身者となるのか?

★「大家」の先生もその辺は、著書(私が読んだ限りでは)明確に区分していません。

ただ、飽くまでも私の「私見」では、「南回帰線」以南の地域と国の出身者かなと考えています。

そのあたりは、私なりにできる限り検証しました。

特に、昨年末、逮捕された日産のカルロスゴーンはレバノン人ですが、出生地はブラジルです。

カルロスゴーン・・・・・Wikiより

http://archive.is/Ap1Ur

生い立ちと来歴

祖父ビシャラ・ゴーンは、レバノンで生まれ13歳でブラジルに移住し[14][15]、ブラジル北部、ブラジルとボリビア国境近くのロンドニア州の奥地 São Miguel do Guaporé サン・ミゲウ・ド・グアポレ でゴム産業に参入[16]。最終的には農産物を売買する会社のオーナーとなった[16]。レバノン系ブラジル人である父 ジョルジ・ゴーンはロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョに居を構え、同じくナイジェリア生まれのレバノン人の女性と結婚[

1954年3月9日にカルロス・ゴーンが誕生した[20]

★ゴーンが出生した、ブラジルのロンドニア州の州都ポルト・ヴェーリョという町は、南半球と言ってもたったの南緯8度です。

今年の年初に、カルロスゴーン逮捕の記事を書くときに、従来の北半球方式と南半球方式の両方で2種類命式を作りましたが、

「南半球方式」では、何故、ゴーンが、ミシュランやルノーでスピード出世できたのか、何故あの日に逮捕されたのかは全く説明できませんでした。

従って、鑑定記事は「北半球方式」で書きました。

考えてみれば、当たり前のことです。

ゴーンの出生地のポルト・ヴェーリョと言う町は、

ポルト・ヴェーリョとは・・・・・Wikiより

http://archive.is/dSU34

1年を通して、毎月の平均気温が25度以上と言う常夏の町なのですから。

四季の逆転など有り得なかったのです。

まだまだ続きます。

 

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