東アジア反日武装戦線の残滓⑨太田竜

無限拡散|東アジア反日武装戦線の「理論的支柱」となった太田竜

※東アジア反日武装戦線とブロガー⑧からの続きです。

《その他、刑期満了でシャバに出ている幹部》

浴田由紀子・・・・・Wikiより

http://archive.is/Hu0h1

えきだ ゆきこ、1950年(昭和25年)12月19日[1][2] – )は、日本のテロリスト、元東アジア反日武装戦線“大地の牙”部隊のメンバー。同部隊リーダー齋藤和の内縁の妻であった。なお、「えきた」といわれることも多いが、本当の発音は「えきだ」である。山口県長門市出身。

人物

現在の長門市に生まれる。生家は地主だったが、農地改革で没落していた[3]

1969年(昭和44年)、県立大津高校卒業後、北里大学衛生学部に一般入試で入学。

1971年(昭和46年)、学生運動とは無縁だったが、高校の同級生の逮捕をきっかけにその救援活動に入り、伊達政保らと知り合う[5]。同年初夏に渋谷駅前でハンスト中の平岡正明らのテック闘争に遭遇し、斎藤和と出会う。程なくしてその年の秋、斎藤らと出かけた韓国への「学習旅行」が大きな契機となり、反日思想を醸成させていく[6]

浴田が、単に住所不定無職の斎藤に住居を提供するためのみの同居だったが[13]、内縁関係となる。10月、東アジア反日武装戦線の「大地の牙」に正式に加入。1974年10月14日の三井物産爆破事件で爆弾を設置するなど、「大地の牙」部隊が起こした連続企業爆破事件の犯行に関わったとされる。なお、浴田本人には爆弾製造に関する知識はなく、目覚し時計を元に時限装置を作り斎藤に渡した[14]とされるが、それが犯行に使われたかどうかは不明である。

1977年(昭和52年)のダッカ日航機ハイジャック事件において、日本赤軍の要求に基づき超法規的措置で釈放される。その後逃亡し、日本赤軍に加入。国際手配される。

1995年(平成7年)、ペルーからルーマニアに日系ペルー人を装って入国し、潜伏活動をしていたところを3月20日に身柄を拘束され、偽造有印私文書行使の容疑で国外退去となり日本へ向かう飛行機内で逮捕された。2002年(平成14年)7月4日、検察は無期懲役を求刑したが東京地方裁判所にて懲役20年の判決が下される。8月5日に上告を取り下げ、懲役20年の判決が確定した。

服役中は栃木刑務所で過ごし、2017年(平成29年)3月23日に刑期満了で釈放された。釈放の際は東京拘置所へ移っていた[24]

2017年3月、「えきたゆきこ」の筆名で作家デビューした[25][26]

★浴田由紀子は、1971年の秋の「韓国学習旅行」で当時、反政府民主化運動をやっていた、廬武鉉(故人、後の大統領)や文在寅らと会っていた可能性がある。

ちなみに韓国の元大統領の

廬武鉉・・・・・1946年生まれ

文在寅・・・・・1953年生まれ

二人とも、朴正煕大統領の打倒を目指した、左翼人権派弁護士。

 

《東アジア反日武装戦線の「理論的支柱」となった太田竜の奇妙な軌跡》

太田竜・・・・・Wikiより

http://archive.is/ViNzc

1930年8月16日 – 2009年5月19日)は、日本の革命思想家である。

本名、栗原 登一(くりはら とういち)。

樺太 豊原町出身。東京理科大学中退。元日本革命的共産主義者同盟(第四インターナショナル日本支部)委員長。

1970年はじめはアイヌモシリ独立運動、終わりごろはエコロジスト運動、自然食(マクロビオティック)や特に自然食運動の始祖桜沢如一の革命理論を取り込んでいき、家畜制度全廃、反米、フリーメーソンやイルミナティのような秘密結社を含む反ユダヤ主義、反国際金融支配となる。その後、人類は爬虫類人によって支配されているという説を取り込んでいる。

2009年5月19日腹膜炎のため死去[1]

共産主義者として

医師栗原達三郎とトミ(旧姓小林)の四男として誕生。父方は千葉県印旛郡物井村(現在の四街道市物井)に代々続いた漢方医の家系。

1942年、豊原第一尋常小学校入学。このころ、次兄(栗原東洋)がマルクス主義者として逮捕され、北海道帝国大学予科を退学になる。

1944年3月、父母の郷里である千葉県に引き揚げる。旧制千葉中学校(千葉県立千葉高等学校)2年生の頃までには、次兄の蔵書に読み耽った影響で熱心な共産主義者となっていた。戦争末期には級友たちに日本の敗戦を予告したために売国奴と見なされ、運動部の部室でリンチを受けたこともある[2]

1974年に三菱重工爆破事件などの連続企業爆破事件を起こした東アジア反日武装戦線に思想的影響を与えた。公安警察は太田を東アジア反日武装戦線のメンバーとして捜査していたが、太田の潔白が証明された。公安警察は太田の思想的人脈のどこかにメンバーがいると推理し、芋づる式に東アジア反日武装戦線のグループ全体が把握されていった。

なお、この時公安警察に拘束された直接の容疑は北海道静内町(現在の新ひだか町)にあるアイヌの英雄シャクシャイン像の台座を傷つけたシャクシャイン像事件によるものであったが、この件で裁判所から執行猶予のついた有罪判決が言渡されている。

転載以上

前掲の門田隆将氏の「狼の牙を折れ」によると、「連続企業爆破事件」が起きた時に、逃亡中だった太田は何を思ったか、自ら、小田原署に出頭した。

しかし、「黙秘権」を行使して、腕組みをしてにやにや笑って刑事の尋問には一切答えなかったという。

警察は、太田のアパートを家宅捜査した結果、爆弾マニュアル「腹腹時計」を発見したが、太田は、付箋を貼ったり、納得のいかないところは、クエスチョンマークをしたりしていたので、一連の犯行は太田の指示ではないという判断で釈放された。

 

《アネザイチカ=夢の宮一派の行動範囲内の千葉県四街道市と被る奇妙な一致》

太田は「父祖の地」は千葉県の四街道市ということだ。

四街道は、何度も記事に書いたが、アネザイチカ=夢の宮一派の「行動拠点」ともいえるエリアであり、またremmikkiのブログの管理人の黒岩みき子氏の得意ジャンルの「グルメレポート」では、紹介されるレストランは四街道が圧倒的に多い。

 

➀➁③④④は、過去に嫌がらせの書き込みがあった場所。

➀は夢の宮が書き込んできた美しが丘、➁は黒岩さんの居住していると思われる稲毛と重なる。③は西都賀、▲は統一教会の施設がある場所。

 

➀四街道市、④南流山、⑤成田、

《太田竜という「生涯パクリ思想家」》

私は、太田が死亡する数年前、大きな書店で、平積みになっている太田の著作を見た。

目にしたが、手にすることはなかった。

当時は太田龍一名義だったと思う。

直感的にいかがわしさを感じたからだ。

ルーンタロット予報みもりが、ブログで「腹腹時計」と書かなければ、太田竜の生涯に興味を持つこともなかっただろう。

太田の生涯を瞥見すると、スタートは、マルクス主義であったが、死ぬまでいとも簡単に「思想的転向」を繰り返し、最後は「陰謀論」までに手を出した。

★結論から言うと、「生涯を通して「芯」となる思想を持たなかった男」だと思う。

青少年期のマルクス主義といっても、反体制で弾圧は去れたが、当時は「流行の先端を行く思想」だった。

要するに、「その時代で売れている思想をパクり」ながら食っていくために転向を繰り返したのであって「思想家」といえるかどうかも疑問だ。

太田の様に「食っていくために、その時代で売れそうなものを次から次にパクって生きる」生き方は、インチキセミナー、「フェアジャッジという「反日テロリズム」、仕事がないときは「選挙ブローカー」をやり、「秋篠宮家派ブログ」と「反秋篠宮家ブログ」を同時に運営するという、アネザイチカ=夢の宮、真島久美子、ルーンタロット予報みもり一派の「行動パターン」と綺麗に重なるのである。

※まだまだ続きます。

 

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