2005年体制とは
2005年体制の誕生―新しい日本が始まる | 田中 直毅 |本 | 通販 | Amazon

「反小泉」で「郵政民営化絶対反対」だった私は、小泉の選挙での「大勝」も昨年のアメリカ大統領選並みの「不正選挙」とは知りながらも、「小泉純一郎&竹中平蔵」の背後にある「勢力」を知りたくて、嫌々この本を読みました。
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私が馬鹿にして信じていなかった「2005年体制」が今現在も未だ続いていたことに気付いた衝撃。
「郵政イカサマ選挙」で「独裁体制」を敷いた小泉純一郎も、2006年4月の民主党代表選で、「天敵」の小沢一郎が代表になると突然ビビりだしました。

そして、その直後の小沢一郎民主党代表が指揮した、衆議院千葉補欠選挙(2006年4月23日投開票)で、民主党の推す県議出身の女性候補の太田和美に自民党候補が敗れると、小泉純一郎は、親分のブッシュ・ジュニア大統領の「留任要請」も蹴って、勇退し、安倍晋三に総理の座を「禅譲」して逃亡しました。
小泉後の3代の総理大臣の在籍日数は
第一次安倍政権・・・・1年
福田康夫・・・・・・・・・・11か月
麻生太郎・・・・・・・・・・11か月
という体たらくで、民主党に3年間政権を奪われたのでした。
★2012年11月、第二次安倍政権成立と同時に「新自由主義者」「反日破壊工作員」の竹中平蔵が復活しました。
私が怪しげに感じながらも、見逃してしまった「2005年体制」の復活(怒)
民主党政権の3年間、深刻なデフレに苦しみ、韓国の李明博大統領からも馬鹿にされ出した日本。
「デフレと超円高」で、日本の家電産業は韓国のサムスンに一人負けしてしまいました。
新しく日銀副総裁に就任した岩田規久男学習院大学教授の持論である「インフレターゲティング政策(2%程度の緩やかなインフレ目標)」と日銀の「異次元の金融緩和」で、みるみると「円安」になり、自動車を始め、輸出産業は息を吹き返し、業績も回復してきました。

★その一方で、「貧富の格差」を拡大して固定化する「雇用政策の改悪」があった(怒)
小泉純一郎政権の2004年3月に、竹中平蔵が「労働者派遣法」の適用対象を製造業まで拡大したために、トヨタ自動車やキャノンなどの大規模製造業で、「非正規労働者」が激増しました。
正統派エコノミストの森永卓郎氏の追及に対する竹中平蔵の「子供じみた詭弁」
森永卓郎氏が討論番組で
「労働者派遣法の製造業への適用を認めたのは竹中さんですよね」

と事実確認をすると、
竹中平蔵「違いますよ、私は厚労大臣では有りませんでしたから」

全く噴飯物の「言い訳」です(怒)
竹中平蔵の無数の「悪行」をファクト(事実)で検証した下記の名著に立証されています。
竹中平蔵 市場と権力 「改革」に憑かれた経済学者の肖像 (講談社文庫) | 佐々木 実 |本 | 通販 | Amazon

P348
「竹中は頻繁に官邸の小泉のもとを訪れては打ち合わせをし、報告を挙げていた。小泉と会談する際には秘書官や官僚など第三者を一切同席させず、「人払い」して二人きりで話し合うのが常だった。総理執務室のすぐ隣に控える飯島でさえ、小泉本人から聞かない以上、竹中が小泉と何を話し合ったのかよくわからない。そして重要な局面になると必ず、「これは小泉総理の指示です」と「小泉カード」を切る。
飯島勲秘書官と言えば「インテリジェンスのプロ」とまで言われた、辣腕秘書でした。

飯島の「情報網」にも引っかからないということは、竹中は「小泉政権5年半」の全ての政策を「小泉との密談」で予め決めておいて、各担当大臣に「小泉の分身」として、「命令」「指示」していたということです。
竹中が、「私は厚労大臣じゃありませんでしたから」と言い訳する当時の厚労大臣は、公明党の坂口力でした。

1999年からの「自公連立政権」以降、現在に至るまで、公明党の閣僚ポスト数は1大臣のみです。
当時は厚労大臣、現在は国交大臣ですが、いずれも「現業官庁」で官僚から上がってくる書類に「めくら判」を押せば済む楽なポストです。
坂口力は、国会で「それらしい答弁」をした記録は有りますが、「答弁書」は竹中平蔵が代筆したものでしょう(怒)
★民主党政権時代に「非正規労働者の正社員への転換を促す」法改正がなされたが、第二次安倍政権が発足すると同時に「速攻」で竹中平蔵と菅義偉国家主席に「法改悪」され「非正規社員は一生非正規で働かされる」ことになりました(怒)
2014年9月に塩崎恭久厚労大臣が国会答弁で、「非正規労働者の方は一生非正規で過ごす働きかたもいいんじゃないでしょうか」と答弁するのをテレビの国会中継で見て度肝を抜かれました(怒)
竹中平蔵と菅義偉国家主席に言わされている塩崎大臣を見て内心「損な役回りだな~」と気の毒に思ったものでした。