1918年の「スペイン風邪」の犠牲者と四柱推命
「スペイン風邪」で死亡した歴史上の著名人④竹田宮恒久王のケース
竹田宮恒久王
日本の皇族・陸軍軍人。曾孫に作家で政治評論家の竹田恒泰らがいる。
人物
北白川宮能久親王の第1王子。妃は明治天皇の第6皇女昌子内親王。官位は陸軍少将大勲位功五級に昇る。
1906年(明治39年)、竹田宮の称号を賜り、宮家を創設。近衛騎兵連隊に属し、日露戦争に従軍した。1919年(大正8年)4月23日、当時全世界で大流行していたスペインかぜのため薨去。享年37。
台湾でマラリアの為に戦没した北白川宮能久親王の第一王子で「元皇族芸人」の竹田恒泰の曾祖父です。
命式を見て見ましょう。
四柱推命鑑定命式 竹田宮恒久王
1882年9月22日~1919年4月23日(36歳没)
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 蔵干 | 12運 | 吉凶星 | ||
年柱 | 壬 | 午 | 丁 | 偏印 | 傷官 | 食神 | 死 | 「囚獄&白虎殺」、 紅艶 |
月柱 | 己 | 酉 | 辛 | 劫財 | 正官 | 胎 | 飛刃、 咸池、 隔角 | |
日柱 | 甲 | 子 | 癸 | 印綬 | 偏印 | 沐浴 | 「囚獄&白虎殺」 | |
時柱 | 庚 | 午 | 丁 | 偏官 | 傷官 | 食神 | 死 | 「囚獄&白虎殺」、 紅艶、 月徳貴人 |
【戌亥空亡】
宿曜経 危宿
【総合鑑定】実父の北白川宮によく似た「ハイリスク型の命式」
父親と息子は遺伝的に似るが、命式も遺伝するのだろうか?
四柱推命を長年やってきて、多くの命式を見てきて、私が最近、ふと疑問に思うことです。
父親と息子は「托卵」でない限り、生物学的に「形質」が遺伝するのは当然のことです。
しかし、洋の東西を問わず、歴史上の著名人で、父と息子共に著名人であるケースはよくあります。
政治家の世襲であったり、オーナー企業の創業家の父と跡取り息子です。
私も父の命式と比較すると同じ吉凶星があったりします。
今回、ケースとして挙げた、北白川宮能久親王と長子の竹田宮恒久王、共通点は多々ありますが、ともに「感染病」に罹患して薨去されていることです。
その他にも命式を見るとよく似た特徴が見られます。
《「食傷過多」の成立》
食神が2個、傷官が2個あります。
「食傷過多」の成立です。
病気や災厄に遭いやすいと言われます。
「食傷過多」は実父の北白川宮にも有りました。
《「印星殺」の成立》
偏印が2個、印綬が1個あります。
「印星殺」の成立です。
行運(大運、年運、月運、日運、時運)に印星が巡ると運勢が暗転する怖れが有ります。
これも、北白川宮と同じです。
《「囚獄&白虎殺」のペアが3組も有る》
「囚獄&白虎殺」のペアは北白川宮の命式にはありませんでした。
《「官殺混合+偏印」の歪み》
命式中に、正官と偏官が共存しています。
この状態を「官殺混合」と言います。
偏印も同時に有ると「官殺混合+偏印」の「歪み」と私は読んでいます。
具体例を挙げると、電子書籍化しましたが、アメリカの大統領だったJFKがそうで、不慮の事故や非業の死と言った「凶兆」の暗示と見ます。
同時に偏財があれば「制化(せいか)」と言って、偏印の「凶作用」を抑えるので、心配ないと見ますが、竹田宮には偏財が有りません。
日柱の天干が「甲(大木)」で、9月生まれです。
甲は春が「旬」の季節なので、月令は得ていません。
その意味で、命式の構造は強くは有りません。
志村けんの様に紅艶が2個あります。
スター性の有る皇族だったのかもしれません。
月徳貴人という吉星が有りますが、早逝を防ぐには命式にウィークポイントが多すぎたのでしょう。
スペイン風邪で薨去した36歳の大運は
36歳~46歳 癸丑―印綬―冠帯―印星殺・・・・・羊刃 血刃
印綬の大運だったので「印星殺」の脅威の有る10年でした。
不吉の星の羊刃と、病気の暗示の血刃が来ています。
スペイン風邪で薨去した1919年4月23日の行運(大運、年運、月運、日運、時運)を見て見ましょう。
上 | 中 | 下 | 宿命星 | 吉凶星 | ||
1919年 | 己 | 未 | 己 | 正財 | 正財 | 羊刃×3個 |
4月 | 戊 | 辰 | 戊 | 偏財 | 偏財 | 血刃×2個 |
23日 | 乙 | 巳 | 丙 | 劫財 | 食神 | 劫殺 |
1919年は不吉の星の羊刃が3個も来ていました。
4月は、感染病を暗示する血刃が2個も来ています。
23日は、疲れ果てる劫財の日で、外部からの攻撃「感染」を暗示する劫殺が来ています。
《ダメ押しとなった「三合」「方合」のダブル成立》
23日の乙巳の「巳」と大運の「丑」、命式の「酉」が、巳―酉―丑の三合金局が成立します。
同様に23日の「巳」と命式中の2個の「午」、1919年の己未の「未」が
巳―午―未の「夏の方合」を2組成立させます。
「夏の方合」は「火の方合」ですから、灼熱の太陽です。
1919年は己未で天干は「己(畑の土)」です。
灼熱の太陽は、畑の土を焼いて、干上がらせてしまったでしょう。
まるで、スペイン風邪の高熱が宮の身体を焼くように。