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昭和天皇生誕120周年とともに始まる「反新自由主義革命」②

《近代世界史と連動し、国民とともに泣き、笑った昭和天皇の御生涯》

※こちらからの続きです

1. 近代世界史と連動した昭和天皇の御生涯

昭和天皇の1901年4月29日の御生誕から、1989年1月7日の崩御までの大運を見ると近代世界史と見事なまでに「連動」しているのに驚きます。

御生涯の大運をざっと見ると

0歳~8歳  壬辰―正官―衰

8歳~18歳 辛卯―偏財―病

18歳~28歳 庚寅―正財―死

28歳~38歳 己丑―食神―墓

38歳~48歳 戊子―傷官―絶

48歳~58歳 丁亥―比肩―胎

58歳~68歳 丙戌―劫財―養

68歳~78歳 乙酉―偏印―長生―大運空亡・・・・天乙貴人

78歳~88歳 甲申―印綬―沐浴―大運空亡

となります。

大運の強弱を見ると御生誕時が衰その後が病→死→墓と十二運が徐々に下降して、38歳~48歳が「絶」と最弱になります。

おまけに運気は傷官とこれ以上ない厳しい十年でした。

その後、48歳から十二運は「胎」と大底を抜けて、養→長生→沐浴と上昇運となります。

さて何が有ったのでしょうか?世界史の歴史事実と照合してみましょう。

 

1901年は、辛丑の年

御生誕の1901年は、辛丑の年で、20世紀のスタートの年です。

ちなみに1900年は19世紀です。

1901年1月22日に大英帝国のヴィクトリア女王が崩御します。

女王は英国女王でありましたが、同時にインド皇帝であり、文字通り皇帝でした。

彼女が崩御した3か月後に昭和天皇が御生誕します。

ここで「世界精神」が交代したわけです。

そしてこの年に第四次伊藤博文内閣が総辞職して、桂太郎が組閣します。

これは「対露協調派」が舞台を降りて、「対露強硬派」が主導権を握ったことを意味します。

同時に、1901年10月16日からロンドンで日英同盟交渉が始まりました。

そして翌年の1902年1月30日に日英同盟が締結されます。

これも「世界史的大事件」でした。

七つの海を支配して「栄光ある孤立」を維持してきた大英帝国が、近代化してやっと33年の極東の島国と対等な同盟を結んだのです。

この年、アメリカでは後に日露講和を仲介したセオドア・ルーズベルトが大統領に就任します。

これで「日露戦争開戦モード」に入ったわけです。

そして1905年に日露戦争に勝利し、1918年(昭和天皇17歳)に第一次大戦の戦勝国になり、日本は「五大列強(英米仏独日)」の一国となりました。

大日本帝国の臣民と昭和天皇は坂道を登り詰めて「坂の上の雲」に到達したわけです。

28歳からの大運では

1929年に世界恐慌に伴う「昭和恐慌」、1931年の満州国成立と帝国主義の時代を進みます。

 

《昭和天皇の運気が最弱になると同時に世界は不幸に突入しました》

昭和天皇の運気が最弱になった

38歳~48歳 戊子―傷官―絶

この十年間、世界と日本に何が起こったのでしょうか?

38歳の1939年、ヒトラーのドイツ第三帝国がポーランドに侵攻して第二次大戦が勃発します。

1941年(40歳)に日本も対英米開戦して大東亜戦争が日米開戦に拡大。

そして1945年(44歳)に終戦の詔勅となりました。

戦後アメリカは、日本を二度と立ち直らせないために「農業国」にとどまらせると同時に、1ドル=360円という屈辱的な為替レートで固定しました。

戦前は1円=1米ドルでした。

私はこの交換レートが現在でも実態に近いと思いますから、21世紀の日本は常に「円高圧力」に晒されると思っています。

 

《昭和天皇が最弱の運気を脱出すると同時に日本に訪れた「天祐(天の助け)」》

1950年6月25日、朝鮮戦争が勃発しました。

これでアメリカの「対日占領政策」が「逆コース」と言われるほど180度転換します。

アメリカの安全保障上、日本を未来永劫「三流農業国」に留める方針だったのが、米ソ冷戦での「西側の防波堤」「西側の軍需工場」に方針転換しました。

更に、早く日本を独立させるために1951年(50歳)、サンフランシスコ講和条約、そのセットとして日米安保条約の締結、自前の防衛力を持たせるための警察予備隊(自衛隊)の創設です。

「朝鮮特需」により、戦後復興で経済成長の軌道に乗りつつあった日本は一気に高度経済成長(年率10%以上の成長)路線に乗って世界史に残る復活を遂げました。

高度経済成長は1961年(60歳;辛丑の年)から1973年(72歳;癸丑の年)まで12年間継続します。

辛丑→癸丑の「丑→丑」時代ですから大橋巨泉流に「ウッシッシ」てなもんですね。

ちなみに日本の高度成長を止めたのは第一次オイルショック(中東産油国の輸出カルテルによる原油価格の7倍の高騰)でした。

この間、1968年(67歳)には日本のGNPは西ドイツを抜いてアメリカに次いで世界二位の経済大国となりました。

68歳~78歳の10年間は、1972年(71歳)に沖縄の本土復帰が有りました。

敗戦国が戦争に勝ってもいないのに取られた領土を取り戻すのは世界史に例を見ないことです。

これも戦後の占領時代からアメリカ政府の昭和天皇に対する信頼と日本政府の外交努力のたまものだと思います。

尚、68歳~78歳は大運空亡ですが、天乙貴人が来るので「凶意」は回避されています。

78歳~88歳の十年間は同じく大運空亡で貴人星は来ないので、さすがの昭和天皇も普通に齢を重ねていくことになります。

 

《世界有数の「バブル景気」の出現》

1986年12月(85歳)バブル景気がスタートします。

日本はアメリカ、イギリス、西ドイツ、フランスなど西側先進諸国がいずれも躓いた「二度にわたるオイルショック」を世界に例を見ない「省エネ技術」で克服し、度重なる円高も、巧みに輸出立国から「内需主導経済」に転換させることによりバブル景気を生み出しました。

イギリスは2度に渡るオイルショックに屈服して財政破綻して1975年~1976年にIMF(国際通貨基金)の管理下に陥りました。

★イギリスは第二次大戦の終了後、世界中の植民地を失った「名ばかり戦勝国」です。

そして戦後のIMF管理は「経済敗戦」でありイギリスにとっては「第二の敗戦」です。正直、惨めなものです。

★菅政権で、偉そうに「日本の中小企業5割削減」を言っている「反日イギリス人」のデービット・アトキンソンは自覚しろ!さもないと「令和の生麦事件」が起きるぞ(怒)

 

昭和天皇の崩御

バブル景気は昭和天皇崩御後の2年間、1991年2月まで継続しました。

バブル景気の特徴だった「土地価格の高騰」は円高で輸入購買力が増えましたが、土地は輸入できないから高騰したのです。

株価の高騰は2021年の現在と同じ、日銀の異次元の金融緩和による「金余り」のせいです。

★奇しくも昭和天皇は大運空亡を後一年で抜ける87歳で崩御されました。

昭和天皇が現在のイギリスのエリザベス女王(95歳)並みに長寿されたら恐らく、森喜朗も、小泉チョン一郎も総理になることは無かったでしょう。

特に昭和天皇は宿曜経が翼宿で小泉チョン一郎は亢宿(こうしゅく)なので昭和天皇がチョン一郎を破壊する側だからです。

※続きます

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