和歌山と同和
二階氏の背景にいる勢力と集団
※https://www.youtube.com/watch?v=A5b9IVYcneU
故松本龍復興大臣が全国の代表を務めた部落解放同盟です。
松本大臣の大叔父の松本治一郎(福岡出身)は解放同盟の前身である全国水平社の初代委員長です。
飽くまでも推測ですが二階氏も出自は同じだと思います。
その理由は彼らの悲願である「人権擁護法案」の熱心な推薦議員だからです。
3・11の後、「全国的有名人」になったこのおじさんです。

故松本龍復興大臣(2017年没)の義兄(妻の姉の夫)が昨年極刑の判決を受けた工藤会の最高幹部です。

宮城県庁での会見内容を精査すると評価すべきものもある①
東北の小泉純一郎、村井知事のネオリベ(新自由主義)政策に対する批判

村井知事は復興を理由に県の漁協に対して何の根回しも無しに強引に「漁協の民営化=漁港の統廃合」をやろうとした。

背後にマッキンゼーがいたと言われています。村井氏は大阪出身。水道民営化も達成。村井知事は上手に「被害者ポジション」を取った。
画像は村井知事、松本復興相の辞任を受けての会見

太陽光利権のマングローブの和歌山と言う「結節点」
先日、惜しくもお亡くなりになった日本のスパイマスター、元公安調査庁第二部長の菅沼光弘氏の貴重な御指摘があります。御冥福をお祈りします。

2015年6月発行の名著で鋭い指摘。

P128「本人以外が戸籍謄本を取れなくなったのは同和の問題から始まった」
戸籍謄本を取ってはいけないと言うのが一番最初に始まったのは和歌山県の白浜町からでこれはすべからく同和の問題です。
和歌山県は同和の人が非常に多くて同和の運動もものすごく活発だった。
最初はその町だけだったのがだんだん広がってしまって戸籍謄本をとるのは本人以外は絶対にダメ(転載ここまで)
和歌山と言えば竹中平蔵
竹中に繋げる為の「長い補助線」でした(笑)佐々木実の名著に余すところなくファクトとしての「伏線」が引いてあります。

竹中履物店と言う店名の実態は下駄製造個人零細業者
東京のワシントン靴店の様な商品をずらりと並べる店ではなく、竹中の同級生や本人の証言によると、
原材料の木材を仕入れて店員も雇わず、実父の那蔵が一人で下駄の製造を最終工程までやっていたようです。
部落解放運動に熱心に取り組んだ高校時代
和歌山県立桐蔭高校時代「社会哲学部(民青のたまり場)」に所属し部落差別問題に熱心に取り組んだそうです。
竹中は高校時代は「民青(共産党の指示で動く学生活動家)」に正式加入していた。
和歌山と言う独特の土地柄なのだろうか?
私は会社員時代特にお世話になった上司と先輩で和歌山出身者が2名いました。
関西の大都市に2年程、勤務しましたが和歌山には一度行ってみたいと思いつつとうとう実現しませんでした。
私も地方の県立高校出身者ですが、そう言う問題に取り組む部は有りませんでした。
竹中の発想と行動を駆り立てるものは部落出身者によく見られる反日ルサンチマン


ルサンチマンとは
「弱者が敵わない強者に対して内面に抱く、「憤り・怨恨・憎悪・非難・嫉妬」といった感情。そこから、弱い自分は「善」であり、強者は「悪」だという「価値の転倒」のこと」
でニーチェの定義です。

1980年代から先行していた慶応大学の人権教育
日吉の教養課程の時に級友達と人気講座の経済地理を受講しました。講師は慶應OBのコンサルタントでした。
彼曰く「履物関係の仕事を家業としている人の殆どが部落出身者だ」と例としてワシントン靴店の東条氏を挙げました
LGBTにも理解のあった東条氏。講師はネガティブな評価ではなく、事業に成功しただけではなく昭和のタレントのピーターをTV界で市民権が得られる様に尽力したという流れで講義をしました。

文献で検証してみると
部落民と言う人達は江戸時代は多くは農村周辺に居住して、稲わらで草鞋を編むのを生業としていたようです。
または屍馬の処理。皮革製造業の走りで刀の束にも使用されたようです。

冒頭で述べた故松本龍復興大臣の先祖も、全国水平社の幹部も多くが明治初期まで家業として、草鞋の製造→下駄屋と言う流れが殆どです。