甲南女子中高の同級生の多くは取材に応じなかったのではないか?
「女帝小池百合子」での同級生証言のほとんどが「いわゆる女性週刊誌」で女性自身の引用が多いのが気になりました。
ケチをつけるわけでは有りませんが皇室関係でも秋篠宮家に対する事実と異なる誹謗中傷の様に「取材しないで書く」ので有名で
匿名掲示板の書き込みを有料で売るようなものです。
いわゆる「私立お嬢様学校」の掟
画像は当時1988年の写真誌で話題となった多くのお后候補
1987年(昭和62年)昭和天皇の入院が長期化すると今上天皇の「お后候補」が1988年まで週刊誌や写真誌が盛んに特集を組んでいました。
当時私の同僚の妹が聖心女子大に通っており、彼から聞いたところ在籍中の「お后候補」と報道された方々については
「学園祭(聖心祭)で外部の人間に聞かれても答えない様に」と口頭で指示が有ったそうです。
思い出せば当時の聖心女子大は三井A子さんや三井B子さんなど非常に美しい方がノミネートされていました。
皇室関係とは次元が違うとはいえ、実父が阪神間で名うての「政治ゴロ」で娘も現在に至るまで全く父と同じ道を辿っています。
小池百合子には常に反社やカルト宗教の噂が付きまとっており取材に応じた事が後から小池に知られたら得することは何一つありません。
ただ石井妙子も本に書かないことを条件に幾つかクリティカルヒットになる証言を得ていて
カードとして温存している可能性が有ると思うので私はそちらに期待したいと思います。
いずれにせよ大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞しており日本の政治史を動かす名著、大著であることに間違いありません。
本当に「芦屋のお嬢さん」なのか?
既に名著「女帝小池百合子」で検証しつくされていることですが、せっかく写真集が有るので私なりに視覚的に印象と所見を述べて見たいと思います。
時代背景もあるけど小池百合子の年齢(恐らく3歳~5歳)から推測すると1955年前後だと思います。
戦後復興は終わっているけど高度成長の開始は1961年(小池は9歳)ですから未だ先の話です。
母親の服装に何とも言えない生活感が漂っています。
「父親が見栄っ張りで祖父母と同居しないサザエさん一家」と言う感じです。
4年前の「女帝」の巻頭写真を見た時は背景のこんもり樹の茂った小山はどこだろう?
と気になっていましたが、今回の検索で小池が帰国直後の1976年の新聞記事で「実家は芦屋市の東山町」とインタビューに答えているので
地図を見る限り「東山公園」だろうと推測しました。
「芦屋令嬢」の定義にもよるが私は違うと思う
画像の六麓荘に代々住む人のお嬢さんが「芦屋令嬢」でしょう。関西の大規模支店で法人営業をやっていた時よく通いました。
オーナーはたいていここに住んでましたから。日本版ビバリーヒルズかな?成功者ばかり集まる非常に「気」の良いところです。
偉大なる小池都知事の実家跡地を探せ
「女帝小池百合子」のヒント
①阪急電車の線路沿い
②宮川と言う小規模河川に近い(歩いて10数分と仮定)
③現在コインパーキングになっている。
④家族写真の背景を東山公園と仮定すると
阪急神戸線と宮川の交点で、東山公園との間の線路沿いの土地の駐車場ですから
便利な時代になったものです、Googleマップで見ると
飽くまでも推測ですが行政区画を芦屋市東山町とすると赤で囲んだ駐車場ではないかと思います。
日本が不幸にしてエジプトの植民地になったら彼女の銅像が立つかもしれません。