皇室|美智子皇后(2)

続きです。

そして、次のターゲットが、髭の殿下と親しまれた三笠宮寬仁殿下です。

寬仁殿下は、昭和大帝を心から尊敬していましたから、平成の世になって、美智子皇后主導で皇室が「本来あるべき姿」から、著しく変質していくのに強く悩まれていました。

率直なと人殿下のことだから、一度ぐらいは今上陛下に直言したであろうことは想像に難くありません。しかし、皇后様の尻にひかれている今上陛下では暖簾に腕押しだったでしょう。

寬仁殿下は、ストレスが溜まって、アルコール依存症になり、それを止めた妻の信子妃(麻生元総理の妹)とも険悪な関係となり。DVまで振るうようになりました。

ガン末期の寬仁殿下は、意地になり、喪主を、信子妃を外して、長女の彬子女王を任命しました。娘たち二人、彬子女王と、瑤子女王は父親側につき、挙句の果てに、母親の信子妃を皇室から追放するクーデターまで起こしかけました。

こうした、三笠宮家の内紛を、皇后さまは、一か月前の週刊文春で「非常に憂い手おります」などと白々しくおっしゃっていましたが、三笠宮寬仁殿下の年齢にしてはお早い薨去と死後の内紛の原因は全て皇后様に有ります。

ご自分でも自覚が有って、ああいう白々しいコメントをしたのでしょう。

昭和大帝も香洵皇后も逝き、唯一の目の上のたんこぶの三笠宮寬仁殿下も薨去されて、皇族内に、自分に反抗する勢力はいなくなりました。

寬仁殿下が無くなった2012年から「女帝」の地位と権力を固めたのです。

 

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・皇后様の性格を表すのは日柱十二運の「沐浴(もくよく)」で説明できます。

私の師匠は、わかりやすく【行動型】と名付けました。特徴は

① 人間には「敵」と「味方」しかいない。

② やられたら、必ずしっぺ返しをする。

③ 気に食わない部下は、即刻飛ばしてしまう。

④ 逆境に強い

以上です。

「苛められて、めそめそ」なんて、柔な女ではないんですよ(笑)

私の最愛の亡父がこの性格類型だったので、良くわかります。生前、口げんかなどをしたら、しばらくして必ず言い返してきました。ご近所づきあいでも好き嫌いは非常にはっきりしていました。サラリーマン時代も逆らう部下はあっという間に飛ばしていました。非常に逆境に強い人でした。

東宮ともども世話になった侍従はいつの日か、皇后様にとっては、「敵」になったのでしょう。その侍従の葬式を無視し、浩宮にも行かせませんでした。

「聖書事件」でこっぴどく先帝様に叱責された時は、ひれ伏したと言われていましたが、それも何のこと、写真では、昭和天皇お言葉の最中香洵皇后が低頭するなか、美智子皇后は意地を張って低頭を拒否し続けました。

 

今や、外にお出ましの時は、自分が颯爽とせんとうを切ってお歩きになり、後からおつきの物の様に今上陛下がついて言っています。

歴代の皇后は、香洵皇后の様に、天皇陛下の三歩後ろを歩き、お言葉中は、低頭が常識でした。

そもそも、沐浴(もくよく)という言葉は、風呂に入る、湯あみするという意味なので、【行動型】の人は、外で、チョンボしたり、いじめられたりしたら、家に帰って、風呂場に行き、素っ裸になって、頭からお湯をかぶり、もう一度やってやるぞという逆境に強い性格です。何度負けてもくじけずこのパターンを繰り返します。

沐浴=【行動型】の有名人には、元総理の田中角栄と、岸信介(安倍総理の祖父)がいました。

田中角栄はロッキード事件で逮捕され、保釈金で釈放された後は、自分の足を引っ張った、政治家には次の衆院選で必ず対抗候補を立てて、落選させてしまいました。

皇后さまもきつく、露骨な性格なので、男に生まれ、政治家になればベストだったと思います。

そういう怖い人ですから、秋篠宮ご一家は千代田(皇居)には、あまり行かないほうが良いでしょう。悠仁親王が毒殺される恐れがあります。どうせ、ご機嫌伺いに行っても、両陛下ともに、次は東宮―愛子ラインで行くという発言があちこちから漏れ伝わってきていますから。お伺いしても無意味です。

悠仁親王がご誕生遊ばせた時の、今上陛下のお言葉が、「健康な男児が生まれてよかった」からですね~(笑)男児じゃなくて【親王】ではないでしょうか。

「美智子は、愛子に継がせたいんだよ」などの発言もありました。

続きます

皇室|美智子皇后(3)

 

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