美智子皇后の正体⑧
驚愕・昭和天皇発病後の美智子と今上陛下と朝日新聞の策謀(後)、転載フリー
≪引用文下線部分の解説≫
① 昭和天皇が最初にお倒れになったのは、昭和62年(1987年)にです。
この年の同じ頃、先帝様より一歳上の私の祖父が同じ病気の膵臓がんで息を引き取りました。吐血されたと記憶しています。不思議だ、膵臓がんの方は最初倒れるんですね。私の祖父も散歩中に、近くの公園で倒れているのを近所の人が発見して、救急車を呼んでくれました。
残念ながら時系列にずれが有ります。この時、更迭されたのは、富田朝彦宮内庁長官や、徳川義寛侍従長ですが、時期が違います。
徳川侍従長;1988年4月更迭
富田宮内庁長官;1988年6月更迭です。未だこの時昭和天皇は、ご存命です。1989年1月7日崩御、亡くなって、今上陛下が即位した後でもよかったと思います。特に徳川侍従長は、先帝様に52年仕えた方で、先帝様の最後を見届けたかったと思います。
★徳川侍従長の後任は、山本悟で平民の官僚出身です。この後、華族出身の侍従が出ることは無くなりました。美智子の【華族コンプレックス】が露骨です。
しかも、富田長官は、小和田雅子御妃候補絶対反対派で、後任の、藤森昭一は逆に【雅子推進派】でした。
★要するに、美智子や、今上陛下は、昭和天皇が亡くなるのを待ったのではなく、まだご存命中に、【雅子入内の布石】を打っていたのです。
もっと、露骨なのは、昭和天皇の入院中1987年に特に、徳仁と雅子の密会が頻繁になったことです。手引きしたのは美智子の意を受けた故高円宮憲仁と久子でしょう。
亭主が死に、3人の娘は不出来だらけの、超末端宮家の【高円宮家】は、贅沢な生活を維持するために【東宮費を横流し】してもらっているそうです。美智子の差配でしょう。
今、皇室内で、恐れられながら総スカンを食って、美智子の唯一の味方は、高円宮久子だけです。だから、園遊会をさぼって、金になる「京都賞」に行けたのでした。
兄嫁の三笠宮信子妃殿下が、杖を突きながらも皇族の義務を果たしたのと対照的です。久子と言う女はどこまで【下衆な女】なんでしょうか?
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②【成功しなかった昭和天皇の美智子廃妃計画】と【昭和末期は昭和天皇と美智子の一騎打ち】は十分あり得たと思います。一騎打ちと言うよりは【昭和天皇VS正田フミ&美智子の総力戦】です。
美智子の廃妃を思い立つほど、先帝様を怒らせた兆候は、確実に見受けられます。
1984(昭和59年)年、9月にコルマールで、12月にメリベルで、徳仁と雅子が密会しています。情報は、昭和天皇の耳にも入っていたと思います。
「小和田の娘だけはだめだ(怒)」外遊に同行した外交官の小和田恒の卑しい人間性を陛下は完全に見抜いていました。また、当時の中曽根内閣の官房長官、後藤田正晴氏は「小和田雅子の母方の祖父は、チッソ水俣の元凶、江頭豊ですよ。
江頭の孫娘を入内させたら、皇居に莚旗(むしろばた)=水俣の漁民、農民の一揆、が立ちますよ」と言って、釘を刺しました。
この頃、ナルマサの逢引を直接取り持っていたのは、美智子でしょう。
1986年 4月29日 昭和天皇在位60周年記念式典・・・何故か美智子は欠席
③ 【シナ人美智子母が女性誌を通じて脅しをかけ それはそのまま流れた。】
正田富美が、脅しのネタに使ったのは、【美智子入内の条件】としての、【西武堤康次郎から天皇家への秘密の資金援助】の件でしょう。
「この話、ばらしてもいいんですか~」
当時から、母親のお抱えライターがいて、娘美智子の提灯記事を書かせたり、脅しの道具として頻繁に使っていたんですね。この【暴力装置】が、富美死後、自然と美智子に相続され、気に入らない宮妃の「事実無根のスキャンダル記事」を書かせて、嫌がらせをしていたため、誰も、美智子に関わらなくなったのでしょう。
【美智子の週刊誌を使った嫌がらせ】を唯一、恐れなかったのが高松宮妃喜久子様、さすが、最後の将軍、徳川慶喜の孫だけあります。
【成金エタ非人】の正田屋のあばずれ娘ごときを恐れません。
健在中は、鋭く今上陛下を問い詰めていました。特に、いつまでも、【継子苛め】して嫁にやらない、清子内親王について「どうして、お嫁におやりにならないの」と追及した結果やっと、清子様は、黒田さんと結婚できて、生まれて初めて「自由の身」に成れたのです。
美智子はサーヤに対して、学生の頃は、「お金がもったいないから、お風呂は週に一回だけ、水がもったいないから歯を磨くな」と言う児童虐待。
一緒に公務に出かけても、ホテルでは別々の部屋で休む。
女親にとって娘は特別な存在、実の娘なら、こんな仕打ちはしなかったでしょう。
学習院時代、消しゴムも買ってやらなかったそうですから。私は、父親は今上でも、母親は美智子ではないと確信しています。秋篠宮も同じです。
秋篠宮は紀子様と結婚直後、新居は築60年の職員住宅と言うボロアパートに、ぶち込まれました。血のつながった次男坊ならこんな仕打ちはしません。昭和天皇の実母の貞明皇后ですら、4男坊の三笠宮崇仁に、立派な御殿を作ってやったではないですか(怒)
今の秋篠宮邸は、紀子様と同じ会津の血を引く、秩父宮勢津子妃殿下が、「あのままじゃ、可愛そうだから、私が死んだら、邸は譲ってあげて」と遺言して実現したものです。
今上も、普段優しそうな顔をしながらも、【冷酷な皇帝】です。いくら、美智子の尻に敷かれていると言っても、産みの親こそ違え、自分の息子で筆頭宮家なのに、自分たちは58億円もする無駄な御所を作って(怒)
⑥【美智子の立后会議は開催されなかったがドサクサにまぎれ勝手に立后宣言】
美智子と言う女は、【何でもアリの女】です。
★下手に「立后会議」を開いたら、【昭和天皇の遺言書】が出てくるのが怖かったのでしょう。自分で勝手に【立后宣言】しました。皇室典範の解釈は微妙ながらも、歴代の皇后で「立后会議」で認められていないのはこの人だけでしょう。
★【皇后を称する法的正当性が無い】(笑)結論は正当な手続きを踏んで立后してないんですよ。事実は【立后していない】です。
★【立后会議を開かなかった事実】は即座に、MI6によって、英国王室、エリザベス女王に伝えられたでしょう。情報は瞬時に欧州各国の王室で共有されたことは間違いありません。
⑦【美智子立后の後ろ盾となったのは朝日新聞】
これは、笑えますね。
徳仁が、佐伯晋の種、【美智子 托卵】の動かぬ証拠ですよ。これ以上解りやすい証拠はないわ(笑)
反日朝日は、部落民の皇后と、皇太子の誕生を全力でバックアップしたのです。
「国民は【立后会議】なんて知らないだろう、大丈夫ですよ」と東大出、左翼反日ばかりの傲慢記者たちが、国民をばかにして、目くらましをかませたのです。
⑧来年一月、厳寒の折に、心臓にカテーテルを入れている陛下を連れて、何故か、真夏のフィリピンに行きます。帰国後、極端な寒暖の差が、陛下の健康に打撃を与えるでしょう。
★これは、美智子が企んだ【陛下殺人計画】です。
この女は、既に、沢山の皇族を計画的に殺してきています。①昭和天皇②香淳皇后③三笠宮仁殿下、【殺人に躊躇しない女】です。
★美智子は、何が有っても、【自分が陛下より先に死ぬわけにはいかないんです】
① 自分が先に死んで、陛下が残れば、秋篠宮が摂政になります。
②陛下が先に死ねば、徳仁が即位できます。あの女は何でも有なので、自分が【天皇即位宣言】する危険性もあります。
以上