不吉な命式、再び軍事クーデターか?
タイ首相|プラユット・チャンオチャ
みなさん、こんにちは。
今回はタイ国のプラユット・チャンオチャ首相を取り上げてみます。
現在のタイの首相で、元々軍人、陸軍大将です。
2014年、女性のインラック元首相が、弾劾裁判で辞任した後に、軍事クーデターで政権を掌握しました。
wikiより
プラユット・チャンオチャ 、タイ王国の軍人(陸軍大将)、政治家。
2014年の軍事クーデターにより、同国の軍事政権(軍政)トップとして独裁的地位にあり、国家平和秩序評議会(英語版)(NCPO)議長や首相(第37代)を兼務している。
「軍事クーデターはタイの名物」と言ってはあれですが、しょっちゅう起きるので、いちいち理解し、記憶するのは、非常に困難が生じます。
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タイ国・政変史
①1932年6月24日
首謀者 人民党 立憲革命
立憲君主制に移行
実際に軍事作戦を実行した「四頭の虎」
左からソンスラデート卿、パホンポンパユハセーナー卿、リットアッカネー卿、プラサートピッタヤーユット卿
②1933年4月1日
首謀者 ラーマ7世、
プラヤー・マノーパオーン急進派追放政変
プリディーの発表した政策が共産きゅぎ的であるとして、国会が混乱。国会閉鎖。憲法停止。共産主義の非合法化。
プリディー
③1933年6月20日
首謀者 革命団・プラヤー・パホン、
ピブーン政府の無能に対して、マノーコーン政権崩壊、初の軍事政権。
④1933年10月11日 鎮圧首謀者は逃亡
首謀者 ボーウォーラデート親王
内乱に発展するが反乱軍は鎮圧。首謀者は国外へ逃亡。
➄1935年8月3日 下士官反乱(未遂)
首謀者 歩兵連隊の下士官たち、
関係者15名逮捕
⑥1939年1月29日
首謀者 ピブーン
ピブーンによる粛正。
王族、政治家51名に、1938年に起こったピブーン暗殺未遂事件の容疑をかけ処刑。
おざなりな裁判により19名が死刑、25名が終身刑。プラヤーは海外に逃亡。
⑦1947年11月8日
首謀者 将校団、
タワン政権崩壊。
クワン政権樹立。仏歴2490年暫定憲法制定。
⑧1948年4月6日
首謀者 将校団(ピブーンほか)
第二次将校団クーデター。クワン政権崩壊。ピブーン返り咲き。
⑨1951年6月29日 失敗
首謀者 アノーン海軍大佐
海軍ラジオで新政権樹立を発表。ピブーンを暗殺しようとして失敗。
関係者が逮捕され、海軍の規模が粛清され、以後、クーデターの主体となることはなくなる。
➉1951年11月29日
首謀者 変革団(軍部)
共産主義の一掃を要求。
仏歴2475年憲法を仏歴2494年憲法として復活。仏歴2490年憲法廃止。
⑪1957年9月17日
首謀者 変革団(サリット元帥)
ピブーン失脚。
ポット内閣成立。
⑫1958年10月20日
首謀者 革命団(サリット元帥)
サリット革命。憲法停止。サリット政権の成立。仏歴2502年統治憲章の成立(翌年)。
⑬1971年11月17日
首謀者 革命団(タノーム元帥)
憲法停止。仏歴2515年タイ王国統治憲章の成立(翌年)。
⑭1973年10月14日 学生決起
首謀者 学生学生決起、
学生革命、学生クーデター「血の日曜日事件、大いなる悲しみの日」
ベトナム戦争特需景気が衰退し、低迷する国内経済の不満は軍事政権に集中した。
同時に輸入品不買運動を展開していたタンマサート大学ら学生らは、加えて民主化を求めてデモを展開。
徐々に他の大学や学校にバンコク市民を引込み、運動は大勢の指示を得て、政権から民主化選挙の確約を取り成功裡のうち解散した。
しかし勢いのなか残留した少数の過激集団の抗議活動でチットラダー宮殿へ行進中、ラーチャダムヌーン通りで政府の警官隊と衝突。
暴動に発展し兵隊まで導入され死者を出す惨事になった。
前日には国王のから学生ら民主化運動勢力の支持が報道され、武力弾圧のなか陸軍最高司令官の鎮圧への不参加表明などから、タノーム軍事政権は崩壊しタノーム首相ら幹部は国外に逃亡した。
その後任に国王任命でタンマサート大学の学長のサンヤーによる内閣が成立。
⑮1976年10月6日 タンマサート大学虐殺事件
首謀者 国家統治改革団(サガット・チャローユー海軍大将。学生鎮圧者はナワポン、ルークスア・チャーオバーン、
国境警備隊など反動クーデター「血の水曜日事件」
亡命のタノーム帰国でタンマサート大学を中心とする学生らによる断罪要求と抗議集会が開かれる。
ナワポン、ルークスア・チャーオバーンら右翼組織と国境警備隊による学生側への銃撃に発展した、
次いでサガットがクーデターを宣言し、労働運動・学生活動家は共産主義者のレッテルを貼られ取り締まりを受けた、多くの学生がタイ国共産党に加わった。
⑯1977年3月26日 失敗
首謀者 プラスート大将、チャラート大将
失敗、チャラ―トは処刑。
⑰1977年6月3日 未遂
首謀者 青年将校団
未遂、実行しなかった。
⑱1977年10月20日
首謀者 革命団 (サガット)
反タニン政権クーデター仏歴2520年統治憲章の制定。
クリエンサック内閣成立。
⑲1981年4月1日
首謀者 青年将校団(サン大佐、ワシン中将、マヌーン大佐ら、陸士7期生)
失敗。 メンバーの一部は海外逃亡。一部逮捕・刑事告訴される。
取材に当たっていたオーストラリアのカメラマン、ニール・デービスが兵士に銃撃され死亡。その際に彼が撮影していた映像が世界に配信された。
https://www.timbowden.com.au/2012/01/23/one-crowded-hour/
⑳1991年2月3日
首謀者 国家治安維持団(スントーン大将)
反チャートチャイ政権クーデタ、仏歴2534年憲法の成立。
アナン内閣の成立。
㉑1992年5月17日
首謀者 民主連盟(市民団体) 大規模なデモが発生し、陸軍の攻撃により死傷者が出る流血事件に発展。
野次馬も多くいたことが指摘され、携帯電話を持っているほどの中流以上の集団であったため「携帯電話族」とあだ名された。
この後国王ラーマ9世(プーミポン)の調停により、スチンダー内閣は解散した。
㉒2006年9月19日
首謀者 「民主改革評議会」または「国王を元首とする民主主義制度統治改革団」(ソンティ大将、サプラン大将、ルアンロート大将、コーウィット警察大将)
2006年クーデター、
仏歴2549年暫定憲法の成立。スラユット内閣の成立。
㉓2010年4月10日
首謀者 反独裁民主同盟
暗黒の土曜日、
大規模なデモが発生し、陸軍の攻撃による多数の死傷者が出る流血事件に発展。
死者24名、負傷者858名。
㉔そして、2014年5月22日、19回目のクーデター政変
2011年7月3日 インラック・シナワトラが第36代首相に就任
総選挙でタイ貢献党が勝利。
第31代首相のタクシン・チナワットの妹であるインラック・シナワトラが第36代首相に就任。
2013年10月、
「2010年に発生したタクシン支持派・反独裁民主戦線(UDD)による反政府デモ」に対して、当時の首相のアピシット・ウェーチャチーワ
と副首相のステープ・トゥアクスパン
が弾圧を命じたとして殺人罪で起訴する方針が固められた。
11月25日
ステープは議員を辞職し、インラック政権に対する反政府デモを開始した(2013年タイ反政府デモ)。
12月9日
2011年総選挙の再現を狙うため、インラックが議会の解散と総選挙実施を表明。
2014年2月2日
総選挙は反政府派による妨害で一部選挙区では投票が行えず。
3月21日
憲法裁判所は総選挙無効の判決を下したことで事態収拾は遠のいた。
5月7日 職権乱用を問われインラックが失職、そして混乱が続く
2011年にインラックが国家安全保障会議(NSC)事務局長を異動させ、親類を後継ポストに就かせたのは職権乱用であると問われた裁判で憲法裁判所はインラックの行為は憲法違反に当たると判断。憲法規定により首相を失職した。
反政府派の最大の要求であるインラック政権退陣は果たされたが混乱が収まることはなかった。長引く混乱のために政治は行き詰まり、成長も鈍化することとなった。
2014年5月20日午前3時、 陸軍総司令官のチャンチャオによる戒厳令発令
タイ王国陸軍が政治的混乱の収拾、平和と秩序の維持を名目として全土に戒厳を発令したと声明。デモ活動を禁止。
陸軍総司令官のプラユット・チャンオチャはテレビ演説を行い、軍が治安維持にあたることを表明し、全ての政治勢力に対して対話を促した。
続いて陸軍は報道の検閲を布告。政府支持・反政府支持派双方の衛星テレビ局10局の放送を停止。
2015年5月21日
プラユット・チャンオチャによる各政治勢力による協議が行われ、陸軍は暫定政権の樹立や6ヶ月から9ヶ月の間に改めて総選挙を行うことなどを提案。
翌日22日も含めて2回の会合が行われたものの結論は出ず、午後4時10分になってプラユットは協議を中断。会議の出席者はそのまま陸軍に連行された。
5月22日午後5時、クーデター宣言。
プラユット・チャンオチャはテレビ演説を行い、平時の状態を取り戻し、政治、経済、社会構造の改革を実施するため、同日午後4時半をもって陸軍、空軍、警察により構成される国家平和維持評議会(National Peace Keeping Committee)が全権を掌握する必要があるとして、軍によるクーデターを宣言した。
軍により以下のような決定事項が命じられた。
・君主制に関する部分を除いた憲法の停止。
・暫定内閣を停止。
・議会上院、全裁判所は引き続き機能。
・午後10時半から翌日午前5時までの外出禁止。
・5人以上の集会を禁止。
・全テレビ・ラジオ局は通常放送を中止、陸軍関連のもののみ放送。
・国民は通常の生活、仕事を続ける。
・大学や学校は5月25日まで閉鎖。
陸軍は政府派指導者の身柄、法相のチャイカセームら閣僚、反政府派のステープやアピシットの身柄を拘束。
暫定首相のニワットタムロンに出頭を命じる。
8月25日 首相に正式就任
プラユット・チャンオチャはに国王ラーマ9世の任命を受け、正式に第37代首相に就任した。
経歴 プラユット・チャンオチャ
1954年3月21日
ナコーンラーチャシーマー県出身。
2014年5月20日
前年から続いていたタイ反政府デモを巡って、陸軍司令官として戒厳令を発令した。
5月22日
「国家平和秩序評議会(英語版)(NCPO)」を結成して軍事クーデターを決行し、同国の実権を掌握。
ニワットタムロン首相代行率いる文民政権を打倒した。これにより、約3年間続いていたタイ貢献党によるタクシン元首相派政権が崩壊した。
同年8月25日
国王からの任命を受けて正式に第37代首相に就任。
2015年2月
日泰首脳会談のため来日。
2018年11月
総選挙を行う見通しを表明している。
それでは、チャンオチャ首相の命式鑑定から人物と今後を分析してみたいと思います。
四柱推命鑑定命式|チャンオチャ首相
【総合鑑定】≪非常に不吉、非業の死の恐れあり、タイに再び軍事クーデターか?≫
★一言で言うと、これ以上ないほど「不吉な命式」です。
その理由、以下は病気や災厄に遭いやすい条件です。
羊刃が2個ある。
年柱の午と日柱の子が冲「ちゅう」を形成します。
日柱の子と時柱の午も同じく冲「ちゅう」を形成します。
いずれも、不吉で有ることは同じですが、
★年柱と日柱を結ぶ冲「ちゅう」が最悪と言われます。
囚獄と白虎殺のペアが3組もあります。
「人斬り新撰組」の局長で、最後は、官軍に捕縛され、打ち首、晒し首になった近藤勇の命式がこうでした。
印星(印綬or偏印)が3個以上ある。
★このタイプの人は、一概に全て、不吉とは言えませんが、一国の首相や、軍人などは、暗殺されたり、非業の死を迎える人が世界史上、顕著に見られます。
★「軍事クーデター」が頻繁に起きるタイですから、この首相も「明日は我が身」かもしれません。
★その意味では、タイで再び、軍事クーデターが起きる日も遠くは無いかもしれません。
宿曜占星術
彼の二十八宿は、氐宿(ていしゅく)です。
押しが強く強引な人でしょう。
大運を見てみましょう。
55歳~65歳 癸酉―正官―死
★申酉空亡なので、癸酉の大運で、「大運空亡」です。
★また、癸酉の酉と月柱の卯が、冲「ちゅう」を形成します。
「極めて不吉な10年」です。
年運を見てみましょう。
コメントなしは問題ない年です。
2016年 丙申―比肩―空亡
2017年 丁酉―劫財―空亡・・・疲れ切る一年が、更に空亡で強化されます。
2018年 戊戌―食神
2019年 己亥―傷官・・・けじめをつけられる厳しい年です。
★タイの「政情不安」はまだまだ続きそうです。
以上