《イザーマンとオウム真理教との関係》
オウム関連の死刑が話題になり、記憶の底からふっと浮かび上がった端正で知的な相貌が
私が会った頃は、心臓血管外科の専門医であった受刑者です。
石原裕次郎さんの治療にも関わった医師だと、後で知ったのですが仏教を学びたく、あるセミナーに泊りがけで出かけたら、そこの医務室にいたのが、林受刑者でした。
短く言葉を交わした記憶はありますが、内容は覚えていません。
整った風貌の物静かで、知的な男でした。
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林郁夫・・・Wiki
元オウム真理教幹部。元医師。
現代医学や科学が乗り越えられない「死」に対して深く考えるようになる。
1977年、桐山靖雄の本に感化され、阿含宗の正式な信徒となり、多くの知り合いを阿含宗に勧誘していた。約12年在籍したが、自身の修行の成果が出ないと悩んでいた。
オウム真理教への入信
1987年、書店で麻原彰晃の著書と出会う。信者のヨーガやツァンダリー、インドの伝統医学、オウム食などを用いた修行メニューによる具体的な成就記事などに強く衝撃を受け、しだいに傾倒していく。自ら運転する自動車で交通事故の加害者になり、その自責の念に駆られたことも入信の原因とされる。
1989年2月、オウム真理教に入信。病院にオウムの療法を持ち込み、患者に塩水や湯、糸を飲ませたり、ジャンプさせたりするなどしたためトラブルにもなった。1990年1月に晴嵐荘病院を退職し、同年5月、妻、子供達と共に一家4人で出家信者になった。出家の際、目黒に所有していたマンションを売った額を含めた全財産8000万円、車2台を布施として寄付した。
出家生活
その後教団では「師長」になり、中野区にあった教団付属医院(AHI)の院長に就任
Wikiからも、明白なように、林郁夫無期懲役囚は、当初阿含宗の信者でしたが阿含に絶望して、オウム真理教に入り直し、優秀な医師としての腕を買われて、教団の「院長」になったのです。
★従ってイザーマンは「仏教のセミナー」と巧みにぼかしていますが、これは、オウムのセミナー以外の何物でもありません。しかも、「泊りがけのセミナー」ですから、相当熱心な信者だったのでしょう(笑)
くどいですが、林は、阿含宗の時は「医療担当」はやっていません。
オウムに入信し、麻原に信頼されるようになってからです。
《阿含宗が「オウム真理教」を生んだという「逆説」》
既に、死刑を執行されたオウムの幹部たちの多くは、最初は阿含宗に入信しています。
麻原彰晃・・・・Wikiより
1980年根本仏教系の新宗教団体阿含宗に入信。
1983年、夏(28歳)、身体を清浄なものとする阿含宗の教義などが、本来の阿含経とかけ離れていると感じ脱会
岡崎一明・・・・wikiより
オウム真理教元古参幹部
阿含宗に入信。京都の本部で桐山靖雄から手渡しで護宝塔を受け、千座行を始めるが、在家信者でも修行すれば解脱が可能と断言する桐山の弁が、途中から、在家では解脱は無理などと、言うことが二転三転し、更に1度、除霊した先祖の霊が再び取り憑くなど、欺瞞や詭弁が多くなり、桐山自身、解脱の方法論が示せないことが分かり、脱退に至る。
他に、新見智光、井上嘉浩元死刑囚(死刑執行済み)も阿含宗に入信し、愛想を尽かして、オウムに入信している。
《阿含宗教祖、桐山靖雄の「法力」がインチキだったから、オウム真理教が生まれた》
阿含宗に関して、記憶にあるのは、サラリーマン時代に、週刊誌の差込み広告に、でかでかと、真っ赤の炎の護摩炊きで「阿含の星まつり」何て宣伝していましたね(笑)
桐山は、立派な前科のある、ホモの在日朝鮮人でした。
かつての「時を斬るブログ」時代に、元信者の方からコメントが有りましたが、「法力」はインチキで、金だけとられて、全く効果がなかったそうです。
★もし、本当に、桐山が「まともで偉大な宗教家」だったら、麻原も脱会することなく「オウム真理教」は生まれなかったはずです。
麻原や、既に死刑を執行された数人の幹部たちも、阿含宗の平凡な「在家信者」で一生を起こり、地下鉄サリン事件のような世界を震撼させるカルト宗教テロは起こらなかったでしょう。
ですから、逆の意味で、阿含宗の罪は重いのです。
《イザーマンは阿含宗の桐山の側近であり、広告塔だった》
昨年の抗争の時、イザーマンは、素早く阿含宗のHPから、自分の名前を削除しました。
阿含宗の教団歌の作詞までしていたそうですね(爆)
イザーマンと阿含宗との切っても切れない関係については、ネットに多くの情報が残っています。
★旬の「有名人」を利用するだけ、利用し、うま味が無くなったら、適当な「大義名分」を作って、裏切るのがイザーの行動パターンです。
その点、奴が応援した小池百合子とよく似ていますね。どちらも朝鮮人だし。
桐山は少年愛で有名だったから、ジャニーズ事務所のメリー喜多川とのコネから、選りすぐりの美少年を、斡旋していた可能性が高いですね。
ちなみに、イザーも同行した、桐山との「モンゴル雨乞い護摩行」は、結局失敗したらしいですね。
《イザーと他のオウム幹部との接点の可能性》
オウムの幹部たちが阿含に入信していたころ、彼らとイザーとは力関係が逆転していました。
イザーは桐山の側近ですから。
★虚栄心の塊のイザーは「麻原君、新見君、井上君、僕のリッツカールトンの豪邸に遊びに来ないかい?」何てやってたかもしれませんね(爆)
ナントなら、イザーは、東京の六本木の東京ミッドタウン、リッツカールトンのレジデンスを「夜逃げ同然」で引っ越した後、行方が杳として不明だからです。
《警察・公安は「オウム真理教事件」について、イザーマンにも事情聴取すべき》
オウム幹部の極刑執行は、犯した罪の重さから当然でしたが、完全に黙秘を貫き通した麻原、多くを知っていたはずの村井秀夫が一斉逮捕の直前に刺殺されるなど、事件解明には、不完全燃焼でした。
★事件当時、余りにも「小物」過ぎて、注目されなかったイザーマン、死んだ桐山との親しすぎる関係から、「解明できなかったオウム事件」についても、何か知っているかもしれません。
以上