2019年カルロスゴーン逮捕事件
私はこう見る①東京地検特捜部VS「ヤメ検」「無罪請負人」
未だ20世紀の終わり、経営不振に陥った日産自動車を「大胆な経営手法」で、見事立て直し、業績も「V字回復」、させた名経営者のカルロス・ゴーンが、東京地検特捜部により逮捕されたのが、昨年2018年11月19日でした。
彼が日産の立て直しのために、フランスのルノーから派遣されたのが、1999年ですから、およそ19年、世界的な自動車メーカのトップに君臨したことになります。
「カルロス・ゴーン事件」が起き、すぐ読者様から、今回の事件を斬ってほしいとリクエストがありましたが、情報が出尽くしてから、斬ろうと思っていたところでした。
《転機となった大鶴基成弁護士の辞任》
ゴーン逮捕以来、弁護人を担当してきた大鶴弁護士が2019年2月13日付で辞任しました。
https://web.archive.org/web/20190214112113/http://news.livedoor.com/article/detail/16015408/
ゴーン前会長の弁護人には、昨年11月の逮捕後、大鶴弁護士ら3人が就いていた。大鶴弁護士によると、大鶴弁護士本人と、同じ事務所の弁護士の計2人の辞任届を提出したという。
大鶴弁護士は元東京地検特捜部長で、在任中に旧ライブドアの粉飾決算事件などを手がけた。今年1月には、ゴーン前会長の勾留理由を明らかにするよう求める手続きの後、日本外国特派員協会(東京都千代田区)で記者会見を開き、前会長の主張を国内外に発信していた。
彼は、所謂「やめ検弁護士(元検事の弁護士)」で元東京地検特捜部長、「旧ライブドアの粉飾決算事件」などを手掛けた知る人ぞ知る大物でした。
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ヤメ検|小沢一郎を追い詰めたエリート検察官
Wikiより
大鶴 基成(おおつる もとなり、1955年3月3日)
日本の元検察官で弁護士。大分県佐伯市出身[1]。検察官として東京地方検察庁特別捜査部長、函館地方検察庁検事正、東京地方検察庁次席検事、最高検察庁公判部長などを歴任し、2011年8月に退官。弁護士登録し東京都港区のサン綜合法律事務所で客員弁護士として活動している。
東京地方検察庁次席検事のときには、事実上陸山会事件の捜査の指揮を執ったと報じられた。部下の田代政弘らと共謀して虚偽の捜査報告書を検察審査会に提出し、小沢一郎の起訴相当議決をさせたとして、偽計業務妨害罪で健全な法治国家のために声をあげる市民の会から告発されたが、嫌疑なしとして不起訴となった[。
彼は辞任の理由を明らかにしていませんが、後任の代理人として登場したのが「無罪請負人」として名高い、弘中淳一郎弁護士でした。
無罪請負人|弘中 惇一郎
wikiより抜粋
(ひろなか じゅんいちろう、1945年10月16日 – )は、日本の弁護士。元自由人権協会代表理事。東京大学法学部卒業(1968年)。1967年司法試験合格。司法修習22期(同期に木村晋介や筒井信隆)を経て1970年弁護士登録。
無罪請負人
弘中氏はロス疑惑銃撃事件の三浦和義・元会社社長や、薬害エイズ事件の安部英(たけし)・元帝京大副学長の無罪判決を勝ち取ったほか、近年では郵便不正事件で厚生労働省の村木厚子元事務次官や、政治資金規正法違反罪で強制起訴された小沢一郎自由党代表の無罪にも関わった。
弘中氏の他に選任届を出したのは郵便不正事件で村木氏の弁護人を務めた河津博史弁護士。弁護団には高野隆弁護士も加わる予定という。
これは、「カルロス・ゴーン事件」の今後を占うには非常に「象徴的」な出来事であり、「大きな潮目」でした。
読者の方を随分とお待たせしましたが、事件を解析し、鑑定するにはちょうど良いタイミングとなりました。
《大鶴弁護士辞任が意味すること》
東京地検特捜部とは、どんな捜査機関か?
Wikiより
東京地検特捜部は政治家汚職、脱税、経済事件などを独自に捜査し、大物政治家の立件・有罪などの結果を出していることから、「日本最強の捜査機関」とも呼ばれている。以前は中央合同庁舎6号館A棟の8階にあったことから「8階が動いていると言われると永田町に戦慄が走る」と評された。政治家の案件ではロッキード事件以降の捜査で完全無罪確定判決が出たことがない(ほとんどが控訴審有罪・上告棄却)ため、「不敗神話」といわれることがある
上記説明のように、「ロッキード事件」で、元総理の田中角栄を逮捕して以来、「大物政治家案件」で、「負けた」=「有罪に持ち込めなかった」ことはありません。
逮捕しなくとも、検察に追い回されて無事に済んだ大物政治家は寡聞にして知りません。
ロッキード事件の後、こういう「政治疑獄事件」も有りました。
ダグラス・グラマン事件(ダグラス・グラマンじけん)
1978年2月
日米・戦闘機売買に関する汚職事件。発覚
1978年12月25日
アメリカの証券取引委員会(SEC)、MD社が自社戦闘機の売込みのため、1975年に1万5000ドルを日本政府高官に渡したことを告発。
1979年1月4日 –
アメリカのSEC、グラマン社が自社の早期警戒機(E-2C)の売込みのため、日本の政府高官(岸信介・福田赳夫・中曽根康弘・松野頼三)らに代理店の日商岩井(現・双日)を経由して、不正資金を渡したことを告発。相次ぐ証言を受け、東京地検特捜部は、米SECに資料提供を要請し捜査を開始。
朝日新聞
「岸信介元総理の喚問に応じることは、ロッキード事件で逮捕された田中元首相に続いて二人目の元首相を“きず物”にすることになるからだ。それは、自民党全体のイメージダウンにもつながる」。
国正武重(朝日新聞の首相官邸記者クラブ担当)
「大平首相サイドからは、ロッキード事件に続いてダグラス・グラマン事件で政権の中枢が揺らぐようなことになれば、保守政権にとっての危機だ、それだけは勘弁してくれという趣旨の動きが、検察の最高首脳や法務省サイドに対してあったと思う。このことについては、大平さんも、当時、それに近い胸のうちを吐露したことがある」(『世界』1988年10月号評論家・立花隆との対談)
事件当時の法相・古井喜実のインタビュー(1983年2月)
『事件のカタを早急につける必要があったからね。ただ、ロッキード事件のような大物(田中元首相)が、この事件にもかかわっているのかどうか、問題になった。もし『超大物』がかかわっている兆候があれば徹底的にやって、何としてでもやっつけなければ、ということになった(中略)。ニオイはした。事件にもなりそうだった。しかし『超大物』を事件の枠内にはめこむことはできなかった。
結局『超大物』は捨ててしまい、松野頼三君でとめた』
《検察最高首脳は、国会喚問と引き換えに岸信介元総理に「政界引退」を迫った》
古い話ですが、私が聞いている範囲では、検察最高首脳(検事総長)が直接的か、間接的にか知りませんが「岸先生、引退してもらえませんか?」と迫ったと聞いています。
それが、「国会喚問→刑事訴追」との引き換えであるかのように、その直後の1979年10月の衆議院の解散で、岸信介元総理は、出馬せず政界を引退しました。
★政界を引退しなければ、「逮捕しますよ」というブラフ(脅し)だったと思います。
狙われながらも「巧妙に逃げ回った」風見鶏こと元総理の中曽根康弘は、未だ存命で、昨年満100歳の誕生日を無事迎えました。
また総理にこそなりませんでしたが、自民党を割って出て、民主党の幹事長だった小沢一郎も「陸山会事件」で追い回されましたが「無罪請負人」の弘中弁護士の活躍で逃げ切りました。
《東京地検特捜部は、たとえ「執行猶予付き」であっても、確実に「有罪」に持ち込める事件しか起訴しない》
検察はよく「公判維持が難しい案件は起訴猶予にする」と言われます。
「公判の維持」とは、たとえ、一審で「無罪判決」が出ても、最高裁にまでもっていって、最終的に「有罪に持ち込める」案件ということです。
ですから、一旦、東京地検特捜部に起訴されたら、「無罪を勝ち取ること」はほぼ不可能に近いでしょう。
《刑事事件を弁護する「ヤメ検弁護士」の「法廷戦術」は、「有罪は諦めて執行猶予を付けてもらう」ことの一択》
東京地検特捜部に逮捕された「被疑者」の弁護人になるのは、多くの場合、「ヤメ検弁護士」です。
そして、彼らは、検事時代に自分がやってきたことをよく知っているから、刑事裁判での「検事」=かつての部下か後輩の手の内や「落としどころ」を熟知しています。
ですから、刑事被告人の弁護の「基本戦略で同時に法廷戦術」は、はなから「無罪判決」は諦めて「有罪でも執行猶予付き」を狙うこと一択となります。
この本に、面白いエピソードがふんだんに盛られています。
ある関西地区の「大物ヤメ検弁護士」は、上記の基本戦術を徹底し、「執行猶予」を何とか獲得するために、ひたすら「裁判官の心証」をよくするために、被告人に、ひたすら法廷で「泣かせる」そうです。
そして、裁判の休憩中に、被告人を呼びつけて「こらぁ、もっと真剣に泣かんかい」とどやしつけるそうです。
笑うに笑えないエピソードでした。
《元特捜部長の大鶴弁護士辞任の理由を推理する》
以下は、あくまでも私の「素人推理」に過ぎませんが
大鶴弁護士は、受任以来、秘かに、「水面下のルート」で、かつての後輩の特捜部の「首脳」と、何とか「執行猶予」の落としどころをもらえないか、腹の探り合いをしたのではないか・・・・・と。
その結果、「特捜部首脳」の姿勢から「有罪で実刑一択」しかないと判断したために、辞任したのではないかと推理しています。
弁護士が「弁護人」を降りるケースは以下の2点です。
- 依頼人から「解任」される。
- 自分から「辞任」する。
「旧ライブドア粉飾決算事件」で、ホリエモンは最初はヤメ検の弁護士に依頼していましたが、自ら「解任」しました。
しかし、大鶴弁護士は東京地裁に「辞任届」を提出し受理されています。恐らく、ゴーンとも了解済みの行動だったのではないかと思います。
大鶴弁護士の命式も用意していました。結論から言うと、来年から空亡に入るので、このまま弁護人を続けても公判では一審から苦戦したと思います。命式は割愛しますが、ご本人もベストな選択だったのではないでしょうか。
それでは、早速カルロス・ゴーンの命式を見てみましょう。
続きます。