新元号の「令和」には権力闘争に敗れた中国共産党幹部の「姓」が含まれている
中国人「日本が日本らしくなってきて私はうれしい」
https://web.archive.org/web/20190404054723/http://www.japohan.net/archives/22403
2019年4月4日
在日中国さん
令和は本当は中国古典の清史稿の「乃令和珅自裁」が出典らしい [193 Good]
訳者注
清史稿は辛亥革命後の中華民国時代にまとめられた清朝1代の紀伝体歴史書で、その中に出てくる「乃令和珅自裁」という文言は「和珅に自害を命じた」という意味です。和
珅(ヘシェン)は清朝時代の乾隆帝、嘉慶帝の側近として仕え、その地位を利用して専横の限りを尽くし、中国最大の大富豪とも言われていた人物です。乾隆帝の死後、権力の集中を目論んだ嘉慶帝に自死を命じられました。
実は私が「令和」という新元号を聞いて最初に思い浮かんだのはこの人物です。
元中国共産党幹部の令計画(れいけいかく;リン・ジーファ)・・・Wikiより
https://web.archive.org/web/20190406111024/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E8%A8%88%E5%8A%83
1956年10月 – )は中華人民共和国の政治家。第17期中国共産党中央委員、党中央書記処書記、党中央統一戦線部長。
経歴
本来の苗字は令狐である。父親の令狐野(れいこ や、リンフー・イェー)は1930年代末、延安で中国共産党に入党した医師で、同じく山西省出身の薄一波の親友であった。四男一女の子があり、党文書の用語からそれぞれ名をつけた。方針・路線・政策・計画・完成である。地方官僚の妻である令狐路線以外は、姓を一文字の令に改めている[1]。
1975年6月、地元山西省平陸県の共産主義青年団(共青団)県委員会に入り、1976年6月、中国共産党に入党。1979年に共青団中央に抜擢され、宣伝部の活動に携わる。共青団中央で昇進を重ね、1988年より共青団中央書記処弁公室主任、共青団中央弁公庁主任を歴任して共青団団中央書記処第一書記だった胡錦濤を支えた。その後、共青団宣伝部長も務めた。
1995年12月からは党中央弁公庁に移り、1999年12月、副主任に任命される。2002年11月の第16回党大会で党中央候補委員となり、直後の第16期党中央委員会第1回全体会議(第16期1中全会)で党総書記に就任した胡錦濤の秘書を務める。2007年9月19日、党中央弁公庁主任に昇格。同年10月の第17回党大会で中央委員に選出され、第17期1中全会で中央書記処書記に任命された。
2012年9月1日、党中央統一戦線部長に転出[2]。
2014年12月22日、令計劃は重大な規律違反で党組織の調査を受けていると新華社が報じた[3]。
2015年2月28日の第十二回中国人民政治協商会議常務委員会第九次会議で、令の政治協商会議副主席職務の停止及び政協委員資格剥奪の決定が下された[4]。
2015年7月20日、中共中央政治局は令の党籍・公職を剥奪するという決定を下した。また、令の犯罪関与について司法機関に調査を要請した[5]。この決定を受け、最高人民検察院は同日、令を収賄の疑いで立件し、逮捕することを決定した[6][7]。2016年5月13日に収賄罪、国家機密違法取得罪、職権濫用罪で起訴された[8]。
2016年7月4日、天津市第一中級人民法院は令計画に対し、無期懲役の判決を言い渡された。令は上訴をしない意向を表明した[9]。
現在は、令計画は、既に失脚した共産党の幹部達薄熙来(はくきらい;ポーシーライ)や周永康、同様、北京の秦城監獄にぶち込まれています。
罪は、無期懲役です。中国でフランス革命並みの「市民革命」が起きない限り、娑婆に出ることはないでしょう。
「復権」の可能性が限りなくゼロに近い、過去の「権力者」です。
過去記事の「チャイナファイブを斬る」で触れようかなと思いましたが、人間関係が複雑で、読者が混乱すると思ったので、敢えて触れませんでしたが、現在の国家主席の習近平にとっては「目の上のたん瘤」で権力闘争においてはキーパーソンでした。
http://akimasa-fushimi.sakura.ne.jp/wp/category/シリーズ/チャイナファイブ/
《令計画の人となりと「失脚」の理由》
中国共産党権力者の「二大派閥」の「団派」のホープでした。
ポスト習近平の一人であったといってもよいです。
もう一度、中国共産党の「派閥」について説明すると
「団派」・・・共青団とも言います。
中国共産主義青年団とは・・・Wikiより
中国共産党による指導のもと、14歳から28歳の若手エリート団員を擁する青年組織。略称は共青団(きょうせいだん)
青年が共産主義を学習する学校として機能しており、実質中国共産党の予備軍である。直接中国共産党に入党することも可能であるが、将来共産党高級幹部を目指すためには先ず共青団に入団し、共産党に入党するのがエリートコースとされている。共青団が指導する下部組織として中国少年先鋒隊(少先隊)があり14歳以下の少年が所属している。
共産主義青年団中央委員会は、党中央委員会の指導を受け、共産主義青年団の地方各クラスの組織は、同じクラスの党委員会の指導を受けると共に、共産主義青年団の上級組織の指導を受ける。
青年団の県クラスおよび県クラス以下の各クラス委員会の書記、青年団委員会の書記は、党員である場合、同じクラスの党の委員会および常務委員会の会議に列席することができる[2]。
★出自に関係なく、「能力」で選ばれた「官僚政治家」です。
代表的な権力者は胡錦涛前主席、李克強首相です。
それに対立する派閥は「太子党」です。
太子党とは・・・Wikiより
https://web.archive.org/web/20181212185704/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%AA%E5%AD%90%E5%85%9A
中国共産党の高級幹部の子弟等で特権的地位にいる者たちのこと[1]、あるいはその総称である。世襲的に受け継いだ特権と人脈を基にして、中国の政財界や社交界に大きな影響力を持つ。
太子は日本語の「皇太子」と同じ意味。党組織だけでなく、コネを生かして企業経営等に関わる場合もある。なお大抵は親の方が地位・知名度共に上だが、曽慶紅のように子の方が出世した例もある。
高級幹部の子女が特権を享受しているのは国家クラスから末端の県、郷で見られ、親族への就職斡旋や裏口入学などが行われている。これは周辺を信頼できる身内で固めることで、自身の地位安定と一族の団結を図る中国の伝統的な大家族主義に由来している。
同じ利益を代表する一つの派閥と捉える報道もあるが、親が属したグループや各自の政治路線の違いもあり人間関係が一枚岩とは言えない[2]。
なお、「太子党」という呼称は便宜上マスコミが名づけたもので、特に本人たちが名乗っているわけではない。2012年に当選した韓国の大統領の朴槿恵や日本の首相の安倍晋三といった中国国外の世襲政治家も同時期に中国共産党総書記に選出された太子党出身の習近平と並べられて中華圏のメディアでは太子党と呼ばれてる[3][4]。
北朝鮮の金正日総書記の長男である金正男も中国政府に匿われて中国の太子党と関係[5]を持ったことから太子党と呼ばれていたこともあり[6][7]、次男の金正哲が主宰する烽火組(中国語版)も北朝鮮版太子党と呼ばれている[8]。
★ざっくりいうと「世襲政治家」ですね。
日本では、今の自民党に沢山いますね。
ただ、党幹部まで出世するには、親が「革命第一世代」で「革命功労者」でなくてはだめです。
「革命第一世代」とは、毛沢東以来の「八路軍」で、蒋介石率いる中国国民党と「国共内戦」を闘い抜いた幹部です。
代表政治家は、現在の国家主席の習近平や、ライバルで失脚した薄熙来がいます。
★歴史で見ると、鄧小平までが「革命第一世代」です。
面白いのは、中国共産党の「御用メディア」の「人民日報」などは、親が政治家だった、日本の安倍総理や韓国の元大統領の朴槿恵、も「太子党」と呼んでいるのですね。
令計画の就いた重要ポストは「党中央弁公庁主任」です。
党と政府のスポークスマンでNo2です。
日本でいえば、「安定のガースー」こと菅義偉官房長官と同じです。
習近平の前任者の胡錦涛の「側近中の側近」で「懐刀」でした。
しかし、彼にも「転機」が訪れます。
「党中央統一戦線部長」への転出です。事実上の左遷でした。
党中央統一戦線部とは・・・Wikiより
中国共産党中央統一戦線工作部
中国共産党中央委員会に直属し、中国共産党と党外各民主党派(中国共産党に協力する衛星政党)との連携を担当する機構。
民族、宗教についての業務、特にダライ・ラマに協力する国内外のチベット解放活動に対する工作や、海外における祖国統一工作、非共産党員の幹部養成も職務に含まれている。
要するに、少数民族対策や、「反体制組織」を取り締まる「治安組織」の長ですね。
胡錦涛の跡が、同じ「団派」の李克強ではなく「太子党」の習近平になったため、煙たがられたのです。
《息子の不可解な死と直後の失脚》
「黒いフェラーリ事件」
2012年10月22日の記事です。
胡主席の腹心の令計劃・党中央委員の息子である令古氏(23)が、雪で滑る北京の環状道路で午前4時に黒のフェラーリで事故を起こした。
胡錦濤国家主席の腹心である令計画氏(右)は息子が死亡した3月18日のフェラーリの事故後に降格された(写真は2008年の党大会)
共産党関係者や中国の報道関係者らによると、息子の令氏は即死した。同乗していた2人のチベット女性は重傷を負い、そのうちの1人は後に死亡した。
運転手の名前を含む事故の詳細はすべて、素早く伏せられた。父親の令氏は息子のライフスタイルに関する世論の非難を免れ、その代わりに数カ月後、格下ではあるが依然重要な共産党の役職にひっそりと就いた。
フェラーリの事故を伝える夕刊紙「北京晩報」
3月18日早朝に発生したフェラーリの事故から数時間もたたないうちに、中国のソーシャルメディアは運転手が共産党幹部の息子であり、どうしてそんな高級な車を持つことができたかについての話題で持ちきりとなった。もっと悪いことには、車内にいた人間は全員、全裸もしくは半裸状態だったとのうわさが流れた。
共産党は事故の運転手に関する情報をすべて隠ぺいした。事故を起こした運転手の父は党中央委員として、トップ指導者らのスケジュール管理や資料の流れ、セキュリティーに関する監督業務を行っていた。
救急隊員や報道関係者らは口封じをされた。事故のニュースや運転手の身元に関する情報はインターネットから削除された。重傷を負った同乗者は雲隠れした。
事件に詳しい共産党関係者と中国の報道関係者は、父親の令氏は中央警備局の助けを借りて、事件を隠ぺいしようとしたと話す。同局は令氏が所属する部署が監督している。
「彼はそのことで非難された。警察が扱う事件にすべきだった」と、政治指導者のセキュリティーに責任を持つ中央警備局の関係者は話した。
令氏の息子で、自動車事故で死亡した令古氏は北京大学の国際関係学科を昨年卒業し、学友たちによると、同大学教育学部の大学院に在籍していた。
最初は比較的目立たないようにしていて、素性についてはあまり話していなかったが、級友たちはすぐに、彼が特権階級家庭の子供だと気付いた。
学生たちによると、令古氏はデザイナーブランドの服を身につけ、大学の寮ではなく私邸で暮らし、授業に遅れてきたり早めに切り上げることもしばしばあった。
また、父親の友人が運営する投資ファンドから膨大な収入があると自慢していたこともあった。この会話について知る人物1人が明らかにした。
級友の1人は、「遊び人ではなく、いい奴だった。ただ、お金があって、エリート層の友人がたくさんいるようだった」と話した。
令古氏の複数の友人は、彼が衝突事故を起こしたフェラーリは令古氏自身や両親が所有していた車ではなかったようだと考えている。令古氏はBMWを運転しているところが見かけられていた。また、スピードの出る高級車を所有する実業界や政界の有力な家族出身の友人が複数いることも知られていた。中国語で2代目富裕層を表現する「富二代」として知られるこうした家庭の子供たちは、互いに高級車を貸し合ったり、ディーラーから高級車を借りることもよくあったという。こうした集団に友人がいた人々が明らかにした。
級友たちは事故の時に令古氏と一緒に乗っていた女性が誰かはよく分からないという。級友たちによると、令古氏は当時2人の女性とデートしていたが、いずれもチベット人ではなかった。
衝突事故で命が助かったほうの女性の友人1人によると、彼女は20代でチベット自治区の政府当局者の娘だ。この友人は、フェラーリに乗っていた女性が、令古氏には衝突事故の前夜に会って、彼のことはよく知らず、また、Wangという姓でしか知らなかったと話していた、と語った。さらに、令古氏が投資事業を行っていると言っていたことを覚えているという。
フェラーリに乗っていて、後に死亡したほうの女性が令古氏ともっと親密だったという。
★あまりにもできすぎていて「不自然」です。
次号へ続きます。