どう考えても、死んでこの世にはいない井沢満
「井沢満ブログ」は今日現在、先月の7月30日以来更新が止まっている。
コメ欄の「盛り付け」も7月27日で止まっている。
井沢満のブログ
2019年7月27日の記事
タイトル YOUは何しに東京へ
コメ欄
どうせなら (mai)
2019-07-27 23:49:17
TOKYO五輪をボイコットしてくれても良いと思っています。
彼らならそれくらいのことをしてくれると思います。
期待してます
今、日本人ならみんなそう思っているのではないかしら
8月12日現在、故井沢満にとって、絶対に無視できないイベントがあったのに触れていない(怒)それは、広島の原爆の日と同じ、井沢満の誕生日だ(怒)
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井沢満 1945年8月6日生まれ
井沢満・・・・Wikiより
1945年8月6日 – )は日本の脚本家、小説家。大分県出身。コメンテーターとしてテレビ番組にも出演する。
生い立ちおよび略歴
日本統治下の朝鮮・京畿道京城府(現在のソウル特別市)に誕生。終戦に伴い、0歳の時に居留日本人の引揚船でもともとの郷里である長崎へ帰り、4歳までを過ごす。大分県立大分舞鶴高等学校卒業。早稲田大学文学部仏文科中退後、オーストラリアへ渡る。
Wikiの編集履歴を見ても、2019年4月13日が最後となっている。この頃に死んだのではないか?
2019年8月12日現在、「井沢満ブログ」の最後の記事
井沢満のブログ
2019年7月30日の記事
タイトル 無題
「徹子の部屋」で岩下志麻さんをお見かけしたので、お元気で何よりと、メールを出したら即座にお返事が来て、「年齢を感じながらがんばっています」と絵文字付きで即座に返信を頂いた。即レスは若者並みである。
その後三田佳子さんから電話を頂戴し、小一時間喋ったのだがふと岩下さんと同じようなことを、おっしゃった。平均値よりは随分若くお元気な大女優さんお二人がそうなのだから、抗えぬものがあるのかもしれない。体操教室に通ったり、なるべく階段を使ったりで元気な私もふと足元がおぼつかない時があり、気を引き締めている。
さて京都アニメーションの火災のことであるが、アニメにとりわけ嗜好を持っているわけでもないのだが、日本国の国家財産レベルで大事な文化財であることは承知しているし、自分の原作で連続アニメ化されたものもあるので親近感は持っている。という以前に、私の脳裏では「作品」としての評価が先に来て、ことさらアニメだから実写だからという区分けがない。コンピューターによる作画に頼り切らず手描きの部分を大事に随分、評価の高い作品を作っていた会社のようで、無念なことである。
「京アニ」については、海外を含めて義援金が随分寄せられているようで、それが僅かながら救いであろうか。
事件を時系列で辿ってみると不可解な要素もあり、なんとも割り切れない嫌な気持ちをこの数日間ひきずったまま無言でうち過ごし、遅れ馳せの哀悼の意であるが、志半ばに亡くなられた方々のご冥福を衷心よりお祈りする。
・・・・・・アニメで思い出したが、韓国の衣料メーカーが自称韓国アニメ「ロボット・テコンV」とのコラボレーションで、テコンVをプリントしたTシャツを日本の輸出管理反撃として売り出すという。
★記事に登場する二人の大女優の、一人はブログをやっており、忙しい最中、結構頑張って更新しているが、「井沢」の「井」の字も出てこない(爆)
コメ欄も同じ。
公称年齢だと、未だ74歳なので、認知症にでもならない限り、自分の誕生日は忘れないだろう。
ましてや、1945年8月6日とは、「日本国の歴史上、消しても消せない」、人類史上初めて、「人体実験的」に原爆が投下された日なのである。
「人類史上最も悲劇的な生年月日」で、しかも「被害者の日本人」なら、忘れるはずはない(怒)
韓国人でも覚えている(怒)
「反日」で「ざまあみろ」と快哉を挙げる日なのだから。
全く無関心なら、やはり「中国朝鮮族」だろう。
この記事を読んで数日後、「井沢満のなりすまし」がブログを更新して
「いや~、大分舞鶴高校出身の「松尾満」さんに「背乗り」したので、つい他人の誕生日をわすれちゃいましたよ~」
とでも書けば、つじつまが合うが。
それにしても、プロフィール様に使用している、やせこけた写真はまさに「遺影」のようだ。笑うに笑えない。