無限拡散|山田宏との関係からアネザイチカを探せ
《アネザイチカと山田宏との「超密接な関係」》
羽生結弦選手のファンにとっては、「天敵」のアネザイチカ=夢の宮一派と自民党の参議院議員の山田宏との「超密接な関係」は周知の事実です。
アネザイチカ「国会に真の友人を持つ喜び」
山田宏・・・・Wikiより
※https://www.yamadahiroshi.com/
➀ 東京都出身、京大法学部卒業
➁ 京大では高坂正堯ゼミ(国際政治学)で前原誠司の先輩
③ 卒業後、松下政経塾へ入塾
④ 衆議院議員の熊谷弘の秘書となる。
⑤ 1985年新自由クラブから当選
⑥ 1986年新自由クラブ解散後は、自民党に合流
⑦ 自民党を離党し、日本新党に参加
⑧ 1994年、日本新党の解党により新進党に合流
⑨ 1996年落選
⑩ 1999年杉並区長
⑪ 2010年、日本創新党を結成するも落選
⑫ 2012年、日本維新の会から立候補、小選挙区では落選するも比例で復活
⑬ 2014年、次世代の党から立候補するも落選。
⑭ 2016年、自民党参院比例区で当選。
正体は「左翼リベラル」の「極右ビジネスの政治屋」で小沢一郎や小池百合子に寧ろ近い
★最初に秘書になった熊谷弘は「小沢一郎の一の子分」
熊谷弘・・・・Wikiより
日本の政治家、通産官僚。
参議院議員(1期)、衆議院議員(6期)、通商産業大臣(第57代)、内閣官房長官(第57代)、保守新党代表(初代)などを歴任した。
非自民連立内閣
熊谷にとって大きな転機となったのは、1992年、竹下派が分裂し羽田孜・小沢一郎率いる改革フォーラム21(羽田・小沢派)に参加したことである。熊谷は小沢側近として派閥の運営を取り仕切った。羽田・小沢派は1993年、宮澤内閣不信任案に賛成し自民党を離党、新生党を結成した。
不信任案可決による解散総選挙で自民党は過半数に届かず、熊谷はその後の非自民・非共産各党により成立した細川護煕内閣で通商産業大臣に就任した。
以上
あまりにも「無節操」な政党の渡り歩きで、選挙民から愛想を尽かされて、落選。
政界引退しました。
「初当選」は新自由クラブから
新自由クラブ・・・・Wikiより
かつて存在した日本の政党。
1976年に自由民主党の河野洋平、西岡武夫らによる超派閥グループの国会議員が政治倫理を巡り離党して結成され、10年後の1986年には自民党への合流に伴い解散した。
党史
ロッキード事件で田中角栄前首相に捜査の手が及ぶなど政治倫理が大きな政治課題に上っていた頃、既に自民党を離党していた衆議院議員の河野洋平・田川誠一・西岡武夫・山口敏夫・小林正巳と、「自民党はすでに歴史的役割を終えた」として、[5]1976年6月25日に「保守政治の刷新」を掲げて新自由クラブを結成した。
「基本的には反自民の保守政権」でしたが、内部抗争や政治路線対立、落選による党勢衰退で、結局、頭を下げて、1986年に自民党に「出戻り」となりました。
このことから、山田宏は「基本的には反自民体質」だとわかります。
新自由クラブが解散したので、しょうがなく合流した自民党に馴染めず
離党して、日本新党→新進党と渡り歩く。
「政界渡り鳥」この辺は小池百合子によく似ています(怒)
《落選回数が多く、選挙に弱い》
★所詮は、比較的長く続いた「杉並区長」がせいぜいの政治家。
《自民党に入党後「極右発言」を連発するのは、落選が怖いので「似非保守ビジネス」で常に目立っていなくてはいけないという「強迫観念」からくる》
★「選挙に弱い」のは「残念な容貌」の為。
石破茂、韓国の国会議長の文喜相(ムンヒサン)と並んで、世界トップ3に入るか。
本当に悲惨だな~
「日本人離れしたルックス」から「帰化人」ではないかと見ています。
余命三年の日本、 ニッポン創新!
余命三年??どこかできいたな
ヨガをたしなむ、
山田宏公式HP
https://www.yamadahiroshi.com/gallery.html
ギャラリーより
インドで聖人にあったと書いてますね。
ヨガ??
スピリチュアル系なのだろうか?
そういえば、アネザイチカ一派に、ヨガのインストラクターをしていたと思われる女性のブログが背中乗りされたが、その後の、ヨガ関係の記事は誰が書いているのか。
すくなくとも、アネザイチカ=手相見姉さん=夢の宮とは話があうだろう。