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小池の欺瞞 パフォーマンスで新台湾・反中を演じる
《9年前の訪台時、現在と「真逆の発言」をしている小池百合子》
これには度肝を抜かれましたが「李登輝友の会」の永山英樹氏のブログから引用します。
ブログ名 台湾は日本の生命線 2011年1月13日の記事
タイトル 痛快!小池百合子氏が台湾「媚中」総統の前で民主党「媚中」政策を批判
小池百合子元防衛相が一月十日、台北で開催された「二〇一一年天下経済フォーラム」(主催:天下雑誌社)に出席し、馬英九総統も出席する前で「アジアの繁栄と挑戦」と題する英語講演を行った。
そこで小池氏は日米関係に関しては次のように強調している。
―――民主党政権は米国と中国を同時に引き入れようとするため、日本は「二兎追うものは一兎をも得ず」の状況に陥っている。
―――従来の日米同盟強化の政策を日米中三角関係の方向に転じさせようとしているが、これは誤りだ。
―――民主党が外交上の誤りを糾そうとしないことが、東アジア地域に影響を及ぼしている。中国に接近した結果、日中漁船問題を引き起こした。中国はどんどん大胆に海上権力を強めている。
―――日米同盟は単なる防衛システムではなく、東アジア安定の礎石。これは強化しなければならないし、そうすることは台湾の安全にも役立つ。
このように小池氏は、民主党政権の媚中政策を批判したわけだが、こうした話を民主党に勝るとも劣らぬ媚中姿勢で知られる馬英九氏の前でやってやったのは、何とも痛快なことだった。
もっとも馬英九氏本人は、ただポカーンとした顔で聞いているだけだったが。
それはともかく、現地マスコミは「日米同盟は台湾に有利」などといった見出しで、小池氏の講演要旨を報じていた。
中国側も「日米同盟と台湾の結託」の話にはやはり気になったらしい。そうした報道を、新華社も転載していた。
実は小池氏は台湾で、日本の有力な親台派議員として知られている。だからこの講演は馬英九政権の媚中政策に危機感を抱く多くの台湾国民を激励したことだろう。
このように日本側が台湾の安全保障に関心を示すことは、あの国の人々を大いに励ますものなのである。
2011年、日本は民主党政権の時代です。この時は自民党の総務会長で、衛藤征士郎は衆議院副議長で仲良くスクラムを組んでいた頃です。
「台湾の自主独立」に日々取り組んでいる永山氏のネット番組「台湾ch」は常にチェックしてきたので、彼が快哉を挙げる気持ちはよくわかります。
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《「親台湾派政治家」を装い台湾政界を騙し、裏切っている小池百合子》
再度、永山氏のブログの記事から引用しますが
実は小池氏は台湾で、日本の有力な親台派議員として知られている。
と有りますが、これのきっかけとなった事件があります。
《台湾大地震をチャンスととらえて、李登輝総統に取り入った小池》
921大地震
台湾時間の1999年9月21日1時47分18秒に、台湾中部の南投県集集鎮付近を震源として発生したモーメントマグニチュード(Mw)7.6の地震
被害
死者:2,415人
負傷者:11,306人
行方不明者:29人(台湾行政当局の発表)
大著「女帝 小池百合子」の「小池百合子分析の一本の筋」は、小池は若い頃から、自分にとって利用価値の有る年長の男性の懐に飛び込んで所謂「ジジイ殺し」「ジジイ転がし」をしながら、「権力の階段」を登ってきたとあります。
わかりやすく言えば「政界枕営業専門女」です。
利用するだけ、利用され、食い散らかされてきたのが、テレビ東京のドンの中川順、細川護熙、小沢一郎でしょう。
小泉純一郎とは「半島系帰化人同士」「サイコパス同士」で、今も「利害関係を共有」しています。
「女帝 小池百合子」では、対象から外れていましたが、私から見ると、先日2020年7月30日お亡くなりになった故李登輝総統もその対象でした。
李登輝総統の著書「李登輝より日本に贈る言葉」李登輝著、出版元ウェッジに書かれています。
P158
私が総統時代の1999年、台湾中部で大地震が起きた時に、日本はその日のうちに世界に先駆けて145人の国際救援隊を差し向けてくれました。各国の救助隊の中でも最大の規模でした。
その後も、小池百合子衆議院議員が窓口となって阪神・淡路大震災に使われた仮設住宅一千戸を送ってくれました。義捐金も世界中でいちばん多かった。
さすがは日本人だと台湾人は感動しました。
この本は、今を去ること6年前、2014年6月に出版された本で、李登輝元総統の言いたいことは、安倍総理が民主党から政権を奪還して1年、政権基盤が安定してきた安倍総理に対する期待と「エール」で満たされています。
「哲人政治家 李登輝」の真骨頂が発揮されていて、平易な文章ですが含蓄の深い本です。
現在生存する日本の政治家の名前で、登場回数が最も多いのが安倍総理です。
小池百合子の名前が出てくるのがこの一か所だけです(笑)
「女帝 小池百合子」によると、ちょうど、この時期に、阪神淡路大震災の被災地で苦しんでいる、かつての選挙民からの陳情を受けた際に、顔を上げず、マニキュアを塗りながら、「マニュキュア、塗り終わったので、帰ってもらえます?私、選挙区変わったし」と、顔も上げずに行ったのは、有名な話です。
他者への同情や共感など、微塵もかんじない冷酷な女です。仮設住宅の件も、アピールの為だけでしょう。
しかし、台湾の「本省人」、「独立派」の政財界人、言論人の間では、「李登輝」の名前は「絶対的な影響力」があります。
故李登輝総統が達者な日本語で、日本人向けの著書に、小池の名前を載せるということは、台湾でも彼は、中国語、台湾語で小池の名前を発信しているでしょう。
《「政界のチアリーダー」から「親台湾派政治家」という「看板」が欲しかった小池百合子》
お世話になったテレビ東京に「後足で砂をかけて」、40歳で「日本新党」から国政に出た小池百合子の「政治家としての立ち位置」は、石井妙子女史がネーミングした通り、「政界のチアリーダー」でした。
昨今、職業としては、かつてほどの人気のない「民放キー局の女子アナ」ですが、花形職業だった頃から「30歳定年制」と言われてきました。
小池をやたらと持ち上げるフジテレビなんかは、視聴率の取れない女子アナは、30歳前に「広報部」に移動命令が出ます。
一種の「肩たたき」「左遷」です。
フリーアナに過ぎなかった小池は、テレ東のドンの中川が失脚したら、即「キャスター降板」だったでしょう。
政治家に成っても「頭が悪い」から、ライフワークとして打ち出せる「政策」が思いつかない。勉強の仕方もわからない。
この点、「政策」ではなく「個人的な私怨」から「馬鹿の一つ覚えの様に30年間、郵政民営化」を連呼し続けた小泉純一郎と同じです。
日本新党→新進党と移っても、任せられる仕事は「広報関係」ばかりでした。
例えて言えば「万年、高校の文化祭の実行委員長」の様なものです。
1999年の小池は、47歳、50歳手前です。
いつまでも「広報担当専業」では馬鹿であることがばれてしまいます。
そこで、「思いついた」のが「親台湾派政治家」という「偽りの看板」でした。
《ちょうど、自由党党首だった小沢一郎を切り捨てようと思っていた時期と重なる》
1999年1月「自自連立」で、小渕総理率いる自民党と小沢一郎を代表とする自由党が連立して、第一次小渕改造内閣が成立しました。
しかし、自由党の得たポストは野田毅の自治大臣の1ポストだけでした。
野田は78歳ですが、後に自由党が分裂し「保守新党」が出来た時に、残留せず、小池と二人で自民党に移っています。
小池百合子―衛藤征士郎―野田毅は、非常に付き合いが長く、「日本公認会計士協会」のパーティーで仲良く写真に写っているのは過去記事で紹介した通りです。
1994年に自民党を離党して、新進党→自由党と小沢一郎と行動を共にした女性政治家に「保守党」党首で参議院議長となった扇千景がいます。
日経新聞連載の「私の履歴書」で扇千景はこう述べていました。
小沢一郎は自民党と連立を組むと、昔の「権勢」を取り戻せると期待していたが目論見は大きく外れた。
小沢も自由党も、自民党からの扱いは酷いものだった。
新進党を「解体」して「純化路線」と言って小さな所帯の自由党党首となった小沢一郎には、もう自自連立を「梃子(てこ)」として「政局」を動かす力は残っていませんでした。
《骨の髄から「親中派」の小沢一郎から見れば小池の「台湾援助」は不愉快だったに違いない》
扇千景の「回想」の様に、小沢一郎が総理になる目が無くなった。それにくっついって、自分が外務大臣や主要閣僚になる可能性が無くなったと見た小池は、小沢が嫌がることを露骨に始めたのでしょう。
扇千景は87歳で未だ存命なので「扇の小池評」も是非聞きたいものです。
翌年2000年4月、自民党と袂を分かって、連立を解消した小沢一郎の「引き留め工作」に後足で砂をかけ、捨て台詞を浴びせたのは「女帝 小池百合子」に書いてある通りです。