日本国・日本人・日本文明を憎悪する竹中平蔵
日本国・日本人・日本文明を憎悪する竹中平蔵
思っていても口に出して言ってよいことと悪いことが有る。
口に出したら命を失う内容もある。
この動画は何度も見たが怒りを通り越して感心する。
昭和の時代の「純粋日本人の右翼」は右派の私でさえ本当に怖かった。
大学に進学して上京する時祖父から赤尾敏には気を付けろと言われた。
赤尾は先帝様の昭和天皇が亡くなると後を追うように1990年亡くなった。
赤尾 敏(あかお びん、1899年〈明治32年〉1月15日 – 1990年〈平成2年〉2月6日)は、
日本の政治家、右翼活動家、衆議院議員、大日本愛国党初代総裁。
当初は社会主義者であったが、1926年(昭和元年)に「天皇制社会主義」を理想として民族主義者へ転向。
1942年(昭和17年)には衆議院議員に当選した。1945年(昭和20年)の敗戦後、政治活動と講演活動を行い、
1951年(昭和26年)親米反共を訴える大日本愛国党を創党した。
特に銀座数寄屋橋などでの辻説法による過激な街頭演説で有名であった。
配下の党員であった山口二矢(事件当時は離党)が起こした浅沼稲次郎暗殺事件では取調べを受け、
嶋中事件では殺人教唆で逮捕されている(証拠不十分で釈放)。
浅沼委員長刺殺事件当日、その党員十数人は日比谷公会堂の前から3、4番目の席に陣取った。
入場券は確保していなかったが、会場前のダフ屋から購入した。
山口が浅沼委員長を襲った直後、出血が少ないことに気づいた赤尾は、
隣の人間に「坊や(山口)、やりそこなったかな」と話しかけたという。
またニュース映画「毎日ニュース」には、「坊やがよくやったもんだ、偉いもんだ」と発言
Wikipedia
今の街宣右翼は在日がバイトでやっているらしい。
従って今の「街宣右翼」は朝鮮人だから「竹中と馴れ合いのプロレス」をやっているにすぎない。
お互い「日本と日本人を憎む同志」だからね。
竹中は本当に良い時代に生きていると思う。
佐々木実の著書によると竹中には一人娘がいるらしい。
母校だからいろいろ情報が入るが、藤沢キャンパスの父親のゼミナールにいたらしい。
竹中は自分の一人娘がトヨタの工場で非正規で働かされ月給はベーシックインカム7万円で派遣用の月家賃5万の寮住まいになっても同じことが言えるだろうか?
いや「若者は貧困になる自由がある」と持論を展開せねばならない(怒)
昭和の時代までの日本には「自浄作用」があったのだ。