【2024年都知事選⑩】革新系美濃部都政を倒せなかった自民党

革新系美濃部都政を倒せなかった自民党

 

「55年体制」の最強の自民党が勝てなかった革新系の美濃部知事

※この時代は「55年体制」と言って自民党が衆参で単独過半数を取っていた時代です。

今の様な「自公政権」で連立を組まなければ衆参で過半数を取れない、すなわち法案を通せない時代と違い「自民党最強の時代」です。

その時代に「社共共闘」と公明党、民主党と野党の広範な支持を得る革新系の美濃部知事を引き摺り下ろすことが出来なかったのです。

先ず、ここに自民党にとって都知事選の難しさが有ります。

都知事ポストを奪還する為に1971年は元警視総監の秦野章を立てました。美濃部は秦野を全く相手にせず長期政権の佐藤栄作を批判して「ストップ・ザ・サトウ」を訴えて圧勝しました。

なんと都知事選の政権公約が国政批判だったのです。従って蓮舫の都知事選と国政とのリンクは間違ってはいないのです。

 

美濃部打倒の最後の切り札としてポピュリストと電通を投入

1975年美濃部が3期目を目指すと自民党はタカ派ポピュリストの石原慎太郎を対抗馬にしました。

この時美濃部都政を支えてきた社共共闘体制が決裂すると美濃部は2月16日不出馬を表明、当時は公明党と民社党(元はトヨタ労組、今の連合東京)も美濃部支持でした。

 

最大限じらして「後出しジャンケン」で勝利した美濃部

美濃部支持者は「美濃部さんの3選を願う党」を設立してデモやハンスト、都庁前の座り込みを始めました。

3月10日、美濃部は公明党で親中派の竹入義勝に会って出馬を表明、大義名分は「ファシスト(石原慎太郎)に都政は渡せない」でした。

 

石原慎太郎が画策した最大の劇場型選挙

石原は劇団四季主催者の浅利慶太と電通新聞局長の成田豊(後の電通のドン)を左右の参謀に据えました。

石原は電通経由でTVで大々的な対美濃部の劇場型都知事選をやれば勝てると踏んだのです。

画像は韓国から表彰される成田豊(2011年没)

 

失政の無い美濃部が負けるはずはなかった

松下正寿立教大総長は統一教会の信者として有名ですがこの時は、統一教会と国際勝共連合は石原陣営に協力し石原の選挙費用の1億5,6千万円を負担したと言われます。

危ない所でした石原が勝っていたら「ファッショ・カルト都知事」が誕生していたところでした。

「選挙の神様」と言われた飯島清は石原に「勝てるはずはないから」と都知事選の出馬を止めましたが聞き入れませんでした。最初は分裂していた美濃部陣営も「石原にだけは都政を渡したくない」とかえって結束を強めたのです。

選挙最終日劣勢を実感した成田は「明日の全国紙東京版朝刊で一面広告を打とうか」と石原に打診しましたが負けを確信していた石原は断りました。

 

「電通&TV&パフォーマンス&印象操作」による劇場型選挙

で2期の実績のある史上最強の革新系現職都知事を倒そうとしましたが電通とポピュリスト(石原慎太郎)が都民の有権者の良識の前に敗れた瞬間でした。

まだ戦争を知る世代が現役世代の時代だったからです。

 

2期失政だらけの小池百合子は1975年の都知事選を真似ている👹

美濃部都知事の様に出馬表明を送らせて焦らせば「小池待望論」が出てくると踏んでいるのでしょうがプロジェクション・マッピングの都庁の足元でNPO団体の「もやい」による貧困者への炊出し、食糧配布が続いているのを知りながら無視しているのは「人間失格」と言わざるを得ないでしょう💢

 

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