8からの続きです
《親分の胡錦涛の意を受けて、薄熙来を逮捕した令計画は「太子党」の恨みを買った》
※薄熙来
「令計画の息子、令谷謀殺説」
https://web.archive.org/web/20190406120735/https://www.epochtimes.jp/jp/2014/12/html/d64097.html
「令計画の息子の死は太子党に仕組まれた」 袁紅氷氏が新著で見解
2014年12月26日 16時13分 THE EPOCK TIMES
豪州在住の中国問題専門家、法学者の袁紅氷氏は今年5月出版の著書「台湾生死書」で、「令計画氏は太子党の反感を買ってしまった」「胡氏を裏切り周永康に協力した」とその失脚を早くも見据えていた。
胡錦濤体制下の2012年3月14日、令氏は中央警護局を率いて薄熙来を逮捕し、身柄を預かった。薄の腹心で一族の不正蓄財の重要証人である実業家の徐明も逮捕し、その身柄を当時の温家宝首相に渡すなど、将来が有望視されている一方で災いを招いた。
中国共産党指導部高官の子弟グループである太子党の中で、陰険かつ傲慢な薄熙来を毛嫌いする人は少なくないが、薄を「有望な仲間」と思う人も多い。太子党にしてみれば、格下で臣僕である「官二代(一般幹部の子弟)」の令氏が、メンバーの薄を取り締まったのは許し難いことだった。さらに、令氏は薄熙来の失脚を利用して「さらなるステップアップ」という野心を抱いていた。太子党メンバーは自らを守るため、反撃の矛先を令氏に向けた。
薄熙来が逮捕されて5日目の18日早朝、北京市内の環状道路でフェラーリの自損事故が起きた。乗っていた3人のうち、運転していた男性は即死、女性2人は重傷でそのうちの1人は後に死亡した。男性は令氏の息子だった。酒と女好きで知られていた息子はこの日の朝方まで高級クラブで美女たちと酒を飲んでいた。事故の知らせを受けた令氏は、中央警護団を現場に向かわせ、遺留品や証拠を持ち去った(中国国内の報道は事故関係者の正体を伏せた)。
中央警護団は最高指導部・中南海等の警備、要人警護を担当する軍事組織であり、令計画氏が私用で出動させたことが、後に太子党らに問題視され糾弾された。
事故は太子党のあるメンバーが仕組んだもの。3人は睡眠導入剤入りの酒を飲まされ、フェラーリのブレーキが細工されていた。
一方、当時公安・司法を統括する中央政法委のトップ周永康も仲間の薄熙来の逮捕で強い不安に陥り、取り締まりから逃れるため令氏の弱みに付け込もうとした。周から一族の数々の汚職の証拠を見せつけられた令氏は、周に「協力」すると意を決した。薄熙来問題に周が巻き込まれないようにするのが、その「任務」だった。
胡錦濤氏が令氏に説得され、周永康は事なきを得たと思われた矢先に、太子党メンバーらは相次ぎ最高指導部に、令計画氏の背任行為を報告し、「薄熙来よりも重罪だ。厳正なる処罰を」と求めた。
こうした状況の中、胡氏も令氏を守り切れず、「厳しく追及しないでほしい」という言葉だけを残した。2012年9月、令氏は「党最高指導部の中枢」とも言われる共産党中央弁公庁のトップの座から降ろされ、実権のない中央統戦部トップに就任、事実上の左遷となった。(抄訳 終了)
中国国内ニュースサイト「財新網」は令氏失脚発表の当日、「2012年3月18日のフェラーリ事件をもみ消すため、令計画氏は当時の中央政法委のトップ(周永康)と政治取引を交わした」と報じ、のちに政治取引が発覚し、令氏の政治生命に終止符が打たれたと伝えた。この報道はその後、取り下げられた。
令計画に「取引」を持ち掛けた「太子党」の周永康も、後に、習近平によって失脚・逮捕されています。
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周永康とは・・・Wikiより
https://web.archive.org/web/20190406180557/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%91%A8%E6%B0%B8%E5%BA%B7
中華人民共和国の政治家。第17期中国共産党中央政治局常務委員、中国共産党中央政法委員会書記、中国共産党中央治安綜合治理委員会主任を歴任。党内序列は2012年の時点で最高第9位。
2015年6月、汚職により無期懲役刑が下された。
「反習近平」だった江沢民元国家主席の子分で「石油利権」のボスでした。
今は、令計画と秦城監獄で一緒に収監されています。
《そして、令計画一族の皆殺しが始まった》
https://web.archive.org/web/20190406111024/https://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BB%A4%E8%A8%88%E5%8A%83
妻の谷麗萍(こく れいへい、グー・リーピン)はいくつもの非営利団体の幹事長を務め、職位や令計劃夫人という身分を利用してお金を不正に手に入れたことが報じられた[10]。
香港紙「東方日報」の報道によると、令計画一家は日本とシンガポールの銀行で合計370億人民元の預金があるほか、谷の名義で京都市に2軒の邸宅を所有している[11]。また、谷は元中国中央テレビキャスターの芮成鋼とは親密な関係にあり、芮を通じて中国の政治・経済に関する機密情報を海外に漏らした疑いもある[12]。
2012年3月18日未明、息子の令谷(れい こく、リン・グー)は北京海淀区で発生した交通事故で死亡した。運転していた黒いフェラーリスパイダーが道路の側壁に激突したため、令谷はほぼ即死し、同乗していた2人の女性も重傷を負い、うち1人が後に亡くなった[13]。令計劃はこの事件の隠滅を図り、自分の特権や周永康の腹心を利用したことがのちに明らかにされた[14][15]。令計劃の統一戦線部長に転出したことも、本来中南海の警備を担当する中国共産党中央弁公庁警衛局に現場を封鎖させたことにより、胡錦濤の不興を買った結果であると言われた[16]。なおこの事件は「黒いフェラーリ事件」と称されることもある[17]。
2014年6月19日、山西省政治協商会議の副主席を務めた次兄の令政策(れい せいさく、リン・ジェンツォ)は法律と規律違反の疑いで、中国共産党中央規律検査委員会に事情聴取されたと報じられる[18][19]。この件について新華社のコメントには、「朝裡有人也不霊」(朝廷に関係者がいても融通できない)という言葉があり、令計劃は実兄を庇うことができないと示唆した[20]。なお、この事件の関係者として、政策と計劃の末弟で会社経営者の令完成(れい かんせい、リン・ワンチェン)も規律監査委員会の調査を受けていたと報じたが[21]、その後、令完成は「王誠」あるいは「ジェイソン・ワン」の偽名を使いアメリカのカリフォルニア州に逃亡した[22]。完成は米国に亡命を希望している。
《何故か、日本への「執着」が強かった令計画一家》
令計画一家は日本とシンガポールの銀行で合計370億人民元の預金があるほか、谷の名義で京都市に2軒の邸宅を所有している[11]。
・・・・と有ります。これについて、中国専門家の遠藤誉筑波大学名誉教授は、次のように解析しています。
令計画の妻、なぜ京都に豪邸?――日本とのさまざまな接点
Yahooニュース 2015年1月2日の記事
なぜ日本なのか?
令計画の妻・谷麗萍(グー・リーピン、こく・れいへい)は、令計画が捕まった二日後の12月24日に、闇ルートを通して日本への逃亡を企てたが、結局は山東省の青島(チンダオ)で捕まった。
日本へのパスポートや身分証に関する便宜を図ったのは北京大学の産学連携企業の一つである方正集団のCEO李友だ。李友は自分の事業発展のため、前胡錦濤政権で胡錦濤の秘書役を務め絶大な権限を持つに至った令計画に多額の賄賂を渡し続けていた。
令計画の妻・谷麗萍が日本の京都に大豪邸を購入するときも、方正信息(情報)公司が浦発銀行・杭州武林支店に持っている口座から送金している。送金総額は370億人民元(現在の為替レートでは約7,141億円)で、そのうち100億元(約2000億円)は日本の二つの大手銀行を通して資金洗浄(マネーロンダリング)している。残りはシンガポールの銀行を通してマネーロンダリングしている。
浦発銀行・杭州武林支店にある方正信息公司の口座を管理しているのは令計画の息子・令谷だったが、2012年3月18日のフェラーリ事故で死亡したあとは、令計画の妻の谷麗萍が管理するようになった。
京都にある二つの豪邸の価格は約5億米ドル(約600億円)で、2012年2月27日付の登記簿には、持ち主として令計画の息子・令谷、令計画の弟・令完成(偽名:王誠)および李友の娘の3名の名があった。同年3月18日に令谷がフェラーリ事故死したあとは、令谷に代わって令麗萍の名義となった。
それにしても不思議なのは、豪邸にしろ銀行貯蓄にしろ、なぜ不正蓄財先として日本を選んだのかということである。
なぜなら中国の不正蓄財先はほとんどが欧米か、あるいはカリブ海に浮かぶオフショア銀行を選んでいるからだ。オフショア銀行というのは、海外から資金を集めることを意図して税金を非常に安く(もしくは完全に非課税)設定している国や地域に設立された銀行を指す。これらの国や地域のことを「タックス・ヘイヴン(tax haven)」(租税回避地)とも呼ぶ。
中国人にとって、日本は留学のステータスにもならず、また不正でなかったとしても、日本に蓄財していることは「売国奴!」と罵倒されることはあっても、あまり誇りにはならない。
だから筆者の目には「党幹部ともあろう者が、なぜ日本を選んだのか?」という疑問が付いて離れず、その解答をずっと追いかけてきた。
そしてほぼこの人だろうと確信したのは、令計画の西山会メンバーの一人だった。
その名は、劉鉄男――。
劉鉄男(一審で無期懲役判決)と日本との関係
劉鉄男は1996年から1999年までの間、駐日本国の中国大使館経済部参事官を務めていたことがある。
だから、すぐに想像はついたが、「なぜ令計画の妻は不正蓄財の先として日本を選んだのか?」に関して、やはり劉鉄男にちがいないと確信できるまでには、かなりの時間を要した。
もちろん西山会のメンバーの一人に劉鉄男がおり、彼が中国大使館にいたのも最初から分かっている(筆者は会ったことさえあるからだ)。しかし西山会の中に日本関係者が他にいないかどうかを全てチェックするのはかなり骨の折れる作業だ。
ひとりひとりシラミ潰しに調べた結果、劉鉄男が西山会の中ではやはり唯一、日本と関係していた人物だということを一応確認できた(と思う)。
それでもなお、何かもう一つ「決め手」となるものが欲しい。
必要十分条件を満たす、もう一つの「点」がないと、必然的な「線」として浮かび上がらせることはできない。
悩みに悩み、調べに調べて発見したのが、劉鉄男の妻・郭静華の存在である。
郭静華は国家中医薬管理局伝統医薬国際交流センター主任助手から始まって、令計画が中央における地位を手にする頃には多くの引退した国家指導者級党幹部の健康管理に携わるようになっていた。このルートはすごい。すさまじい人脈の蓄積となる。
以前、このコラムで触れたかもしれないが、中国の国家指導者級の人物の健康管理には、そのレベルに応じて第一級のチームが付いている。郭静華は、その近辺を動いていた。だから令計画と接触を持つことなどは、彼女にとって非常に容易なことだった。
そこで夫の劉鉄男を令計画に紹介し、西山会入会のチケットを手にしたのである。
ところで日本にある中国大使館の経済部参事官は、必ず日本財界の大物と接触を持つ。互いに挨拶に行き親睦を深める。
その中に、特に劉鉄男に温かい手を差し伸べた「日本に大きな影響力を持つ」財界の大物がいた。
そしてなんと、北京大学・方正集団のCEO李友は、中国の八大民主党派の中の一つである中国農工民主党(略称:農工党)の党員だったのである。
1930年に誕生した農工党は、主として「中国医薬衛生界のエリート集団」によって構成されている。李友と郭清華は、この「中医薬」というキーワードでつながり、郭清華の夫の劉鉄男は日本の財界とのつながりを持っている。
ここで「点」と「点」がつながり、一本の「線」を浮かび上がらせてくれたのである。
日本につながりを持つ者は、たいがいの場合「売国奴」と罵倒されるので、一般には日本に隠し財産を持ったりしないのだが、そのことが逆に「発見されにくい」というメリットをもたらしている。
これでようやく「令計画の妻はなぜ日本を選んだのか?」という謎の一部が見えてきた。
劉鉄男落馬のきっかけは「学歴詐称」――これも日本と無関係ではない
ここでもう一つ興味深いエピソードがある。
劉鉄男が落馬するきっかけとなったのは、一通の微博(ウェイボー)(中国式ツイッター)だった。しかも実名入りで、その名は羅昌平。雑誌『財経』の副編集長だ。羅昌平が最初にツイートしたのは劉鉄南の学歴詐称だった。
劉鉄男の履歴には「名古屋市立大学・経済学修士」というのがあるが、これは偽物で、これは栄誉証書であって、修士学位記ではないと、羅昌平はつぶやいたのである。
2012年12月6日11時01分のことである。
ちょうどこのひと月ほど前の2012年10月30日、日本の週刊誌『週刊文春』が、日本の若きチャイナ・ウォッチャーで「中国で一番有名な日本人」と自称していた某氏が東大合格辞退という学歴詐称を行っていたことをスクープしていた。
中国政府は、この某氏を中国共産党の宣伝に使おうと、道具として彼を持ち上げていた。その彼が学歴詐称をしていたことが分かると、中国共産党の権威に傷がつくとばかりに、徹底してこの若き某氏を叩き、共産党機関紙の「人民日報」も共産党の報道機関である中央テレビ局CCTVも一斉に「学歴詐称」を強烈にアピールしたため、中国のネットは「学歴詐称」という言葉で燃え上がっていた。
その燃え上がりの延長線として、羅昌平はまず「劉鉄男は学歴詐称をしている」という無難な線から入り込んでいった。
最初はデマだとして、劉鉄男が当時副主任を務めていた国家発展改革委員会は、羅昌平を名誉棄損で訴えると強気だったが、約半年後に劉鉄男は落馬し、背後に巨大な腐敗集団が潜んでいたことが明らかになったという次第である。
日本の学歴詐称をする中国の高級幹部もめずらしいが、中国大使館経済部参事官だったために、経済学修士が欲しかったのかもしれない。名古屋市立大学と劉鉄男を結びつけたのは、日本における不倫相手(中国人女性)だった。利害関係でもめ、分かれたために、腹いせで元不倫相手が周りにもらしていたのを、羅昌平がキャッチして調べ、ツイートをしたという「おまけの物語」もある。話はどんどん広がっていくので、一応ここまでにしておこう。
ほぼ全文、転載してしまいましたが、詳細はあまりにも専門的過ぎてこれ以上突っ込めません。
ただ、遠藤教授も述べているように
- 何故、わざわざ日本で「マネーロンダリング」をしたのか?
- 不正蓄財の対象を京都の豪邸にしたのか?
非常に意表を突く発想であります。
ただ、私は素朴に、令計画の妻の谷麗萍が、「知日派」の劉鉄男に影響されて、日本にシンパシーを感じたのではないかと思っています。
実現しませんでしたが、亡命先に日本を選んだのですから。
「劉鉄男に温かい手を差し伸べた「日本に大きな影響力を持つ」財界の大物がいた」・・・・と有りますが、その財界の大物って誰でしょうね(笑)
遠藤教授は知っていても「取材源の秘匿」で言えないのでしょうが、非常に興味をそそります。
京都の「超高級物件」(一説によると京都河原町の石塀小路の高級旅館の潤心庵)を紹介したのだから、京都在住の財界人でしょうか?
次号へ続きます。