新・台湾論|➁台湾の歴史、日本統治から蔡英文政権まで

 

【台湾の歴史;ざっくりと】

日清戦争の講和条約の下関会談で、清国全権の李鴻章(りこうしょう)は台湾を永久譲渡するに当たり、日本側全権の伊藤博文に対し憎々しげに「台湾は疫病とアヘンの蔓延する地、日本には統治できまい」と吐き捨てるように言いました。対する伊藤公は「必ず統治して見せる」と。

当時の台湾は亜熱帯特有のマラリヤや腸チフスなどの風土病、伝染病のデパートであり、ある時、清国が3千人の兵を送っても、ほとんどが、マラリアで死んだり、勇猛な原住民に殺されたりして兵が消えて生還者がいなかったそうです。

加えて、台湾の水は、「毒水」と呼ばれアメーバ赤痢などに当たり、どんなに強健な兵士でも、水を飲むと5日と持たずに死んだそうです。

日本は、台湾の受け取りに1万5千の兵を送りました。残留していた清軍は、日本軍到来を聞くと泡をくって大陸に逃げました。

抵抗したのは、匪賊(武装ゲリラ)達でした。日本軍は台北から南下しながら、彼らを掃討していきました。

日本軍は進軍しながら工兵部隊は、道なき台湾に道路を開いていきます。

何と全島掌握完了後、「台湾平定戦」での死者の殆どが戦死ではなく病死でした。

派遣軍司令官の北白川能久王もマラリアで命を落としました。

清軍が駐屯していた台北城内は、糞尿まみれで、疫病の巣窟になっていました。

台湾総督府は、上下水道を整備して、衛生環境を改善しました。台湾統治が緒に就いたころは台湾人の平均寿命は30歳だったのが、日本の統治が終わった頃は倍の60歳になりました。

歴代の総督は、本土を上回る予算を投入して、徹底的にインフラを整備していきます。

白眉は、後藤新平総督と新渡戸稲造のコンビです。後藤の本職は医者です。彼は「生物学的観点」から、台湾の現状を改善していきます。

有名なのは「アヘン漸禁策(ぜんきんさく)」です。いきなり、現金にするのではなく、先ずはアヘンを専売制にして、税収を確保します。

そうすることによってアヘン吸飲者は徐々に減っていき、最後は根絶しました。

当時の中国大陸では、決して根絶できなかったアヘン中毒者達です。凄い業績です。

新渡戸は、ハワイからサトウキビを移入して、台湾の特産物、輸出品にします。

総督府の農業技官たちは、日本のコメの品種を何種類も掛け合わせて、台湾での栽培に適した「蓬莱米(ほうらいまい)」を開発します。

これで、台湾のコメの収量は倍増しました。

 

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≪公教育の普及≫

台湾全土に国民学校を建設し、日本人の警察官たちが、担当地区の父兄を説得して、就学させました。

それで、統治初期は0.7%だった日本語識字率は、日本統治終了時は85%に達していました。

★イギリス、フランス、オランダなどのヨーロッパの植民地帝国は、植民地の住民に教育を施しませんでした。

何故なら、教育レベルを上げると、独立心が芽生えて支配しにくくなるからです。これを「愚民化政策」と言います。

大東亜戦争中に日本軍に志願して、シンガポールに駐屯した元台湾兵の老人はシンガポールの就学率の低さに驚いたそうです。

そして、日本の植民地統治の素晴らしさに感嘆したそうです。

日本の統治は、「内地延長主義」で日本人への同化を狙っていました。朝鮮半島での「内鮮一体」が好例です。

★ただ、日本の政治家が「教育を施してやった」と発言すると、必ず、日本統治時代を知っている在日一世の知識人が反発します。

厳密にいうと「義務教育」ではなかったからです。

台湾総督府も朝鮮総督府も「義務教育」の施行を予定していましたが、それは、昭和22年からでした。

それも、昭和20年の終戦でフイになったのです。

 

≪日本統治時代は9割の「光」と1割の「闇」≫

世界一の親日国の台湾ですが、無条件に日本統治時代を称賛しているわけではありません。

現地では「あの人は日本人」と言われている親日の哲人政治家の李登輝氏も「差別は無かったとは言えない」と断言しています。

彼は具体例を挙げていますが、「台湾語禁止」で授業中に台湾語でしゃべるとグランドに正座させられて体罰を受けたそうです。

 

≪1946年(昭和22年)引き上げる日本人を暖かく見守る台湾人達≫

引き揚げる日本人家族に「送別会」を開く台湾人隣人、「日本に帰るな、台湾に残れ」と泣き叫ぶ日本人親方と台湾人弟子たちの別れ

外交評論家の加瀬英明氏は「日本と台湾」祥伝社の中で、思わずもらい泣きのエピソードを多数挙げています。

「植民地統治の恨み」とばかり、日本人に暴行したり、女性をレイプしたりするケースは記録に残っていません。

★朝鮮半島は真逆でした。8月15日終戦の玉音放送を聞いた朝鮮人達は態度を豹変させました。

根拠もないのに「戦勝国民気取り」を始め、日本人家庭に出入りしていた朝鮮人小使いは家具などの物色を始めます。

 

≪進駐してきた中国国民党軍を見て驚く台湾人達≫

終戦と同時に、蒋介石率いる中国国民党軍の先遣隊が基隆港(きーるんこう)に上陸してきます。

祖国の軍隊が来たと期待した台湾人達は大きく裏切られます。

帽子を被らないもの、靴を履かないか、片方だけ履いているもの、天秤棒を担いでいるもの、不潔で乞食の集団のようでした。

清潔で威風堂々とした日本軍を見慣れていた台湾人達は度肝を抜かれます。

ある中国兵は、蛇口をひねると水の出る水道に驚いて、工務店で蛇口を買ってきて、壁に取り付けましたが水が出ないと怒り出します。

同様に紐を引くと電気がつく電燈に驚いた中国兵も同じ真似をして混乱します。

★中国の諺に「良い鉄は釘にならない。良い人は兵隊にならない」とあります。

戦争中から、蒋介石は無能で、国民党軍は上から下まで腐敗していると、米英軍の将軍たちから軽蔑されていました。

 

≪日本人が去って「法治国家」でなくなった台湾人の悲劇≫

国民党軍の兵隊たちは、規律が無く、略奪や暴行を各地で頻発させます。

1947年2月27日「闇煙草」を売っていた台湾人のお婆さんが、中国兵に殴られます。そして、それに抗議した男性が射殺されました。

それを目撃した市民たちが、我慢の限度を超えて激怒して、ラジオ局を占拠して台湾全土に決起を促します。

この時、流したBGMが帝国海軍の「軍艦マーチ」でした。

台湾全国民の激怒に驚いた、陳儀(ちんぎ)将軍は、市民たちと話し合いをするポーズを見せながら、時間を稼ぎ、南京の蒋介石に援軍を要請します。

数日して、南部の高雄港や基隆に上陸した国民党軍は、無防備な市民に対して問答無用の殺戮を始めます。

★これが、台湾史上に名高い「228事件」です。

 

≪戒厳令と「白色テロ」の恐怖の時代≫

1949年10月、国共内戦で毛沢東に惨敗した蒋介石が軍民を連れて、台湾に逃げ込んできます。

この時から、38年間と言う「人類史上最長の戒厳令」が敷かれます。

【戒厳令】とは

戦時において兵力をもって一地域あるいは全国を警備する場合に、国民の権利を保障した憲法・法律の一部の効力を停止し、

行政権・司法権の一部ないし全部を軍部の権力下に移行することをいう。

 

【白色テロ】とは

為政者や権力者、反革命側(君主国家の為政者あるいは保守派)によって政治的敵対勢力に対して行われる暴力的な直接行動のことである。

国家組織及び権力を是認して行われる不当逮捕や言論統制などがある。フランス語(Terreur blanche)に由来するため白色テロルとも言う。

≪蒋介石と言う中国人が行った台湾人のジェノサイド・・・のちの中共のチベット、ウィグル、内モンゴルに対する少数民族虐殺の洗礼≫

中国人が「少数民族」を弾圧するときの共通するやり方は、先ず「指導者」になりうる知識人、インテリ層を抹殺することです。

★蒋介石は、「台湾人弾圧」の邪魔になる、日本統治時代の高学歴者、知識人、インテリ層、高度技術者達を片っ端から「ブラックリスト」に乗せ

逮捕し、処刑していきました。中には「見せしめ的」な処刑もあったそうです。

「指導者層」を殺すことは、その民族の「眼」を潰し、「奴隷」にすることです。

★蒋介石のやり口を見ていると、「中国人」に共通した少数民族の弾圧方法に気づきます。

彼のやったことは、中国共産党のやり口と一緒です。胡錦濤の「チベット弾圧」習近平の「ウィグル弾圧」、古い例で言えば鄧小平の「天安門事件」における「民主化学生」の虐殺です。

旧日本帝国陸軍には、ビビりまくる癖に、弱い民族、少数民族は情け容赦なく苛め、殺戮をほしいままにする。

★この「2.28事件」で一体何人が、犠牲者になったか、未だに「全体像」は見えないそうです。

 

≪日本に政治亡命した台湾人知識人≫

この騒動のさなか、言語学者の王育徳氏、政治学者の許世階氏、金美麗女史、黄文雄氏らが日本に政治亡命して、「台湾独立連盟」を結成し日本を拠点として

独立運動を始めます。台湾に戻れば殺される。彼らは蒋介石の生きている間、息子の蒋経国が戒厳令を解除して、蒋経国の死後、本省人の李登輝氏が総統になるまで

故国に戻れませんでした。黄文雄氏は20数年ぶりに台湾に戻った時に自分が「ブラックリスト」に載っていたことを知ったそうです。

黄氏が語る「恐怖政治」の凄さとは、「密告の奨励」です。知人を密告しないと逮捕される。相手を密告すれば、相手の財産の40%を貰える。

麻雀しようとして、集まろうものなら、「3人以上集まれば謀議」したとして逮捕される。

 

≪蒋介石の「反日教育」に洗脳されなかった台湾の戦後世代≫

蒋介石は、自らの権力基盤を固めるために「日本統治時代」を徹底的に否定し「反日教育」で洗脳しようとしましたが、台湾の戦後世代は韓国人と違い、洗脳されませんでした。

それは、戦後世代が「学校でこんなことを教わった」と家に帰っていうと「日本語世代」の両親が、「それは嘘を教えられたんだよ」と訂正して諭しました。

しかも、個別家庭だけでなく「地域のコミュニティー」で連携を取り合って、子供が「反日教育」に染まらないように防御したのです。

蒋介石は日本統治時代を象徴する建造物を徹底的に破壊しました。台湾総督だった児玉源太郎大将の馬上の石造の首を切って、その上に自分の顔の石像を置きました。

妻の宋美齢は、台湾神宮を撤去してその上に、趣味の悪い圓山飯店を作りました。

 

≪「東洋の魔人」蒋介石死すー息子、蒋経国世襲・・・体制の移行期≫

1975年、台湾人に蛇蝎の如く嫌われ、恐れられた「東洋の魔人」蒋介石が死没し、長男の蒋経国が総統を世襲しました。

蒋経国は、当時農業経済学者であった李登輝氏を政界にスカウトし、要職に抜擢し、李登輝氏も期待に応え、副総統まで登りつめました。

李登輝氏は、著書の中で「私が嘘をつかず日本人的なところが気に入られたのだろう」と追憶しています。

また「蒋経国に政治を教わった」とも述べています。

蒋経国は父親に似ず柔軟なところが有りました。

晩年に、閣僚たちに対して「蒋家から3代目は出さない」と明言していました。

★蒋介石の台湾での「人権弾圧」はアメリカの政界でも常に批判にさらされ「問題視」されていました。

黄文雄氏は「アメリカからの圧力が有ったのだろう」と分析しています。

また、「蒋介石種無し説」もあります。蒋介石は子供の頃に睾丸に大やけどを負ったという説が有り、その為に「無精子症」だったのではないかと言われています。

 

次男の蒋緯国は養子です。

奇妙なことに蒋介石は宋美齢と結婚するときに「子供は作らない」と言う「契約」を結んでいます。

自分が「種無し」であることに自覚が有って、宋美齢の浮気を警戒したのでしょうか?

 

≪蒋経国急死―憲法の規定により副総統の李登輝氏が総統就任≫

持病の糖尿病が重篤化していた蒋経国は1988年に急死しました。ここで憲法の規程により副総統の李登輝氏が総統に就任します。

中華民国体制になってから初めての本省人の総統の誕生です。同時に「蒋王朝」の終焉でした。

現在90歳を超える高齢ながら、精力的に執筆や講演をつづけ、その人格と実績から日本のみならず世界中から尊敬される「哲人政治家」李登輝の誕生です。

周囲を外省人の国民党長老に固められた「完全アウェー状態」で用意周到に策をめぐらせて、「台湾の民主化」を進めていきます。

間接選挙であった総統選挙を直接選挙に切り替えました。

李登輝氏は総統を12年勤めながら、「長期政権は良くない」と言って、総統の座を退き、次の総統選では、民進党の陳水偏が当選し

「台湾独立」を掲げる野党に政権交代を実現させました。

 

≪陳水扁の苦闘と失脚―馬英九の「親中路線」≫

陳水偏は様々な政策を打ち出して、果敢に改革に取り組みましたが、立法院(国会)で民進党は過半数を取れなかったために、政策の実現に苦労しました。

そして、2期目の終盤に、身内のスキャンダルが発覚し、「レームダック状態」になりました。

馬英九は「反日親中派」で、「国共合作」ならぬ露骨な対中接近政策をとり続けました。

実は前の陳水偏時代から、台湾企業は、安い労働力を求めて、大挙して中国市場に進出していました。

その為「産業の空洞化」と「失業の増大」が起き、経済成長が著しく鈍化しました。

馬英九は「経済成長」を公約に掲げ当選しましたが、公約を何一つ実現できず「無能」の烙印を押されました。

馬英九政権の8年間、景気は悪化し、若年層の失業が増え、不満が鬱積しているところへ、台湾経済を中国に売り渡すような「両岸サービス協定」を

勝手に調印して、若者の怒りを買い、「ひまわり学生運動」で学生たちが立法院を占拠して抵抗しました。

大学生たちの抵抗で「両岸サービス協定」を流産させられて、馬英九は一気に「レームダック化」しました。

私も馬英九政権に怒りをぶつける、純真な大学生たちに心からエールを送り、次々とUPされる動画を食らいつくように見ていました。

馬英九は香港生まれの外省人、馬(まー)姓は、中国の回教徒(イスラム教徒)に多い姓です。

黄文雄氏も、馬英九については、「彼の祖先は湖南省だ。湖南省は回教徒の多いところだ。」と述べています。

また馬英九CIA工作員説も根深いです。彼の家族は皆、アメリカ国籍を取得しています。

彼は、ハーバート大学ロースクールに留学し、博士号を取っていますが、テーマは「尖閣諸島問題について」でした。

★要するに、「尖閣は中華民国の領土だ」と言いたいのです。

しかし、その英語の論文に「スペル間違い」が千か所以上もあり、それを発見した台湾のネットユーザー達がハーバートに猛抗議をしています。

★馬英九は総統就任の2か月後、前総統の陳水偏氏に「出国禁止令」をだし「汚職の疑い」で強制逮捕・収監しました。

まともな民主国家では、先ず裁判をして「有罪判決」が出てから収監です。馬のこのやり方は実に「中国的」です。

しかも陳氏を1.5平米(一坪の半分以下)の監獄に閉じ込めました。「人権蹂躙」です。

陳氏は何度も自殺を図り、最後は発狂して「廃人」に追い込まれました。

一方馬英九は、2014年の統一地方選で、国民党は惨敗。3期目の続投の「目」は無くなりました。

 

≪2016年「台湾革命」蔡英文の総統就任≫

2016年1月の総統選で蔡英文女史が、国民党の対抗馬の朱立倫に300万票の大差をつけて圧勝しました。

前回2012年の総統選では現職の馬英九に80万票差で苦杯を飲みました。

★しかも立法議員選挙でも、民進党が議席の過半数を確保したので、蔡英文総統は自分の政策を通しやすくなるでしょう。

陳水偏総統の時の様な、総統府と立法院(国会)の「ねじれ現象」が解消したのです。

しかも全国主要地方市長選でも民進党が圧勝しました。

 

≪世界最大の「華僑国家」だった中華民国と、世界最大のチャイナタウン「台北」の滅亡≫

文明史家の黄文雄氏は、この快挙を「世界最大の華僑国家の滅亡だ」と喝破しています。

★元々、国民の88%が台湾人なのに12%の外省人(中国人)が主要な権力を握り、台湾人を支配してきました。

その外省人たちが集住する地域が台北です。

台湾人達が華僑の支配を免れた後、世界で唯一の、華僑国家はシンガポールのみです。

ご存知のようにシンガポールは、客家系華僑のリークワンユーしが国づくりをして、現在の繁栄を築きました。

しかし、彼の死後は息子のリーシェンロンが世襲し批判されています。

リークワンユー氏と同じ客家系の著名政治家として、李登輝氏はよく比較されましたが

李登輝氏は「一緒にされたくない」と言う趣旨の発言を著書で述べています。

 

≪蔡英文政権の今後の課題≫

大陸中国との関係は、「現状維持」と明言しています。
「何故、独立と言わないんだ。あんなに応援したのに」と在外台湾人、特に支援した在米台湾人から不満が出ています。

しかし、私は彼女の政策が現状ではベストだと思います。

李登輝総統時代に「大陸中国と台湾は「特殊な国と国の関係」」と定義しています。

例えて言えば「結婚もしていないのに離婚するようなものです」

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