無限拡散|新左翼「極左暴力集団」と東京五輪①
新左翼「極左暴力集団」から、市民の安全を守り来年の東京五輪を無事に成功させるために
読者の皆さん、今年も早、10月に入り、後3日後の10月8日は二十四節気の「寒露(かんろ)」です。
如何お過ごしでしょうか?
「異常な令和」の「異常な夏」、各地ともまだ日中の最高気温が25度を超える日が多いようです。気象庁の定義で言えば「夏日」ですね。
さて、未だこの話題を続けるの~と言われそうですが、もうしばらく
「アネザイチカ=夢の宮一派」シリーズを続けます。
私の手の内を明かすと、実は「悪名高きフィギュアライター」で「正体不明」の真嶋夏歩をある程度詰めたら、このシリーズは終わる予定でした。
それで以前から、「真嶋夏歩」の正体はこいつだろう(怒)
と目を付けていた、ブログ「ルーン・タロット予報」の管理人の「みもり」(自分のブログではrunenoyakata)について、あらゆることを精査したのです。
記事をアップし終わったところ、「みもり」本人がコメ欄で、口にしてはいけない「専門用語」を書いて、おまけに私に「スライド」させたので、もう一歩、掘り下げる「大義」を与えられてしまったのです。
その言葉とは、何度も強調した「腹腹時計」です。
まともな日本人なら知っていても、口に出すのがはばかられる用語です。
また、口にしたくもないでしょう(怒)
例えば「女子高生コンクリート殺人事件」のようなものです。
新左翼過激派集団
昭和46年から49年にかけて、この「爆弾テロマニュアル」によって、「連続企業爆破事件」が起こり、対象となった大企業の社員と、たまたま通りかかった無関係の市民が多数「爆殺」されました。
当時の「新左翼過激派集団」は他に、日本赤軍も有りました。
連中を擁護するつもりは毛頭ありませんが、日本赤軍は「共産主義革命の実現」が目的であり「テロ」はその手段に過ぎませんでした。
「テロ」を多用しすぎると、その分、警察や機動隊から逆襲を受けて、仲間も多数死ぬ。
仲間の人数が激減すると、「組織力」も弱体化して、革命の実現が難しくなる。
そういう意味で、日本赤軍はリーダーの重信房子の指揮下で、戦略的、合理的に非合法活動を続けていたといえるでしょう。
しかし、「腹腹時計」の著者であり、夫の大道寺将司とともに、毎晩「夜鍋」して爆弾製造に励んでいた大道寺あや子らの「東アジア反日武装戦線」は違います。
警察に隠れ家の東京都江東区の亀戸のマンションに踏み込まれた斉藤和(のどか)は、その場で青酸カリ入りカプセルを飲み込んで自殺しました。
この青酸カリ入りカプセルは、大道寺あや子が勤務先の薬局から盗んだものだったそうです。
大道寺あや子も逮捕時に青酸カリ入りカプセルで自殺を図りましたが、捜査員に阻止されて自殺できませんでした。
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これに比べて、日本赤軍の連中は自殺しません。
唯一、森恒夫は公判が始まる前に獄中で自殺しましたが、仲間に言わせると森は気の小さい男だったようです。
日本赤軍の有名なメンバーで自殺したものを私は知りません。
連中は、逮捕されたら「法廷闘争」を続けるし、ダッカハイジャック事件等で釈放されると、また海外で活動します。
東アジア反日武装戦線の連中と違い、命を無駄にしません。
何故なら「日本の共産主義革命」「世界革命」が連中の最終ゴールですから。
東アジア反日武装戦線は、連中の「思想」らしきものは「無政府主義」で、アナーキストと呼ばれます。
★「無政府主義」について解説すると本一冊では足りないので、やめますが、語感からわかるように、連中は、あらゆる「支配」「命令」「管理」を拒否します。
そこに、連中の生まれ育った北海道独特の「アイヌ革命論」が混じり、更に「韓国の反日思想」も混ざるので、手に負えないです。
硫酸に塩酸を混ぜるように「混ぜるな危険」です。
彼らの「反日思想」のよりどころとなった
「騎馬民族征服王朝説」とは・・・・・Wikiより
東北ユーラシア系の騎馬民族が、南朝鮮を支配し、やがて弁韓を基地[1]として日本列島に入り、4世紀後半から5世紀に、大和地方の在来の王朝を支配ないしそれと合作して征服王朝として大和朝廷を立てたという説。騎馬民族日本征服論(きばみんぞくにほんせいふくろん)ともいう。東洋史学者の江上波夫が考古学的発掘の成果と『古事記』『日本書紀』などに見られる神話や伝承、さらに東アジア史の大勢、この3つを総合的に検証した結果、提唱した考古学上の仮説である。
この学説は戦後の日本古代史学界に波紋を広げた。手塚治虫が『火の鳥 黎明編』でモチーフにし[2]、一般の人々や一部のマスメディアなどで広く支持を集めたが[3]、学会では多くの疑問も出され、定説には至らなかった[4]。支持する専門家は少数派にとどまっているとされ、今日ではほとんど否定されているともされる[5][注釈 1]。なお、この説の批判者からは、騎馬民族による征服を考えなくても、騎馬文化の受容や倭国の文明化など社会的な変化は十分に説明可能であると指摘されている[6]。
★一時は「大ブーム」を起こした「仮説」でしたが、考古学者からの「反証」が多数出されて「仮説」に終わり、現在は「少数説」となっています。
東アジア反日武装戦線の連中は、この「仮説」をよりどころにして、有史以来の日本の歴史は「騎馬民族による昔からいた日本人に対する侵略」と見るのです。
その最大の被害者が、青森以南では「部落民」で北海道では「アイヌ」となるのです。
ですから、日本史の教科書で教わる、古代からの日本の歴史は「侵略」「支配」「差別」の歴史、明治以降の大日本帝国は、朝鮮半島や台湾、満州に酷いことをした。
★「日本人であることを恥じろ(怒)」と言う無茶苦茶な思想です。
こんな発想、本当に日本人かどうか怪しいです。
諦めるということを知っていた日本赤軍のリーダーの重信房子
重信房子について・・・Wikiより
解散
2001年には獄中から、組織として事実上崩壊していた日本赤軍の解散を発表している。
2009年6月に、初めて産経新聞のインタビューに応じ、過去の活動について「世界を変えるといい気になっていた」と語った。
一方で「運動が行き詰まったとき、武装闘争に走った。世界で学生運動が盛り上がっていたが、故郷に戻り、運動を続けたところもあった。私たちも故郷に戻って運動を続けていれば、変わった結果になったかもしれない」と自責の念にも駆られていたとも述べた[6]。
★「司法に媚びる」のが目的ではなく、正直な「本音」だと思います。
私は、重信がやってきたことを許す気にはなりませんが、この言葉を聞いて、「やはり、重信は日本人だったんだな~」と実感しました。
再び、良く引用する本より
日本民族と韓国・朝鮮民族を画然(かくぜん)と峻別するものとは何か
画然とは・・・・
刃物で区切ったように)区別やちがいがはっきりしているさま。 「 -とした違い」 「 -たる差」
韓国の恨と日本の「諦」
P68より引用
不思議なことに、日本人には「恨」に類似する精神文化は育ちませんでした。
その代わり、培われたのが「諦念」、つまり「諦めの心」です。
「失ったものはいくら嘆いても返ってこない。そう思って諦めよう。
涙を拭いて、一から出直そう、無くしたものは一生懸命働いてまた築けばいいではないか、と言うのが日本人に染み付いた「諦」の考え方です。
先の大戦で日本の主要都市のほとんどは灰燼に帰してしまいました。
その「焦土」からわずか19年でアジア初のオリンピックを開催するという奇跡のバイタリティの根源は実は、この「諦」の精神にあったのかもしれません。
名文なので、全部引用しました。
それに対して「韓国の「恨」の精神」とは
P66より引用
恨は単なるうらみではなく、達成したい事、達成すべきことができない自分の内部に生まれる、ある種の「くやしさ」に発している。
それが、具体的な対象を持つとそれが、うらみとして表されるのだといってよいように思う。
さらに重要なことは、そうした恨を溶いていくことが美徳とされ、美意識ともなるということである。・・・・「続・スカートの風」三交社、呉善花著。
呉善花氏からの「孫引き」となりました。
ポイントは
「達成したい事、達成すべきことができない自分の内部に生まれる、ある種の「くやしさ」に発している。」
「そうした恨を溶いていくことが美徳とされ、美意識ともなる」・・・・・善良な在日韓国朝鮮人、ニューカマー韓国人なら「恨を溶いていく」プロセスは、自助努力して、真っ当な手段で誰にも負けない「オリジナリティ」を創造することになりますが。
アネザイチカ=夢の宮一派や故井沢満やふぶき、ジュゴンにとっては、日本人の有名ブロガーに甘言を弄して近づき、騙し、盗作し、最後は個人情報を抜いて、脅迫し、社会的な生命を奪うという形で現れます(怒)
※新左翼「極左暴力集団」と東京五輪②へ続きます。