新型コロナパンデミックは政府の失策ではない
暫く途絶えていた「春風駘蕩」を再開したいと思います。
標題に有るように、今回の「新型コロナパンデミックは安倍総理及び官邸の責任では断じてない」ことについて、説明していきたいと思います。
結論から言いますと「全ての責任は平成上皇とその妻「ミチコ」にある」ということです。
今もなお、日本は、退位したはずの平成天皇の運気に、国は支配されています。それはすなわち、「天皇家の血をひかない托卵の徳仁」に成りすまし即位した「偽徳仁」、二重の意味で偽物の天皇を、天は天皇として認めていないということも、今回、証明します。
※画像は「でれでれ草」さんより
常識的に考えて、指が短くなるものだろうか?
直接のきっかけは、政府官邸と「中国の習近平国家主席の国賓訪日に絡んだ日程調整」でした。
政府は、3月5日、「4月上旬」で調整していた習近平の「国賓来日」の「延期」を発表しました。
もし予定通り来日していれば「4月6日~10日」になっていたようです。
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令和天皇こと佐伯徳仁氏と「その妻」小和田雅子の日程上、上記の5日間しか空きがなかったようです。
習近平の来日は、極めて重要な目的がいくつかありました。
・新天皇と自称皇后に挨拶することによって、「自らの正統性」を世界にアピールし、同時に「自らの権威付け」によって、
・国内の「反習近平の政敵」にプレッシャーを与える。
令和天皇に「習近平政権の正統性」を認めさせたうえで、民主化暴動を止めない「香港民主化活動家」達に、1989年6月の「天安門事件」並みの軍を投入して鎮圧する。
現在、国際的に問題となっている「少数民族のウィグル族」に対して「弾圧」と「民族抹消」を断行する。
台湾独立派の「蔡英文政権」に政治経済両面で重圧を加える。
「米中貿易戦争」でのトランプ政権の攻撃を日本と友好関係をアピールすることにより、緩和する。
上記の様に国内の「武漢肺炎パニック」と「香港民主化暴動」「独立志向の台湾政府の反抗」と悩みの絶えない習近平にとって「日本の天皇カード」はオールマイティーでした。
天安門事件を「禊」いでしまった平成天皇の訪中
1989年6月中国共産党政府は「民主化を求める市民、学生」らを軍を出動させて、大量殺戮した天安門事件」のために、西側先進国から非難されて「外交経済制裁」に苦しんでいました。
しかし、「中国利権」を手放せない、自民党の竹下派経世会は、中国政府の懇請も有り1992年8月に時の総理の宮澤喜一(竹下派経世会の傀儡)が天皇皇后両陛下の初めての「訪中」を実現させて、中国は「日本の天皇の初訪中」を世界に発信することにより、他の西側先進国も「外交経済制裁」を徐々に解除していきました。
「まあ、日本の天皇が訪中するならしょうがないだろう」と言ったところです。
それだけ「世界で2700年続く日本の天皇の権威」は絶大なのです。
その時の天皇が、昭和天皇の様に「英明」であるか、誰かのように「暗愚」であるかは関係ありません。
この時の「中国共産党の天皇訪中工作」については当時の中国の外務大臣の銭其シン(せんきしん)が「西側の制裁を打ち破る最も適切な突破口になった」と回想録で明らかにしています。
《習近平が「国賓待遇」で来日して謁見する相手は平成上皇ではだめで、令和天皇でなくては意味がなかった》
天皇特例会見事件
天皇が特例で外国要人などと会見すること。ここでは2009年12月15日に行なわれた天皇と習近平中国国家副主席
(中国共産党序列6位・党中央政治局常務委員兼中央書記処書記)との特例会見を中心に記述する。
なお、副主席との会見は通例「引見」と呼ばれる宮中公務であり、外国元首・王族との「会見」ではない。
また、会見・引見は天皇の国事行為ではなく公的行為であるとされる。
当時、習近平は国家副主席でしたが、俗に「チャイナセブン(国家重要事項を決定する7人の政治局常務委員)」の中では「序列6位」でした。
要するに、下から2番目でした。
問題となったのは
・当時平成天皇の健康状態が「微妙」だったこと。
・当時の宮内庁の羽毛田長官(ノーパンしゃぶしゃぶ官僚)は「一か月ルール」を立てにとって抵抗。
宮内庁の「慣行」として、各国要人が今上天皇と会見するときは、外務省を通じて「少なくとも一か月以上前」から打診するルールが有りました。
当時の中国政府と中国共産党は、
胡錦涛国家主席(共青団派=官僚政治家)
と前任の国家主席の江沢民(上海閥=太子党(世襲政治家))
の二人の間で激しい権力闘争が続いていました。
胡錦涛は、同じ「共青団派(中国共産主義青年団)の後輩の李克強(現首相)を次期「国家主席」に推して、
江沢民は同じ「上海閥」の習近平を推していました。
権力抗争を「優位」に進めた江沢民は、「ダメ押し」と「権威付け」に「一か月ルール」が有ることを知りながら、習近平の平成天皇への「引見」を強行したのでした。
その甲斐もあってか、翌年の2010年10月に中国の名門、精華大学の「縁故入学」の習近平が、北京大学法学部首席卒業の李克強に逆転勝ちして、時期国家主席に当確しました。
しかし、国家主席就任から10年たった現在の2020年、中国の「習近平体制」は、2018年からの「米中貿易戦争」や「国内経済の不振(直近の経済成長が初のマイナス)」「香港の民主化暴動」「新型コロナの武漢発症」で、満身創痍となっています。
そこで習近平は、前回2009年の国家副主席(序列6位)の時の、「特例会見」ではなく、今度こそ堂々の国家主席として新しい令和天皇に「国賓」として招かれ、再度国内外に「自らの政権の正統性」を誇示する必要が有ったのです。