【小池百合子写真集検証④】謎のスキー場写真と時代背景  

謎のスキー場写真

「女帝小池百合子」のp49に甲南女子の同級生の回想として「高2の春、小池さんは赤倉温泉のスキー場でアルバイトをしていた」と言うくだりがあります。

出所は女性自身です。私は当時から奇妙な違和感を感じ未だに拭えていません🧐

赤倉温泉スキー場は新潟県妙高市をずっと奥に南下した長野県との県境に近い山中に有ります。

信州のスキー場によく言った大学生時代もスキー好きの同級生の間でも私は名前を聞いたことが無いスキー場でした。

私が関西に赴任していた1990年代、支店には大勢の女性社員がいて隣県の西宮や伊丹から通勤する人も多数いました。

若手は毎年1月から2月末にかけて仲の良いグループに分かれてスキーに行っていましたが「どこに行くの?」聞いてみると石川県の白山のスキー場と言う社員が殆どでした。

推測するに関西から近く雪質も良かった(天然雪)からでしょう。

私は学生時代は信州のあちこち、社会人になってからは会社の同僚とよく越後湯沢にスキーに行きました。

関西の大都市圏で生まれ育ち一生を送る人は東京を中心とした関東や信州、新潟(いわゆる東国)には興味も無く「土地勘」も無い人が多いです。

 

時系列を整理して時代背景を検証する

小池にとって「高2の冬」とは1970年1月~3月に当たります。高3に進級する直前の時期です。

前年の1969年(昭和44年)の12月末には父親が衆院選で落選し自宅には毎日借金取りが早朝から深夜まで押しかけているはずです。

「トイチ(十日で一分の利息の高利の金融)の世界」の連中の借金を娘のバイトで返済できるはずが有りません。

まさに「ミナミの帝王」の世界です。

 

当時新幹線は新大阪までしか開通していなかった😱

山陽新幹線の開業と新神戸駅ができたのは1972年3月15日で小池のカイロ時代の出来事です。

スキー場で住込みバイトするにしても石川県なら滋賀県の米原で当時の国鉄(現JR)の北陸線に乗換えなくてはなりません。

画像は蒸気機関車のD51

まだ「鉄オタ」が大好きなD51(デゴイチ)などの蒸気機関車が東海道新幹線(東京~新大阪)を除く全国の国鉄のローカル線の主力列車として大活躍していた時代です。

演歌や当時(昭和40年代後半)全盛時代だったフォークソングの歌詞によく出てくる「夜行列車」や「夜汽車」の時代です。

調べて見ると高度成長期の「人手不足」で「中卒は金の卵だ」だと言われ全国の地方から東京や大阪に向けて「集団就職(第一次オイルショックの1974年頃まで続く)」がまだ有った時代です。

山陽新幹線が博多まで延びたのが1975年(昭和50年)3月10日です。

田中角栄の「日本列島改造論」の思想と政治力で初めて太平洋側(東京)と日本海側(新潟)が新幹線で繋がったのが上越新幹線の開通で1982年11月15日です。

長野新幹線が延伸されて北陸新幹線と名称変更され金沢に到達したのが2015年です。

そして御存じの様に北陸新幹線が福井県の敦賀まで到達したのがやっと今年2024年です。

 

小池の実父と同じ衆院選で初当選した森喜朗元首相の回想

1969年12月27日投開票の衆院選で同じく自民党から公認を貰えなかった森喜朗は岸信介に応援演説に来てもらい辛くも初当選しました。

その時の森喜朗の回想録で岸信介の秘書と奇妙なやり取りをしています。

 

当時の飛行機はプロペラ機の時代

森「飛行機は飛ばない(小松空港)可能性が有るから是非、列車で金沢まで来てください」

要請どうり岸は東海道線を米原で北陸線に乗換えて無事間に合ったようですが、「飛行機が飛ばない?妙な事を言うな?」と思って

近所の80代の知り合いの男性に聞いてみたところ「当時はプロペラ機の時代だったんだよ、YSー11と言ってね」と教えてくれました。

今の国内線、国際線の様にジェット旅客機の時代じゃなかったんです。ましてやエアバスA300と言う大型ジェット旅客機が日本で普通になるのは1980年代以降の話です。

その人は「あの頃は飛行機に乗るのが怖かったんだよ。昭和40年代は国内線の墜落事故がよく起こったんだ」とも言っていました。

話を聞いてなんとも実感が湧きませんでしたが、そう言えば1981年、台湾での飛行機事故で死亡した有名脚本家の故向田邦子は「大の飛行機嫌いだった」と言うのを

後で知って「なるほど、そう言う理由だったのか~」と妙に得心が行きました。

 

17歳の少女が芦屋から妙高まで一人で行くのは普通に考えれば至難の技

要するに小池が17歳だった1969年~1970年初頭の時期に、芦屋から金沢とそれより遠い新潟県上越地方に移動するのは

陸路、空路ともに成人した男性ですら楽な旅ではなかったというのが実態です。

私も年代的に実感が湧きませんが、読者様の中で「Z世代」の方々はおとぎ話の世界のように感じるでしょう。

しかし小池百合子が17歳だった1969年(昭和44年)、今から55年前はまさにこういう時代背景だったのです。

 

時期は大阪万博開幕(1970年3月15日)の直前

画像は1970年大阪万博の開幕式

 

地図で見れば一目瞭然、赤倉は私の同僚の女子社員達が通った白山スキー場よりも遥かに遠い新潟県の妙高高原です😱

甲南女子に通う高2の女学生が住込みバイトするには如何にも不自然で両親ともに朝堂院大覚氏に匿われたとされる東京(六本木らしい)から行ったと考えるのが自然だと思います🧐

 

スキー場写真の不自然さ

どう言う意図で撮影されたかは理解に苦しみますが、あの写真はプロの写真家が撮影してると思います。後で修正の上に着色して写真集に載せたのかもしれませんが。

両親が夜逃げで逃避行中の一人娘をグラドルの様に撮っています😱

 

 

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