美智子皇后|正田家再家系調査|
新潟水俣病と正田家・公害企業になることを承知の上で、次女を嫁がせた正田家
カキフライさまから貴重なコメントを頂戴しました。
新潟水俣病と皇后実妹との因果関係
昭和31年5月、
熊本県水俣市で、初の水俣病患者が出る。
昭和38年3月、
美智子さんの妹の正田恵美子さんが、昭和電工の社長・安西正夫氏の長男、孝之氏と結婚。
昭和39年11月、
新潟で原因不明の神経疾患患者が現れる。
昭和40年1月、
昭和電工は突然アセトアルデヒドの生産停止、そしてなんとプラントをも撤去、製造工程図も消去してしまう。
昭和40年後半、
昭和電工鹿瀬工場からの廃水で、阿賀野川流域でも水俣病が発生していると判明。新潟水俣病が公式に認定される。
こうやって、時系列に並べるとわかりやすいです。
熊本の水俣病は昭和31年に発見され、その後ずっと問題となっていました。
チッソと昭和電工は同じ業種であり、両者は長い交流もありましたから、昭電の安西家は、自社の工場付近でも水俣と同様の公害病が起こることを早い段階で当然予測していたはずです。
だから、昭和39年11月に原因不明の神経疾患患者が出ると、すぐに生産停止し、プラントも工程図等書類も処分し、大掛かりな証拠隠滅を図りました。
患者が出るまで待ってたんですねぇ。
新潟水俣病が正式認定されたのは、証拠隠滅の後でした。
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当時の昭和電工社長の安西正夫氏が、皇太子妃美智子さんの妹・正田恵美子を長男の嫁にしたのは、昭和38年3月。
いずれ自社にも水俣と同じ病気が発生するということは目に見えていました。
チッソと全く同じことをやって全く同じものを作ってるんですから。
美智子さんの妹は、そうしたことを承知の上で廃水を垂れ流している一族に嫁いだということです。
将来、問題が明るみに出て、新潟でも患者が発生した時のために、皇太子妃の妹を嫁にしておくとマスコミは昭電に対して強くは出られまい、ことが大きくならずに済む、チッソの水俣工場のような大騒動にならずに済む、安西氏にそういう考えがなかったとは到底思えません。
事実、マスコミの扱いはチッソに比べれば異常なまでに小さいのが現実です。
そして、極めて悪質な隠蔽工作もあまり報道されず、皇室とのかかわりが非常に都合よくはたらきました。
また、マスコミだけでなく、訴えるべき患者たちにも、皇太子妃の妹が被告企業の一族に嫁いでいるということが、ある種のプレッシャーになった可能性もあります。
恵美子氏の夫の父親であり、当時の昭和電工社長の安西正夫氏は、新潟水俣病発覚後も昭和46年まで社長を続け、その後も何事もなかったかのように一族の人間に引き継ぎました。
ちなみに、熊本で水俣病が発覚したのが昭和31年5月、江頭豊氏が日本興業銀行常務からチッソに出向し社長に就任したのは、水俣病発覚から8年以上たった昭和39年の12月です。
何年も前から工業排水が原因だと知っていながら、患者が発生するまで素知らぬ顔をして有機水銀を垂れ流していたのは、ほかならぬ昭和電工のオーナー一族である安西家の方です。
どうして、だいぶ後になって銀行からやってきた江頭氏ばかりが責められるのか、甚だ疑問で到底承服しかねます。
後の隠ぺい工作と合わせて、昭和電工の悪質さは本当にひどいものです。
美智子さんの最大の実家縁戚がこの安西家なのは有名です。
この安西家から、政界、官界、財界へと閨閥が伸びているからです。
特にこの閨閥に多くの企業があるため、スポンサー料を通じたマスコミへの影響力は絶大と言っていいでしょう。
ちなみに美智子さんの兄・正田巌氏の妻は、浜口雄幸元首相の孫ですが、この方は安西家の親戚でもあります。
こうした美智子さん最大のバックグラウンドが、昭和電工の公害病発覚対策を目的とした縁組からできていったと考えると、おぞましいと思う反面、いかにも美智子さんとそのご家族らしいなとも思えてなりません。
妹さんは、会社不祥事の隠蔽工作の一環としての利用価値が期待されての結婚だったかもしれないって、気が付いてるんですかね?
ちなみに、恵美子さんの夫は日本体育協会会長を務め、今上夫妻の公務である国体の責任者でもありました。呆れてものも言えません。
以上
※正田家再家系調査①へ続きます。