雅子入内事件の陰のプロデューサー 群馬福田一族(赳夫、康夫)は天罰を受けて一族が絶える
部落説あり
皆さんお元気ですか?
今回は【朝鮮人女雅子入内事件】の陰の大物プロデューサー群馬福田一族、元総理福田赳夫、その息子で元総理の康夫の役割について述べたいと思います。
巨悪小和田恒は、福田赳夫が外相、総理の時に秘書官として仕え可愛がられ、外務省内で事務次官まで上り詰めました。同時に福田一族(福田家、越智家、横手家の三家)と家族ぐるみのずぶずぶの関係を作り上げました。雅子は福田康夫の姪の横手香代子と一緒にスキーに行ったり、同じく甥の越智隆雄とは結婚を視野に入れた男女の関係でした。
福田赳夫が総理だった時代(1976年~1978年)に「雅子ちゃんは将来皇太子妃になる人だから」と良く公言していたそうです。バックに元総理がいるという事で、小和田恒も気を強くしたでしょう。
【雅子入内事件】は元総理福田赳夫と小和田恒との長い年月をかけ、周到な準備をした大プロジェクトでした。
1988年当時皇太子の御妃問題が世間の話題の中心になった時、雅子も一応候補になりましたが、祖父の鬼畜江頭豊の問題や、小和田家の得体のしれない家系から、昭和大帝が激怒し選考にも上がらずに外されました。
この時「昭和天皇が亡くなるまで時期をまとう」という判断をしたのは福田赳夫だと思います。
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福田は群馬県高崎市の小農の息子でしたが、政治家になってからは、部落問題や同和問題の書籍を多数集め読みふけっていたそうです。
部落問題を専門に研究する大学教授ならともかく、全く畑違いの政治家がそういう研究をするのは奇妙です。自分のルーツを調べていたのでしょう。
選挙の為だったら創価学会ならともかく解放同盟は票にはつながりません。
昔自民党には部落出身の有力政治家が何人かいました。代表は部落出身という事をあえて隠さなかった野中広務や後から同じ部落活動家によって部落民出身であることを暴露された宮沢喜一元総理がいます。未だ自らカミングアウトしませんが、派閥の領袖クラスや元領袖にもいるでしょう。
部落出身者の政治家は出自を隠す傾向になります。ましてや総理や官房長官など出世したら尚更出自を隠します。
また福田赳夫は、創価学会の池田大作とも相当親密な関係だったそうです。
その割には自民党内での権力闘争では田中派にいつも負けてましたけど。
昔の自民党時代には田中角栄(田中真紀子の父)とライバル視されていましたが、互いの権力闘争でも総選挙でもいつも田中に負けていました。田中角栄も創価学会とは池田以下幹部とはずぶずぶの関係でしたが、選挙では創価学会票をうまく利用して優位に進めていました。
選挙で恩恵を受けないのに池田大作と親しくしていた福田赳夫は、個人的に池田大作の思想に共鳴するところがあったのでしょう。それがまた創価学会員の小和田恒とも共鳴するところでした。福田は小和田家の胡散臭さも知っていたでしょう。それにもかかわらず、雅子入内を狙っていたのです。
1992年、再び雅子が妃候補で復活すると、皇室と宮内庁は興信所を使って小和田家の家系調査を始めました。その時部落解放同盟から宮内庁及び皇室に苦情が飛び込んだのです。
しかも、解放同盟は、御所の周辺でデモ活動までしたのです。これに怖じけた宮内庁も皇室も小和田家の家系調査を止めました。
私は今まで誰が解放同盟を動かしたのか不思議に思っていましたが、皇室に対してそこまでできる実力者は福田赳夫しかいません。私は解放同盟を使って皇室に圧力をかけたのはもう晩年(1995年没)でしたが福田赳夫だと思っています。
解放同盟がデモを起こして皇室に圧力をかけたのが、日本史上初めてです。
戦前だったら、昭和大帝が近衛兵を動かしてデモ隊を即鎮圧していたでしょう。
江頭豊にも部落説がありますが、解放同盟を動かすほどの力はありません。
皇室に対する非常に悪意を持った不敬行為です。家計調査を力で阻止した小和田サイドはさらに強気になります。
婚約前の【処女チェック】も雅子は拒否しました。とても見せられたようなブァギナではなかったからでしょう。ちなみに美智子皇后は実家の正田家で【処女ルチェック】を受けています。これは高貴な家に嫁ぐときの常識的な手続きですよ。
英国王室も御妃には処女性を求めています。ですから、カミラ夫人も処女ではないから、ダイアナと会う前のチャールズ皇太子の求婚を受けられなかったのです。
おまけに雅子は【ブライダルチェック】さえも拒否しています。
これは健康な御子が生まれるかのチェックですが、下賤の朝鮮人の出身なのに何という傲慢さでしょう。
高円宮夫婦の策謀で妃内定が出たのを見て安心した福田赳夫は3年後に死亡しました。
続きます