書籍化されました
ダイアナの夫婦生活と愛人たち
ダイアナの告白では、チャールズとの夫婦生活は新婚当初、三週間に一度程度、2子のハリー王子が生まれてから、ほぼSEXレスになったそうです。
★そして重要な告白です。
「24歳と、25歳の時、恋をしていました。勿論肉体関係もありました」
衝撃的ですね。その男性は職務上、ダイアナの身辺にいる人で、最初は、彼に夫とカミラの浮気について相談していくうちに、深い関係になったそうです。
以下、エレノア・ハーマン著「王たちのSEX」からの引用です。
・ヒューイットとの関係が始まった直後、ダイアナは銀行家のフィリップ・ダンとも交際していた。この交際は、チャールズ皇太子も半ば容認していた。
・ダイアナの次の恋人のデヴィッド・ウォーターハウスはモールバラ公爵の孫で、ダイアナとは遠い親戚関係にある男だった。
・チャールズ皇太子と結婚した頃でさえ、チャールズは3週間に1回くらいしか、ダイアナと夜を共にしなかった。
・ダイアナがチャールズの浮気を責めたところ、「自分は愛妾のいない初めてにして唯一の皇太子になるつもりはない」と言われた。
・次男のハリー王子が生まれた後の1984年10月、ダイアナとチャールズは最後のベッドを共にした。しかし、この頃から、ダイアナは自分のボディガードのバリー・マナキー軍曹を愛人にしていた。
・バナキーはその後、不可思議なバイク事故で死亡した。ダイアナはバナキーがイギリス諜報部に暗殺されたと信じていた。
・1986年、チャールズの弟のアンドリュー王子の結婚式パーティーにダイアナが出席した際、ダイアナは銀行家のチャーリー・カーターと関係を持った。他のパーティー客の証言によれば、ダイアナとカーターは草の茂みに隠れて情事の最中だった。
・1989年夏、ダイアナは10代の頃に交際していたジェームズ・ギルビーと再会した。その後しばらくの間交際したが、ダイアナはギルビーとテレフォンセックスに興じてしまい、この時の音声は大衆紙Sunに盗聴・録音されて、後に公開されてしまった。
・チャールズと正式に別居した1992年、ダイアナはイスラム美術商のオリヴァー・ホーと交際し始めた。この関係は1994年頃まで続き、この頃からダイアナは自分にボディガードを付けるのを止めてしまった。これが後の事故死の遠因となってしまう。
・ホーの運転手によれば、ダイアナはホーに1日20回も電話することがあり、少ない日でも5~6回電話してきた。あまりに回数が多いので、ホーは最後には電話線を抜いてしまった。
・ダイアナはフィットネスクラブに通っていたが、それは体型維持のためではなく、男性を探しに行くためである。ダイアナは気に行った男性を見つけると、すぐに近寄って行って自己紹介し、いつお茶に誘ってくれるかを聞いていた。こうやって交際した男性は数しれない。
・ダイアナは有名なラグビー選手のウィル・カーリングとも交際していた。
・1996年、ダイアナとチャールズの離婚が成立した。この頃からダイアナはパキスタン人の心臓外科医のハスナット・カーンと交際を始めた。
・カーンと別れた数日後、ダイアナはドディ・アルファイドと出会って交際を始めた。アルファイドは毎月父親から10万ドルの小遣いを貰っていたが、浪費癖があり、クレジットカード会社からの催促がたびたび来た。
・アルファイドはダイアナと交際する一方で、モデルのケリー・フィッシャーと交際して婚約もしていた。
・ダイアナがフランスで死亡した当日に電話でダイアナと話した親友曰く、「ダイアナはアルファイドと別れたがっていたようだが、アルファイドはダイアナと絶対に結婚するつもりと言っていた」。
・ダイアナの個人秘書を8年間勤めたパトリック・ジョンソンは、ダイアナを執念深くて妄想症で陰険で冷血な性格だとしている。
凄いですね、チャールズとの別居が始まってからの恋人の数は枚挙のいとまもないですね。
現地ロンドンでは、ゴシップとして騒がれていたのでしょうが、日本人が知る由もありません。
当然ながら、初耳の人物はWikiにも載っていません。
「王たちのSEX」と言う本は、ゴシップ週刊誌のような本ではなくて、著者は著名な歴史学者です。
★さて、次回からは、ダイアナが亡くなるまで、彼女に影響を与えたと思われる恋人たちを絞り込み鑑定していきたいと思います。