書籍化しました
故ダイアナ妃の物語に続いて、個性的な英国王室の人々を短い企画ですが、スポット的に取り上げたいと思います。
イギリス史の本を読むと、良い意味でも悪い意味でも非常に「個性的な王様」「女王様」が多く、楽しく読めます。
俗にいう「キャラが立つ」人が多いのです。「無個性」で存在感の希薄な王様は少ないです。
日本人の「英国史」を専門とする大学教授の書いた、啓蒙的な新書の類を読めば、面白すぎて、時間を忘れてしまいます。
機会が有れば、歴史に登場する、個性派の王様を「列伝的」に四柱推命で、斬ってみたいと思います。
★今回は、イギリス史に興味の無い人でも、一度は耳にしたことが有る、20世紀の有名な王様を何人か取り上げます。
エドワード8世 離婚歴のあるアメリカ人女性と結婚するためにたった在位325日で、退位したイギリス王、未戴冠
20世紀の1936年12月11日、世界を震撼させるBBCのラジオ放送が流れました。
国王エドワード8世
「私が次に述べることを信じてほしい。愛する女性の助けと支え無しには、自分が望むように重責を担い、国王としての義務を果たすことが出来ないということを。」
表面的に、受け取ると、奇麗でカッコイイ科白ですね。
エドワード8世(以下エドワード)は初婚でしたが、いわゆる「×2」のアメリカ女性と交際していました。
★ややこしい、イギリス国内法は、避けますが、要するに、もし、エドワードが結婚していたら、自動的に王妃になっていた可能性があります。このアメリカ人女性のウォリス・シンプソン(以下シンプソン)なる女性は、「王妃になる法的条件」を決定的に欠いていたのみならず、出自も含め、あらゆる要因が最悪でした。
「王たちのSEX」の著者でアメリカ人歴史学者のエレノア・ハーマンは、同国人のシンプソンの事を切り捨てるように書いています。
「成り上がり者」「スコップのような顔」等々、容赦ないですね(笑)
確かに修正したであろう新婚時の写真を見ても、逆立ちしても美人とは言えません。最も若い初婚の時の写真も、コメントは控えたいレベルです。
★法的に結婚は不可能で、国民も納得しない結婚を強行するまでに、すったもんだが有りました。
エドワード「シンプソンと結婚できないなら、私は国王を辞める(怒)」
ボールドウィン首相「議会が納得しません。(内心)ふざけるんじゃないよ」
エドワード、ノイローゼ状態になる。
チャーチル海軍相「あのかたは、御病気なので、退位させてあげてください」
★結局、英国議会は、エドワードの退位を認める「特別法」まで制定して、退位とシンプソンとの結婚を認めました。
どこかにそっくりな人がいましたね。「憲法違反の「生前退位」」を強行した人が、もう話題にするのもいやですがそうです「極東の経済大国」の皇帝(英語ではエンペラーです)のあの人です。
日本でもそうですが、この事件も報道するマスコミの思想的立ち位置によって、両極端に別れました。
①王冠を賭けた恋
②王冠を捨てた恋
恐らく①は左翼系のメディア・・・「王」の地位を捨ててまで、「愛」をとった人間味あふれる王族
はおそらく、保守系、英国国教会の祭祀長の責任を放棄した「無責任な王」と言う暗喩が含まれていると思います。
イギリスの立派なところは、「退位の特別法」が成立し、「退位宣言」をラジオで行った翌日にエドワードを国外追放したことです
「放送終了後に、王族達と最後の食事を摂った「元国王」のエドワードは、日付が変わった12月12日深夜にポーツマスの軍港から出航し、イギリスを去った。」
★私は、事実上の「追放」だと思います。立憲君主制、議院内閣制度を堅持する、大英帝国の吟持だと思います。
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当時の世界情勢;迫りくる第2次世界大戦の足音
ドイツでは、ヒトラーがナチス党の総統として、全権を握り、「再軍備宣言」。そして、「非武装地帯」とされていたラインラントに進駐します。
国際連盟が何も言わなかったために、ヒトラーのドイツ国内での威信は更に上がりました。
一方、大英帝国は、第一次大戦で、「ドイツ第二帝国」=ヴイルヘルム2世のチャレンジを受け、新興大国アメリカの参戦でやっと勝利したものの、国富を消尽し、大きなダメージを受けました。そこに復活した「ドイツ第三帝国」=ヒトラー、ナチスドイツが再びチャレンジャーの「意思」を隠そうともしなくなっていました。
★要するに、「国際情勢」は風雲急を告げていたのです。
私がボールドウィン首相の本音を推測すると、
「あなた、今、イギリスをめぐる国際情勢がどんな状況か知っているのですか?あなたが今、退位することは、王室に対する国民の信用を失墜させますよ」
と言いたかったのだろうと思います。
エドワード8世の退位は、「英国の王室制度」を弱体化させた
★大戦後、イギリス労働党の幹部がいみじくも言っています。
「エドワード8世の退位は、英国王室の背骨にひびを入れた」と。
父王ジョージ5世の遺言
エドワードが即位する一年前、父王、ジョージ5世が、いみじくも言っています。
「私が死ねば、エドワードは一年以内に破滅するだろう。私が望むことは、エドワードが結婚せず、後継ぎももうけずバーティー(ジョージ6世)とリリベット(エリザベス2世)の王冠にヒビが入らないことだ。」でした。
★要するに、長男の性格や資質を熟知して、「廃太子」を望んでいたことでした。
エドワード8世の人となり
★超美男子だが、「のり」がよく「ちゃらい」責任感の無い人。
写真を拝見すると、「超美男子」です。昭和天皇が父王ジョージ5世の戴冠式に出席した答礼として、皇太子時代に来日しています。
来日時の写真を見ると、のりにのって「飛脚」の格好で法被を着たり、鹿児島の島津家を訪問したときは鎧を着て、侍の格好までしています。
幼少時は勉強ができず、特に「数学」が苦手で、いつも補習を受けさせられて、その辛さから、祖父のエドワード7世のところでよく泣いていたそうです。また、海軍に入れば苛めにあったりと、気の毒な面もありました。
それでは、命式を見ていきましょう。
続きます。