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ウォリス・シンプソン 英国王妃に成り損なった女
エドワード8世は、このアメリカ人女性と結婚するために、「王冠を捨てて」イギリス本国から、死ぬまでほぼ永久追放となりました。
従ってシンプソン夫人(以下シンプソン)は、英国王妃に成り損ねました。
イギリス政府は、寸でのところで、「英国王室史上初の「貴賤結婚」」を回避しました。危ないところでした。
★しかし、21世紀になって、ウィリアム王子がキャサリンと「貴賤結婚」をしました。
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貴賤結婚は「王家」の権威やカリスマ性を弱める
欧州のどこかの国の王様が、庶民出身の外国の女性水泳選手を王妃に迎えたことが有りました。
王様の母親はアメリカの女優でした。金持ちの令嬢でしたが身分的には庶民です。
話題作りには良いかもしれませんが、「王家」の権威は下がり、寿命を短くすることになると思います。
★国民の「王家への憧れ」の源は、「血統」「貴種」「高貴な血筋」です。
貴賤結婚を繰り返すと、限りなく「庶民」に近づく
「王家」と言う「高貴な血筋」が「薄められ」、庶民から見れば「何だ、俺達とたいして変わらないじゃないか(怒)」と言われることになります。
最後には「俺達と「血筋」の変わらない人たちが何で「王家」なんだ?」と言うことになります。
王家の「存在意義」に疑問を抱かれることになります
第二次大戦前に、潰れた多くの国の王家、は国王が横暴で「圧政」で国民を苛めた結果、革命を起こされて王族が亡命して「王家」が絶えています。
2次大戦後は、欧州の殆どの王家が、議院内閣制のもと「象徴化」しています。
「象徴」とは日本国憲法にある通り、国民の憧れであり、「国民の統合」の源です。
何故、「国民の憧れ」かと言うと、初代の神武天皇以来、約2700年に渡る「万世一系」「男系男子」の「高貴この上ない血筋」にあります。
戦後「正田美智子入内」以降、常陸宮を除き、東宮妃「小和田雅子」を始め、末端宮家の、三笠宮、高円宮家でも貴賤結婚が繰り返されています。
それが、直系宮家にまで及んだのが、先日の「偽眞子様の婚約テロ」です。
貴賤結婚で、潤うのはTV局のワイドショーと三流女性誌
「貴賤結婚」がさも、めでたい事のように、面白おかしく、報道し、「皇室」が更に、庶民に近づいたと喜んでいます。
「ひるおび」のように、MCがお笑い芸人、偉そうに発言するコメンテーターも、創価在日系芸能人。
有り難がって視聴率に貢献するのは、「お花畑層」だけでしょう。
エリザベス2世の戴冠式のテレビ中継に反対したエリザベス王大后の慧眼
★「TVの本質」は「国民を愚民化」することにある。
戦後は、世界的にまさに、その「弊害」が頂点に達した時代です。エリザベス王大后は、その本質を見抜いていたのでしょう。
しかし、エリザベス2世の「王配」のエジンバラ公フィリップが、反対を押し切り、BBCにTV中継させました。
エジンバラ公と言う、英国王室の「マス男」さんは、良い意味で「保守的」な義母のエリザベス王配后と生涯、そりが合わなかったそうです。
それでは、シンプソンの人となりについて、概説します。
ウォリス・シンプソン
以下、Wikiより
生い立ち
アメリカのボルチモアの一族、ウォーフィールド家に生まれる。本名ベッシー・ウォリス・ウォーフィールド。
生後5ヶ月で父を結核により失ってからは、下宿を経営する母と2人きりの苦しい生活を強いられる事となる。
幼少時代は、裕福な親戚の援助によって、良家の友人たちに囲まれて成長することとなった。
その後、ボルチモアの社交界にデビュー。彼女は抜群の美貌ではなく、また小柄だったが、お洒落や会話術、ダンスなどに人一倍の努力を
払っていたこともあって、男性たちを魅了、ボーイフレンドに恵まれており、常々「金持ちで、いい男を見つけて結婚するのが夢なの」と周囲に語っていたという。
2度の結婚
アーネスト・シンプソンとともに(1930年)
1916年にアメリカ海軍の航空士官ウィンフィールド・スペンサー・ジュニア中尉と結婚したが、夫のアルコール依存症に起因するDVと女癖の悪さに耐え兼ね、1927年の夫の中国への転勤を機に離婚した。
1928年には、ニューヨーク生まれの船舶仲介会社社長のアーネスト・シンプソンと結婚した。
アーネストは、父の生まれたイングランドに憧れ、イギリス国籍を取るためイギリス近衛歩兵連隊の少尉になった経歴があり、夫の経営する会社のロンドン支店で働くうちに、社交界に繋がりを持つようになった。これに伴うかたちで、すぐに社交界内の花形になったウォリスは常々「今がとっても幸せ」と語っていたという。
エドワード王太子との不倫
シンプソン夫妻を王太子エドワードに紹介したのは、当時の王太子の愛人であった、ファーネス子爵夫人テルマであった。
1931年1月に、夫人の別荘で催されたパーティーにおいて2人は出会い、ウォリスは王太子に一目惚れし、同年6月にはバッキンガム宮殿で開かれた王太子の父ジョージ5世の謁見にシンプソン夫妻が揃って参内した。
夫人がニューヨークに出かけた1933年の冬頃、ウォリスは王太子と不倫関係となった。
以降の2年間は、王太子から夫妻揃って幾度となくロンドン郊外の王室所有の別荘に招待される様になったが、
王太子は次第にウォリスにのみ極端に緊密に接するようになり、ウォリス自身もその様な王太子にますます惹かれていった。
その後の王太子は、シンプソン夫婦がまだ婚姻関係にあるにもかかわらず、外遊には必ずウォリスを同伴させ、
高価な宝石などを好きなだけ買い与え続け、王太子の邸宅で同棲するにまで至った。
上昇志向が強く、金銭欲、権力志向など「欲望の塊」のような女
★3度、結婚しましたが、離婚・再婚を繰り返すたびに、夫の社会的地位や、財力は確実に上昇しています。
まるで「人生双六」の様な女です。
それでは、命式を見てみましょう。
続きます。
※ほとんどの写真もシンプソン夫人がエドワード8世より前へ出ており構図も中心でかつ主役。どこかの天皇夫妻のようです。