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四柱推命占い鑑定|英国王室の物語③|(後)シンプソン夫人、逆説的な意味で英国王室の救いの神

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それでは、命式を見てみましょう。

鑑定 ウォリス・シンプソン

1896年6月19日生まれ~1986年4月24日(89歳没)

・・・上 中 下  宿命星    十二運  吉凶星

年柱 丙 申 庚  偏財 印綬   死   紅艶 劫殺

月柱 甲 午 丁  傷官 偏財   絶   隔角

日柱 癸 卯 乙     食神   長生  天乙貴人 文昌貴人

時柱 丙 辰 戊  正財 正官   養   月徳貴人

 

【特記事項】辰巳空亡なので、時柱が空亡している。

 

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総合鑑定 キャサリン妃やカミラとは違う、弱くてあまり取り柄の無い命式

・先ず時柱が空亡しています。
このタイプの人は、「人生の最終目標」を達成できない人です。

シンプソンの「最終目標」は、夫と離婚し、エドワード8世と結婚して、アメリカの貧困階級出身から、英国王妃となる事でした。

しかし、法的に無理であり、英国議会や、国民の支持がなく、結局、エドワード8世と結婚したいなら王が退位するしかなくなったのです。しかも、エドワードは退位後、シンプソンとともに、事実上の国外追放となります。

これで、彼女の「英国王妃」となる「野望」は潰えたのでした。

同じケースは、「日本の国王」に成り損ねた、池田大作が良い例でしょう。

・「月令」を得ていない。
日柱の天干は癸です。癸は「水の弟」ですから、例えば樹木の葉につく「しずく」です。

しかし、6月19日生まれで「初夏」の生まれですから、気温が高く、どんどん水分が蒸発してしまいます。

従って、月令を得ていないのです。月令を得ていたキャサリン妃や、皇太子妃に成れなくとも、チャールズ皇太子の正夫人となったカミラとは大違いです。

・時柱が空亡しているので、天乙貴人が死に、月柱の月徳貴人や正財、正官などの吉星も死んでしまいました。
男に不自由しない人生「色気星」の紅艶が有ります。このタイプの女性は、若いうちは男に不自由しません。

彼氏と別れても、すぐ次の男が、声をかけてくるので、体が空く暇がないのです。

・年柱に劫殺が有ります。劫殺は基本的に凶星ですが、吉星と並ぶと「頭が切れる」と言う暗示になります。

・年柱に偏財と印綬と言う吉星が2個並んでいます。従って、頭の切れる女性だったのでしょう。

彼女の賢いところは、再婚するたびに、夫の「財力」及び「社会的地位」が上昇しているところです。

・「華」と社交性の星の偏財が2個有ります。社交界の花形に成りますが、偏財の多すぎる女性は、「貞操観念」が低いと見ます。

略奪婚、自分をエドワード8世に紹介してくれたのは、当時のエドワードの愛人のファーネス子爵夫人でした。

シンプソンは、夫人の海外旅行中を狙って、エドワード8世を彼女から略奪しました。

「恩を仇で返すタイプ」とも言えます。

 

シンプソンの二十八宿は角宿です。

小和田雅子がこの星です。エドワードとは【友・衰の関係】で仲のよいお友達縁です。

それと、エドワードも辰巳空亡なので、「同一空亡」ですから、絆は強く、離婚しませんでした。

 

★シンプソンの大運を見ると、0歳~5歳が、最初の大運で、しかも、十二運は「絶」で最弱です。

しかし、5歳以降は、一本調子の上り坂で、しかも、25歳から75歳までの50年間は「最強の50年間」です。

典型的な「人生勝ち組」の大運のパターンです。

75歳以降は、過去の蓄積と余力で生きますから、89歳の長命だったのでしょう。

しかし、奇しくも、人生がピークを迎えた75歳の時に夫のエドワードと死別しています。

 

先天運は並でも後天運が最強だったパターン

生年月日から、展開される「命式」を宿命、または「先天運」としますと、幼少からの大運の流れを「運命」または「後天運」と言えます。

その意味では、「後天運」が最強だったと言えるでしょう。

 

宿命を「努力」と工夫で克服した人生

幼少時より上昇志向がつよく、親類の援助を得てお嬢様学校に通っているさなかにも「自分は金持ちと結婚する」と周囲にいい続けていたそうです。

シンプソンの容貌を見ると、お世辞にも美人とは言えません。その判断は掲載する写真から読者様が判断してください。

また背も低かったそうです。

彼女はこの欠点を「会話術」や「お洒落」「ダンス」を思春期から訓練することで、克服したのです。

言わば「努力」と「訓練」で、「人生双六」を勝ち上がった女性です。

 

英国王室との回復しなかった「冷却関係」

エドワード8世退位後、王位についた、弟のジョージ6世はシンプソンに対して「礼」は取りませんでした。

義妹のエリザベス王大后は、シンプソンを「あの女」と呼びました。

1952年、義弟のジョージ6世が死去した時、エドワード(当時ヨーク公)は招待されましたがシンプソンは招待されませんでした。
エドワードが死去したときは、イギリスでの葬儀に初めて、ヨーク公夫人として招かれ、ケンジントン宮殿に滞在を許されましたが
葬儀が終わると、後を振り返らずにイギリスを去りました。

シンプソンはエリザベス2世の許可を得て、パリのブーローニュの森で余生を過ごしました。
1976年に、義妹のエリザベス王大后が、会いに来ましたが、「体調不良」を理由に追い返しました。

 

イギリス国民から顰蹙を買った軽率な行動

第2次大戦が始まると、「親ナチス」だったエドワードは、カリブ海のバハマ総督を命じられ、大戦が終わるまで「体のよい幽閉」に遭います。

シンプソンは「こんなとこにいられないわ」とばかりに、しょっちゅう、アメリカに渡り、ブランド品を買い漁りました。

その様子が、イギリス本国に報道されて、イギリス国民を激怒させ「アメリカ人売春婦」と罵られます。

当時のイギリス本土では、ドイツ空軍による、猛烈な絨毯爆撃に遭っていました。

これを「バトル・オブ・ブリテン」と呼びます。ロンドン市内の各所も大被害に遭い、写真にもありますが、ロンドン市民の多くが「地下鉄の構内」に避難していました。食事も燃料も配給制です。

こんな最中に、カリブ海の島から、ニューヨークにブランド品を買いに行く、シンプソンの姿が報道されたら、ロンドン市民が激怒するのも当然でしょう。

★「バトル・オブ・ブリテン」の有名な話では、コベントリーと言う都市がドイツ空軍の爆撃を受けて、多数の死者や、多くの被害が出ました。

しかし、当時の首相チャーチルは、イギリス諜報部が、既にドイツ軍の「暗号」を解読しており、ドイツ空軍がコベントリーに向かっているという情報を得ていましたが、市民に避難命令を出すと、「暗号を解読されていることをヒトラーに知られ、また暗号を変えられてしまう」のを恐れて敢えて、避難命令を出しませんでした。わかっていて、自国の市民を見殺しにしたわけです。

この政治判断が、いわゆる「イギリス人の「えげつなさ」や「凄味」」を表しています。

伊達に「七つの海を支配した大英帝国」ではないのです。

 

英米両国民から尊敬されなかった女性

駐英ドイツ大使でその後ドイツの外務大臣となったヨアヒム・フォン・リッベントロップと性的関係にあったと噂されました。

のち、2002年に『ガーディアン』紙が、ウォリスがドイツのためにスパイ行為を働いていたとスクープされました。

死後16年たって、こう言うスキャンダル、スパイ行為を告発されるところに、イギリス国民の「根強いシンプソン嫌い」が見られます。母国のアメリカでも、サクセスストーリーとしては、位置づけられていません。

同性である女性の歴史学者のエレノア・ハーマンが、著書「王たちのSEX」で酷評しています。

単に「歴史的スキャンダル事件」の当事者と言う位置づけでしょう。

 

英国王室にとっては神の救い

そもそも、イギリス王としては、資質と責任感を欠いていたエドワードが王位につくことは、父王のジョージ5世の死ぬまでの悩みでした。

しかし、どこの国でも「廃太子」とはそう簡単にできないのでしょう。

しかし、シンプソンと結婚の意思を示したので、「本人の自発的退位」を引き出すことができました。

父王の遺言が実現したのです。それが可能になったのは、シンプソンと言う「悪い条件のそろった女性」と別れられない仲になったからです。

これが、未だ、貴族のファーネス夫人であれば、チャールズ皇太子のように、夫人を離婚させて、カミラさんのように結婚し王位に留まる道も無かったわけではありません。

そういう意味では、亡き父王、ジョージ5世の「王冠」を守りたいという遺志を実現させたのが、シンプソンとも言えます。

ちなみに、エドワード8世は未戴冠でした。逆説的な意味では英国王室の断絶を防いだ功労者でもあります。

英国王室にはアングリカン・チャーチ(英国国教会)の「神のご加護」が有ったのでしょう。

★日本の皇室にも似た例が有りました。佐伯徳仁氏と小和田雅子が、人工授精して「試験管ベビー」を作った時、99%以上の確率で男児=親王と言う医師団の予想でしたが、結果は女児=内親王愛子さんでした。

私は、この時「「托卵児」の男とと「半島系旧被差別階級」女には、親王を産ませないぞ(怒)」と言う、皇祖神の強い「意志」を感じずにはいられませんでした。

以上

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