書籍化されました
小池百合子の研究⑤|総括
日本人でありながら、左翼でもないのに「愛国心」の無い政治家
選挙中に、石原慎太郎の暴言は、上手く切り返した。
しかし、化粧であざは隠せても、小泉政権時代、「郵貯マネー」のアメリカへの上納と言う「売国政策」に積極的に加担した「過去」は化粧では隠せない。
「ムラ」は、自分が上昇するための手段にすぎない。
小池は、「節操なく」多くの政党を渡り歩いたことを、追及されると、必ずこう答える。
「派閥は「機能体」であって「運命共同体」ではない」と。
日本一の「村社会」自民党で総スカンを食ってもしょうがない。
「機能体」と上手に言い逃れたが、要するに「村のみんなは、私の出世のための「踏み台」よ」と公言しているにすぎない。
周囲の人間に認められる確固とした、思想も理念もない。
一年生で中退した関学は「社会学部」、カイロ大卒となっているが、カイロ大でどんな学問を専攻したのか不明である。
恐らく、法学とか経済学とか、政治学とか、政治家になるために必須の学問や勉強は一切してこなかったのだろう。
不勉強は小池自身の責任である。
これは、小池自身の責任であるが、
日本新党→新進党→自由党→自民党
と渡り歩く過程で、細川護煕、小沢一郎、小泉純一郎ら「旬の権力者」におもねるのが精いっぱいで、おもねている権力者の思想に染まり、また次の権力者の思想に染まりを繰り返してきたので「政治思想」も「政治理念」もごちゃまぜになって、「自分独自の政治思想」を60歳過ぎた今でも確立できていないのだろう。
「食べていくため」に政治家をやり、多くの党を渡り歩いてきた。
「国家国民」の為に、「何かを成すために」政治家になったのではない。
フリーキャスターが「転職気分」で、日本新党から立候補したのである。
その頃の男の好みは細川護煕だったのだろう。
「ムラ」に所属できない人。
日本は、どんなに国際化しても、外人観光客が増えようとも、「ムラ社会の集合体」であることは未来永劫変わらないであろう。
「ムラ」とカタカナで書いたのは、農村社会と混同されなくなかったからである。
社会学の手法に則って、私が考えた「ムラ」とは、「共通の価値観を持ち、皆で合意したルールを守り、助け合いながら生きていく共同体」のことである。
私を例に取れば、「ムラ」とは、先ずご近所様、親戚一同、友人達、大学の恩師や同窓生、勤務した企業の上司や同僚、部下たちである。
だから、辛口の私でも「ムラ」の人達の悪口はけっして書かない。
★日本人は「ムラ」に生まれ「ムラ」で育ち「ムラ」で死んでいくのが、真っ当な生き方だと思う。
「ムラ」と「ムラの住民」を立身出世の「踏み台」「道具」としか見ていないのが小池である。だから、多数から嫌われるのだ。
「小池の気質と本質」
日本人でありながら「ムラ」に定住できない、どの「ムラ」からも嫌われる。
★アラビア砂漠の遊牧民か、ヨーロッパのジプシーの様な、気質である。「ムラ」を基礎とした日本人の国民性とは相いれない。
「見た目は日本人でも、「心」は日本人ではない。「愛国心」もない」
そんな人に政治家をやって欲しくない。
最後に「等身大の小池」とは、「政治家の姿を借りた姥桜フリーキャスター」である。
了