≪四柱推命で見るとやはり、呪われているケネディ一族≫
書籍化されました
トランプ大統領に代わって、離任しましたが、駐日大使は、故ケネディ大統領の長女のキャロラインさんでした。
長く安定した同盟国、TPP以外は特に懸案事項も無し、ケネディ王朝の「お姫様」として、手厚くもてなされ、思いっきりエンジョイして任期を終えました
移民の国アメリカには、「高貴な血」を引く王朝が無いので、国民はその代替物としての「疑似王朝」の「ケネディ家」をに幻想を抱きます。
そして、若く勇気のあった大統領とその弟の悲劇的な死が余計に、幻想に拍車をかけるのです。
それでは、キャロラインさんの御爺さんで、ゴッド・ファーザーだった、ジョセフ・パトリック・ケネディから、物語っていきましょう。
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ジョセフ・パトリック・ケネディー、通称、ジョー・ケネディー・シニア、
ジョーはジョセフの短縮形、シニアは、長男がジョー・ケネディ・ジュニアなので、父親はシニアとなります。
ジョーは、アメリカ東海岸のボストンで、アイルランド系移民の3世として生まれました。
父、パトリック・ジョー・ケネディーは、実業家で、アイルランド系アメリカ人コミュニティーの指導者でした。
イギリスの清教徒がメイ・フラワー号に乗って、国づくりを始めたアメリカ。
大英帝国と当時植民地だったアイルランドの関係は、大日本帝国と日本の一部だった朝鮮半島とよく似ています。
ボストンには、イギリス系アメリカ人のコミュニティーが有り、アイルランド系アメリカ人達、アイリッシュはイギリス系に頭が上がりませんでした。それだけに、アイリッシュ達の結束力は強いものが有りました。
ボストンのイギリス系の名門一族と言えば、ロッジ家が有名です。
ベトナム戦争時代の、駐ベトナムアメリカ大使だったヘンリー・キャボット・ロッジ・ジュニアをだしました。
インサイダー株取引で大もうけ
ジョーは、ハーバート大学を卒業後、職を転々としながら、株式取引で巨額な資産を築いていきます。
彼の生涯のキャリアを総括すると、「投資家」となっています。その通りでビジネスマンと言うよりは、「山師」と言うイメージです。
株式売買には、独特の勘が働いたと言いますが、後世の評価では、ジョーが、売買で巨額の利益を挙げた時は、そのほとんどが今で言う「インサイダー取引」だと言われています。
また、「ある会社が倒産しそうだ」と嘘の噂を流し、先に自分が「空売り(株を借りて売り注文をし、暴落した株を買い戻して株券を返却する信用取引)」をかける、これも「風説の流布」と言って、インサイダー取引同様、現在では日米とも、証取法違反で、刑務所行きです。
後に、自分が応援したFDR(フランクリン・デラノ・ルーズベルト)が大統領になった時に、初代SEC(証券取引監視委員会会長)のポストに就きました。
「悪名高い相場師」として、有名だったジョーが監視委員会のトップになることに国民から非難ごうごうとなると、ルーズベルトはいみじくも「泥棒を捕まえるには泥棒が必要だ」と言ってのけたそうです。
禁酒法時代 マフィアと組んで大儲け
またジョーは、禁酒法時代に、マフィアと組んで、密造酒で大儲けしました。
この辺は、日本の戦後の混乱期に、在日朝鮮人達が、政府や税務署の目を盗んで、密造酒で大儲けしたことによく似ています。
とにかく、貪欲に儲ける為には、手段を選びませんでした。
株にとどまらず、動かせるものなら、不動産でも動産でも何でも動かして、儲けまくりました。
重要なパートナーのマフィアの大ボス、サム・ジアンカーナは、死期が近づいた時に、インタビューに答えて、「ジョーと組んで非合法ビジネスで随分儲けた」と告白しました。
ジョーはボストン市長を務めた、ジョン・フィッツジェラルドの娘の、ローズ・エリザベス・フィッツジェラルドと結婚しました。
これで、ボストンを二分する、二大アイリッシュコミュニティーの両家が親戚に成り、大同団結して、ジョーと後の次男のJFKの支持基盤となりました。
≪政界進出の野望≫
ジョーは、大統領選で、フランクリン・ルーズベルトに莫大な資金援助をし、当選に大きな貢献をしました。
しかし、ルーズベルトは、大統領就任後、功労者のジョーに、評価の低いポストしか与えませんでした。
何故なら、「悪徳に満ちた」ジョーの人間性を信用していなかったし、かといって、下野させたら、得意の「剛腕」で逆らっても困る。
ポストの不満を言う、ジョーに、ルーズベルトはイギリス大使のポストを与えました。
アイルランド人としては、初めての駐英アメリカ大使です。
★しかし、ここで大チョンボをやらかします。ロンドンで、「親ナチス発言」の連発です。
当時イギリスは、チャーチルが首相となって「戦時内閣」を組閣するところでした。
★そのイギリス国民の神経を逆なでする、空気の読めない演説をしてしまいます。「イギリスから民主主義は無くなった・・・・」
イギリス国民は激怒します。英国政府からの抗議に堪らず、ルーズベルト大統領は、ジョーを解任します。
ジョーの演説には、アメリカ国民からも非難轟轟でした。
失意で、帰国した、ジョーは、政治家への夢を諦めて、4人の息子たちに託すことにしたのです。
以後、リモコンでコントロールするように、子供たちを動かしていきます。
それでは、ジョー・ケネディー・シニアの命式をみて見ましょう。
次号へ続きます。