書籍化されました
《ケネディ家と関わった人々―「呪い」は伝染する・オナシス家の人々
1968年10月20日、「世期の再婚」のニュースが世界を駆け巡りました。故ケネディ大統領の未亡人の、ジャクリーン・ケネディとギリシャの海運王で世界的大富豪のオナシスとの再婚です。
共に再婚、子連れでした。多くの日本人が、オナシスというギリシャ人の金持ちを知ったのは、初めてだったと思います。ヨーロッパ社交界では、札束で愛人を作ることで有名でしたけど。
私も、小学生でしたけど、この時初めて知りました。父も興味があったらしく、「オナシスは、戦後に、煙草で大儲けした男だ」と教えてくれました。
もし、ジャッキーがオナシスと再婚しなければ、7年後にオナシスは死にましたから、多くの日本人は、このギリシャ人富豪を知らないまま現在に至っていたでしょう。
スポンサードリンク
オナシスの経歴
生い立ち
オスマン帝国時代のスミルナ(現トルコ領イズミル)で、中流階級のギリシャ人家庭に生まれた。紛争の中でオナシス家は全ての財産を失い、ギリシャへ難民として移住。
1923年にはギリシャを離れ、最初にウルグアイ、モンテヴィデオへ行き、後アルゼンチンに渡り、1925年にアルゼンチンとギリシャの市民権を取得した。
海運王
最初にモンテヴィデオの旧市街地に居を構え、葉巻タバコの商売を始める。その由縁あって、市内にあるエレニカ・ギリシャ正教会は、彼の全面的な寄付によって建設された。
後、アルゼンチンにおいて同様の葉巻の輸出などの貿易業を始める。さらには第二次世界大戦最中のフアン・ペロン政権下において、食肉のヨーロッパへの輸出なども手掛け大きな成功をおさめた。
その後ギリシアにもどったオナシスは、第二次世界大戦後に余剰化した連合国軍の船舶を安値で購入し海運業をはじめ、さらにギリシアの海運王のスタブロス・リバノスの娘の
アシーナ・リバノスと結婚した。これにより規模を拡大した海運業は、戦後復興を進めるギリシアとヨーロッパ諸国においてまたたくまに成功し、
1957年にはギリシャのフラッグ・キャリアであるオリンピック航空を設立するなどさらに事業領域を拡大し、間もなくオナシスは「海運王」と称されるようになった
以上
日本でも多くの事例がある、所謂「戦後成金」でしょうか?
私のイメージとしては、ロッキード事件で有名となった、政商の小佐野賢治がぴったりです。
そして、私はこの男の顔がどうしても自分のイメージするギリシャ人とは違います。死ぬまで愛人だった、ソプラノ歌手のマリア・カラスはまだギリシャ人に見えますが。
世界史を紐解くと、1453年、わずかに命脈を保っていたビザンチン帝国(旧東ローマ帝国)のコンスタンチノープルをオスマントルコのメフメト2世が陥落させ、「いわゆる古代ギリシャ文明」を引き継ぐものは、地上から消えました。
それ以前に、現在ギリシャの領土の99%はオスマン帝国の支配下にはいっていました。名実ともに、東ローマ帝国が亡くなったということは、「ギリシャの滅亡」でもありました。
そのごは、ギリシャが独立するまで、現在のギリシャの領土内では、古代ギリシャ人と、トルコ人の混血が進みます。所謂「エスニック・クレンジング」です。
よく言われる例としては、モンゴル来襲前後の朝鮮人の、顔の特徴及び骨格の激変です。
ギリシャ人たちは、400年近く、自分たちを支配し、混血を進めたトルコを今も恨みに思っています。
ですから、現在、トルコがEUに加盟申請しても許可されないのです。理由は、ギリシャが強硬に反対するからです。
話はそれましたが、私はこのオナシスという男の顔がギリシャ人に見えません。現在のトルコ共和国の人に見えます。
オスマン・トルコ帝国は、「異教徒と異民族に寛容」な帝国でしたから、滅亡後も帝国内で、ギリシャ人は活躍しています。
東南アジアにおける華僑のように、オスマン帝国内の「金融の利権」を握り、代々の皇帝の「宰相」も多く輩出しています。
ですから、戦後のどさくさに紛れて、オナシスがのし上がっていくことは、比較的容易だったと思います。旧帝国内に、ギリシャ系富豪や財閥がたくさんあったわけですから。初婚の相手がそうです。
★それにしても、この再婚の「両者の思惑」を暴露した写真が、ギリシャ、イオニア海の孤島での、二人の結婚式の写真です。
新婦は38歳、新郎は58歳、親子ほどの年齢差、新郎の風貌は、風采が上がらず背の低い、トルコ系人種、教養や知性も感じられない。おまけに、花嫁のほうが背が高い。共に二人の連れ子。
・新婦は「露骨な金目当て」、
・新郎は、「世界超大国の元ファーストレディとの結婚による箔付け」、
世界中は気づき、気づかれていることにわかっていなかったのは当の二人だったでしょう。
それでは、オナシスの命式を見てみましょう。
四柱推命鑑定命式
アリストテレス・ソクラテス・オナシス
1906年1月15日生まれ~1975年3月15日(69歳)
・・・上 中 下 宿命星 十二運 吉凶星
年柱 乙 巳 丙 偏官 印綬 帝旺 駅馬
月柱 己 丑 己 比肩 比肩 墓
日柱 己 未 己 比肩 冠帯 羊刃 暗禄
時柱 癸 未 己 偏財 比肩 冠帯 羊刃 暗禄
【子丑空亡】月柱に丑があり、空亡するが、日柱と時柱の2個の未と二重に冲「ちゅう」を形成するので、解空する。
【総合鑑定】成功者、資産家としては、一般的な命式だが、結婚運はない。
十二運を見ると、帝旺、墓、冠帯、冠帯です。墓が気になりますが、総合的に身旺と判断してもよいでしょう。
自分の命式に、墓が現れると、不愉快に思う人もいるとは思いますが、墓は「おはか」だけではなく、墓庫(ぼこ)を開くという意味もあります。
どういう意味かといいますと。ずばり、「アークレイダー」です(笑)。王様の墓を発掘したら、金銀財宝がべらぼうに出てきたという意味で、利殖には持って来いのサインです。
月令を見ると、1月中旬生まれの己(畑の土)です。己の旬は夏ですから、月令は得ていません。年柱に偏官と印綬が並んでいます。一種のパワーラインを形成しますので
出世の可能性はあったでしょう。注目すべきは、正妻の星の正財がないことです。結論から言うと結婚運は有りませんでした。厳密にいうと幸せな結婚生活とは縁のない人でした。
2度結婚しました。
初婚は、マリア・カラスを愛人にしたために破局、
2度目の結婚は、ジャッキーはオナシスが用意したパリの高級アパルトマンで同居することもなく長期の別居で、オナシスはジャッキーとの離婚申請を考えているうちに病死しました。
ちなみにオナシスの二十八宿は、氐宿(ていしゅく)です。
ジャッキーは婁宿(ろうしゅく)ですから、破壊縁です。
しかも遠距離ですから、破壊作用は激甚です。
オナシスがジャッキーを破壊するほうですから、ジャッキーはオナシスと一つ屋根の下に暮らすと息が詰まったでしょう。喧嘩も多かったと思います。
《ババを引いたオナシス》
ジャッキーと再婚した日の行運を見てみましょう。
1968年 戊申庚 劫財 傷官・・・劫殺3個
10月 壬戌戊 正財 劫財
20日 癸亥壬 偏財 正財
何と!傷官の年に結婚したんですね。神様が、オナシスに金食い虫のジャッキーをあてがったのです。加えて、劫殺が3個も来ます。災難が外部からくる暗示です。
災難とはジャッキーのことだったのでしょう。
10月は正財の月運です。正財=正妻ですから、挙式には、最適な月だったのでしょう。
20日は、日運は亥の日で、年柱の巳と冲「ちゅう」を形成します。不吉な日でした。
しかし、もっと面白いのは、20日の宿命星です。その後のオナシスの人生を暗示しています。
偏財と正財が並んでいます。それぞれ、愛人と正妻の意味です。オナシスはジャッキーと結婚するときは、マスメディアに対しては、カラスとは別れたと公式発表しましたが、それは嘘で、二人の愛人関係は、ジャッキーと再婚後、オナシスの臨終まで続いていました。
《再婚後のジャッキー》
連れ子のキャロラインとJFKジュニアは、オナシスと良好な関係を築きましたが、オナシスの連れ子の、アレクサンダーとクリスティナは、ジャッキーを拒絶しました。
クリスティナは、ジャッキーを「ゴールドディガー」(金鉱夫?意訳して「金目当て」か?)と呼び、アレクサンダーは「ジャッキーは高級売春婦だ」と公言していました。
もともと利害得失のための結婚、夫婦仲は悪く、連れ子とも不仲なら、ジャッキーがおとなしくしているはずはありません(笑)
オナシスの金を湯水のように使い、旅行に、買い物に狂います。高級不動産を買い漁ったというのも凄いです。
そんな彼女も、元の婚家のケネディ家には、義理を欠かしません。
1969年、義父のジョー・シニアが、危篤になったと聞くと、駆け付けて、葬儀にも出席しています。
ジャッキーの高級不動産買い漁りなどは、一説によると、オナシスの金をケネディ家に流していたという説もあります。
オナシスの臨終にも葬儀にも出席しませんでした。しかし、離婚はしませんでした。勿論財産目当てでしょう。
オナシスの莫大な遺産は、彼の遺書に基づいて
・娘のクリスティナが55%、
・アレクサンダー・S・オナシス財団が45%
(これは1973年に飛行機事故で死去した彼の息子アレクサンダーが相続するはずだった分の財産である)
の遺産を得た。また、妻ジャクリーンは義弟エドワード・ケネディによる交渉の結果、1,000万ドルといわれる(2,600万ドルともいわれている)財産を手にした。
★要するに、ジャッキーは再婚後も、心はケネディ家にあったわけですね。再婚後も義弟エドワードや、義妹エセル(ロバートの未亡人)らと頻繁に情報交換していた可能性が大です。
オナシスは遺言に、自分の遺産を受け取れるものは「ギリシャ語を話せるものだけ」という付帯条件を付けていましたから、これは事実上のジャッキー排除です。
そこを突破して、2600万ドルせしめたのは、エドワード・ケネディの交渉力は凄いです。
1975年当時の円ドルレートは覚えていませんが、日本円に換算しても巨額な財産分与だったでしょう。
余談ながら、オナシスに終生愛を捧げた、マリア・カラスにも遺産を分与してあげてもよかったのではないか・・・と思います。
ジャクリーンの相続した財産は彼女の愛人モーリス・テンペルスマンの手によって数億ドルに利殖されています。
10倍以上のリターンですね(笑)これは絶対、インサイダー取引だったと思います。
次に、オナシスの長男で後継者だったアレクサンダー・オナシスの命式を見てみましょう。
次号へ続きます。