書籍化されました
今回は、世界一のソプラノ歌手であり、オナシスの終生の愛人であったマリア・カラスです。
マリア・カラス wikiより抜粋
ギリシャ系アメリカ人のソプラノ歌手。ニューヨークで生まれパリで没し、20世紀最高のソプラノ歌手とまで言われた。
特にルチア(ランメルモールのルチア)、ノルマ、ヴィオレッタ(椿姫)、トスカなどの歌唱は、技術もさることながら役の内面に深く踏み込んだ表現で際立っており、多くの聴衆を魅了すると共にその後の歌手にも強い影響を及ぼした。
しかし、かくも高名なマリア・カラスだが、彼女の声の絶頂期は10年ほどに過ぎなかった。
長期間の訓練に裏付けられて安定していた彼女の声は、彼女のキャリアや美貌に嫉妬する数々の嫌がらせや捏造されたスキャンダルによっての心労、不摂生なプライベート生活や、ドラマティコや、ベルカントの難役を歌い続け声を酷使した為に急速に失われてしまう(カラスの当たり役の1つであるノルマは声への負担が大きい難役であった。
無理なダイエットも、声の衰えに影響したという。
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1958年1月2日
ローマ歌劇場が行ったベッリーニ『ノルマ』に主人公ノルマ役で出演したが、カラスは発声の不調のため、第1幕だけで出演を放棄してしまった。
その結果、場内は怒号の渦巻く大混乱となり、この公演はさんざんな失敗に終わった。
その後、イタリアでのスキャンダルから逃れるようにフランスのパリオペラ座と契約。
1958年12月19日
パリオペラ座にておこなわれたデビューコンサートは第一部がコンサート形式によるヴェルディやベッリーニなどオペラアリア、第二部はスカルピアにティート・ゴッビを迎えトスカの第2幕のみを舞台上演というもので[(レジオンドヌール協会へのチャリティ)、フランス大統領天覧の下大成功を収める。
これはフランス国営テレビで生放送され、後にほぼテレビ番組そのままを映画化(『マリア・カラス 伝説のオペラ座ライブ』)される。
しかしその後はギリシャの大富豪で海運王と呼ばれたアリストテレス・オナシスとの豪華な生活に明け暮れた。
1965年
『トスカ』の舞台を最後に事実上の引退状態になってしまう。
何度か舞台復帰の噂もたったが、パゾリーニの映画『王女メディア』への出演、オペラ演出(『シチリアの晩鐘』)、EMIへの数曲の録音、ジュリアード音楽院マスタークラスの講師など散発的な活動が続いたのみであった。
1973年と1974年に来日
1974年にはジュゼッペ・ディ・ステファーノ(テノール)と国内4ヶ所でピアノ伴奏によるリサイタルを行った。
1974年の日本公演は前年から始まっていたワールドツアーの最後を飾るものであり、福岡、大阪、東京と続き、札幌の北海道厚生年金会館で締めくくられた。これが彼女の生涯における最後の公式な舞台となってしまった。
最初の夫
30歳年上のイタリアの実業家ジョヴァンニ・バッティスタ・メネギーニ。
マリア・カラスの才能を見抜き育て上げた夫を捨てて、カラスは、大富豪のオナシスのもとに出奔。
二人は離婚した。
愛人たち
結婚を期待していたオナシスとの関係は、オナシスがケネディ大統領未亡人ジャッキーとの結婚後も続いた。
オナシス「これは愛ではない。私は君を愛している。ジャクリーンは必要なのだ。」
そういったオナシスは、息子の事故死の悲しみと懊悩がこたえて、1975年に亡くなってしまう。
その後、カラスは、ディ・ステファノと恋愛関係に入る。
しかしステファノとの関係も1976年12月末に終わった。
1977年9月16日、隠棲していたパリ16区の自宅にて53歳で死去。
死因は心臓発作と言われるが、ゼフィレッリは彼女の遺産を横領したヴァッソ・デヴェッツィ(ピアニスト)による毒殺説を唱えており謎の部分も多い。
遺灰は、生前の希望により1979年に出身地のギリシャ沖のエーゲ海に散骨された。
マリア・カラス
1923年12月2日生まれ~1977年9月16日(53歳没)
・・・・・・上 中 下 宿命星 蔵干 十二運 吉凶星
年柱 癸 亥 壬 偏財 正財 胎 孤辰 駅馬
月柱 癸 亥 壬 偏財 正財 胎 孤辰 駅馬 血刃
日柱 己 酉 辛 食神 傷官 長生 文昌貴人 囚獄 白虎殺
時柱 庚 子 癸 傷官 偏財 絶 隔角 咸池
【寅卯空亡】
【総合鑑定】不世出の声楽家だが多淫
・「華」と社交性の星の偏財が3個もあります。「舞台映え」するし、存在感もあったでしょう。
・しかし、偏財過多(3個以上)の女性は、多淫だといわれます。
・好色の星咸池があります。しかし、咸池を持つ女性には美人が多いといわれます。
十二運を見ると、胎、胎、長生、絶で、身弱です。
12月生まれの己(畑の土)です。己は巳=5月=初夏が旬ですから、月令は得ていません。
華と技量は有っても、逆境や災厄に耐久力のある命式ではありません。
・孤独の星、孤辰が2個もあります。ステファノとの恋愛中は、オナシスと二股だったのでしょうが、心が満たされることは無かったと思います。
・血刃が1個、駅馬が2個あるので、血刃&駅馬の魔のペアが2組できます。命に係わる病気や怪我に要注意です。
《食傷過多の成立》
・食神が1個、傷官が2個あります。食傷過多の成立です。病気や災厄に弱いでしょう。
・難度が高く、声帯に負担のかかる難役に挑戦し続けたため、絶頂期が10年ほどで終わってしまったそうですが、次に彼女が生まれ変わるときは、身旺の命式で再度、声楽家に生まれ変わってもらいたいものです。
彼女の亡くなった53歳の大運は、53歳~63歳 己巳―比肩―帝旺です。
己巳の巳と、命式の年柱と月柱の亥が、二重に冲「ちゅう」を形成します。
極めて、不吉な10年に突入したばかりでした。
それでは、死亡日の行運を見てみましょう。
77年 丁巳丙 偏印 印綬・・・劫殺、血刃
09月 己酉辛 比肩 食神・・・白虎殺2個
16日 庚寅甲 傷官 正官―空亡・・・劫殺2個
1977年は劫殺が巡りくる年運でした。病気の血刃も来ますが、劫殺は、外部からの災厄なので、誰かが彼女に良からぬ計画を考え始めたことは確かです。
9月は白虎殺が2個も巡ってきます。私は、計画的な殺意を感じます。
16日は、けじめをつけられる傷官の年で、しかも空亡の日です。殺意の星、劫殺が2個も来ます。
★私が、パリ市警の担当検事だったら、「他殺」特に「毒殺」の線で捜査を進めるでしょう。
理由は、命式に血刃&駅馬の魔のペアのある人は、行運に、そのペアが来るときは、宿命による死ですが、駅馬が来ていないので、ペアが成立しません。
よって、私見としては他殺です。
《死亡日に巡りくる凶星について》
100歳前後のお年寄りの自然死、老衰でも、行運に、羊刃や血刃は巡ってきます。長患いした方の病死も同じです。
私は、こういう時の羊刃をお迎えに来た「死神」と呼んでいます。
しかし、劫殺や、白虎殺が来ているときは、他殺の線が強いと見ます。
理由は、別の機会で紹介しますが、非業の死に倒れた数多の討幕の志士達の死亡日の行運を見ているからです。
以上