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続きです。
≪父ジョーが、子供たちに課した教え・・・「ケネディ家」の物は剣の上を歩け≫
高校野球の名門校で、強豪の広島商業高校は、監督が、訓練として、部員に「日本刀」の刃渡りをさせると聞いたことが有りますが同じ趣旨だと思います。
★「WASPの厚い壁」を破るために、「無理」をはるかに超えた「無茶」をやれということです。
一か八かの「ハイリスク」を取って、立身出世のチャンスをつかめという命令です。
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≪生還確率の極めて低い空爆作戦で、爆死した長男ジョー・ジュニアのケース≫
長男、ジョー・ジュニアは、幼少から成績もよく、両親の期待を一身に背負っていました。
本人も、「俺は将来、アメリカの大統領になる」と日頃から周囲に公言していました。
彼は、第2次大戦中、フランスのカレー南部の、V-1ブンカ―(トーチカのこと)爆破という、非常に危険な任務に
自ら志願し、作戦中、爆破用火薬374箱が爆発して、ドーバー海峡を渡る前に、イギリス上空で爆死しました。
★父の教え通り、誰もが尻込みする「超危険」な作戦に志願し、「博打」に勝って生還すれば「ヒーロー」となり、大統領の座が近ずくという「計算」あっての賭けだったと思います。
彼は、作戦前に両親あてに手紙を残したそうですが、日米戦争で、神風特攻隊に志願した若者たちの「遺言」ではなく
悲壮感の無い、「生きて帰ればヒーローだ」的な、自分を鼓舞するような内容だったと推測します。
★「博打」に勝ったJFKのケース。次男のジョセフは、太平洋戦線で、海軍の魚雷艇の艦長を務めましたが、
日本海軍の戦艦「天霧」に撃沈され、数日、泳いで救出された話は有名です。そして、この「ヒーローストーリー」が
大統領選で有利に働いたのは事実です。これは、兄ジョー・ジュニアのような意図的なリスクテーキングではなく
偶然のケガの功名でしょうが・・・・・
≪暗殺を全く危惧していなかったJFKの驚くべき「無防備」≫
JFKの暗殺については、落合信彦の「軍産複合体説」に始まり、いくつかの説が有りますが、深入りを避けるためにここでは、触れません。
しかし、上記参考文献を読み「驚愕」したのは、彼が、暗殺の危険性を全く危惧していなかったことです。
巷間よく知られた話では、占星術師で超能力者であった、ディクソン夫人から「危険だからダラスに行ってはいけません」という忠告が有ったが
無視したという話です。
政権発足当時から、JFKと弟で司法長官だったロバートの二人は、その強引な政策で多くの敵を作っていました。
その最たるものは、サム・ジアンカーナを筆頭とする、全米のマフィアでしょう。
イタリア系マフィアとその息のかかった、フランク・シナトラ、サミー・デイビス・ジュニアらの芸能人を散々利用した挙句いざ、当選すると、マフィアを弾圧し、シナトラらを遠ざけました。
兄弟は、副大統領だったリンドン・ジョンソンを「無学」で「田舎者」として、散々馬鹿にして、ジョンソンは兄弟に「殺意」すら覚えていたそうです。
それに、軍産複合体まで入れると、誰に暗殺されても不思議では無いという状況でした。
しかし、再選を目指していたJFKは、「南部票」を固めるため、敢えて、ジョンソンの地元のテキサス州ダラスに向かいます。
オープンカーに防弾カバーをかけることを拒否したJFK
地元民と触れ合いたいというのがその理由でした。
特別警護員(現在のシークレット・サービス)を同乗させなかった。
オープンカーの「足踏板」に左右二人ずつ、特別警護員が立つはずでしたが、それも、拒否しました。
もし立たせていれば、後のレーガン大統領の暗殺未遂の様に、ヒットマンの第一撃が、当たっても、急所をそれていれば
特別警護員全員が大統領に覆いかぶさることによって、救急処置で助かっていた可能性が有ります。
強運を過信するものは、油断したところで足をすくわれる。
日本史を振り返りますと、織田信長と坂本龍馬が挙げられます。
桶狭間の合戦で、8倍の今川軍を破り、今川義元を打ち取った信長は、配下の武将たちが、遠征に出払った空白地帯の京都にたった150人の供まわりで本能寺に入ったところを、明智光秀の1万5千人の軍に攻められて、死にました。
薩長同盟を成立させた坂本龍馬は、京都の寺田屋に逗留中、京都町奉行の捕り手多数に包囲されましたが、傷を負いながらも脱出に成功しました。
しかし、自ら根回しした「大政奉還」後、同じく京都の近江屋に逗留中に、刺客の手に落ちました。
当時の竜馬は、薩長の「武力討幕派」にとっては邪魔な存在であり、新選組や見回り組の幕府の暴力装置からは、恨みを買い
所属する土佐藩からは、鬱陶しがられていました。竜馬暗殺は、JFK同様、ある意味「劇場型殺人」と言えましょう。
≪ただの「ドジ」だったのかJFKジュニアの墜落死≫
JFKジュニアは、4人の叔父の様に、ハーバートに入学できませんでした。
売国政治家の小泉純一郎とマブダチだった大統領のブッシュ・ジュニアは、高校の時の成績では逆立ちしても、名門エール大学には入学できないレベルでしたが、入学できました。
何故でしょうか?
★アイビーリーグの名門大学には、「レガシー・チップ」という入学制度が有ります。
レガシーとは、「遺産」の意味です。ブッシュ家は、一族の多くがエール大学の出身なので、ブッシュ家の子弟なら「底辺の成績」でさえなければ、下駄を履かせますよ。という制度です。
JFKジュニア(以降ジュニア)は、レガシー・チップを使わなかったのか、箸にも棒にもかからなかった成績なのか?
諸説ありますが私は後者だろうと思います。
★子供のころからよく自分で「墓穴」を掘っていた。
母親のジャッキーは、生前、ジュニアについて「あのこは自分からしょっちゅう「窮地」に陥ることがよくある」と死ぬまで心配していました。
「窮地」とは、翻訳が難しくて、そうなったのでしょうが、「ドジで自分から墓穴を掘るタイプ」の意味だと思います。
日柱の十二運が、丙午―帝旺の男女は、結構「能天気」の人が多いです。
有名な例では、1980年代のアイドル、松本伊代がそうでした。
元祖「天然キャラ」であり「頭ユルイ系」でした。
墜落死の直前、ジュニアは、操縦の「仮免許」を取ったばかりでした。しかも直前に自信が操縦するパラグライダーを墜落させ骨折し、ギブスが取れたばかりでした。加えて「夜間飛行」なので、視界5マイル以下では、飛行は禁止されていました。当夜は6マイルだったのです。友人は「命取りになるからやめろ」と制止していました。
妻のキャロリン・べセット・ケネディは、プライベートジェット「サラトガ」に同情するのを嫌がっていました。
理由は、JFKの長男と結婚後、マスコミの監視がきつくなり、ストレスがたまり、夫に八つ当たりするなど、必ずしも夫婦仲は良くなかったようです。
私は、女性の直感で「不吉」な予感を感じていたのではないかと思います。
午後8時37分、悪天候で事実上視界ゼロの中、「サラトガ」は離陸します。
事故後、機体と彼らの遺体を発見した、航空専門家によると、離陸して約一時間後「ブラックホール型目まい」に陥ったのだろうと、発表されました。
どういう意味かというと、東西南北、どちらが海か空かがわからなくなり、最後は錐もみ型に墜落するそうです。
要するに車の運転の下手な人が、夜間、視界不良の首都高を猛スピードで走りながら「急ハンドル」を切ったようなものですね。
捜査当局は、ケネディ家の事なので「暗殺」も視野に入れて、時間をかけて捜査したらしいですが、「暗殺」の可能性なしということで打ち切られました。
アメリカ帝国の衰亡
ケネディ大統領の暗殺をきかっけにアメリカの衰亡が始まったという説もありますが、違うように思います。
むしろ、富と権力を得るためには手段を択ばず、犯罪者と一体化したような一族が、ルックスの良さとテレビと宣伝の力でアメリカ国民に選ばれて、アメリカのトップにたつほど、アメリカは国としての免疫を失っていたのではないでしょうか。
さらには、ケネディ家の人々の個人的な運の悪さ、無防備さ不注意さから招き寄せる危機、ケネディ一族の犯罪と悪行に対する怨恨の深さと重さ、山と積まれた一族の負のカルマを背負ったJFKがアメリカ大統領となったため、そのままJFK,ケネディ家の運勢がアメリカの運勢となり、国の方向性が誤まりつづけてベトナム戦争を引き起こし、衰亡していったようにも見えます。
若くてハンサムなJFK大統領就任は、アメリカ帝国の衰亡のはじまりだったといえるでしょう。