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4からの続きです。
それでは、マクナマラの命式を見てみましょう。
四柱推命鑑定命式|ロバート・マクナマラ
1916年6月9日生まれ~2009年7月6日(93歳没)
・・ 上 中 下 宿命星 蔵干 十二運 吉凶星
年柱 丙 辰 戊 劫財 傷官 衰 月徳貴人
月柱 甲 午 丁 印綬 比肩 食神 建禄 咸池 隔角 囚獄 白虎殺
日柱 丁 丑 己 食神 墓 飛刃 寡宿
時柱 丙 午 丁 劫財 比肩 食神 建禄 月徳貴人 咸池 囚獄 白虎殺 隔角
【申酉空亡】
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【総合鑑定】非常に強い命式で、「人生の勝ち組」だが、国防長官に就任していた時期が最悪だった。
月柱の十二運に建禄が来ています。身旺の禄格(ろっかく)です。
月令を見てみましょう。6月生まれの丁(蝋燭の灯)です。夏生まれの小火ですから、気温が低くて消えることもないし、冬のように北風で吹き消されることもありません。その意味で小火にとっては、旬の季節に生まれているので、月令を得ています。
月徳貴人が2個有ります。隔角が2個有ります。ジョンソン政権末期に、非常に頭の切れるマクナマラは、「北爆」の停止とベトコン達との連立政権まで具申するようになりましたが、ジョンソンと意見が食い違うことが多く、政権内で浮いた存在になっていました。
囚獄が2個以上ある人は、人生が不安定になりがちな人です。社会人になって以来、赫々たるキャリアを積んできた彼にとっては、ベトナム戦争の事実上の「参謀部長」をやらざるを得ず、結局、戦争の泥沼化と勝てない戦争になった責任の多くは彼にあり、ケネディ、ジョンソン政権下での「国防長官時代」は彼にとっては黒歴史だったのでしょう。
また、食神が3個、傷官が1個あります。食傷過多です。
彼は、最初にケネディから、国防長官就任を打診された時は、固辞していましたが、ケネディの巧みな口説きで、応じてしまいました。国防長官就任こそ、彼にとっては災厄だったでしょう。
彼が、国防長官に就任した44歳の大運を見てみましょう。
39歳~49歳 戊戌―傷官―養で、けじめをつけられる傷官の大運でした。戦争経験の無い、彼は就任要請を受けるべきではありませんでした。
また、彼の大運の流れを見ると、生まれた時が最強で、その後は69歳まで一本調子の下り坂でした。
命式による、先天運には恵まれても、大運の推移からみる後天運には恵まれなかった人でしょう。
大運の最後の49歳は、1966年ですが、この年から、彼はさかんに辞意を漏らすようになります。戦争の「悲劇的な結末」が見えていたからでしょう。
そして、1968年11月29日、国防長官を辞任します。1968年は彼にとっては、奇しくも、庚申―空亡で、傷官、けじめをつけられる年でした。
辞任と同時に、世界銀行総裁に就任しました。彼が、ベトナム本格介入後の早い時期から、「妥協的早期解決」を主張していたこと、晩年に
「回顧録」を出版し、真摯に自己反省していることなどから、世銀総裁就任は、政財界から、彼の人柄を評価されていたのだと思います。
次は、もう一人のマクジョージ・バンディです。